雑居空間
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 鏡山へ登った後、虹ノ松原を通って唐津城へと向かいました。



 唐津城はJR唐津駅から徒歩15分くらい。唐津湾にちょこっと突き出した満島山の上に建てられています。

 唐津城は戦国の世がほぼ終わりかけた1602年、初代唐津藩主・寺沢広高によって築城されました。
 広高は名護屋城の普請で功績を挙げて秀吉からこの地を与えられ、関ヶ原の戦いで東軍に与したことで島原を加えた12万石3千石の大名となります。そのこともあってか、唐津城の築城には名護屋城の資材が流用されたようです。
 しかし後を継いだ寺沢堅高のときに島原の乱が勃発します。堅高はその責を受け、島原を没収され、出仕も止められ、ついには自害してしまいます。その結果、跡継ぎのいない寺沢家は断絶してしまいました。

 その後の唐津藩は、大久保家、大給松平家、土井家、水野家、小笠原家と、徳川譜代の大名が入れかわり立ちかわりで勤め、幕末を迎えることになります。なお、天保の改革でおなじみの水野忠邦も、かつては唐津藩主でした。しかし出世するために転封を願い出て、唐津藩よりも石高は下がるけど幕府に近い浜松藩へと移っていきました。





 唐津城は城の北側を唐津湾、南から東にかけてを松浦川にかこまれた、水上に浮かぶ城です。
 この写真は唐津城の東側、松浦川越しに望む唐津城。海岸沿いは石垣で固められています。しかし、その石垣と海との間に民家が建っているのはなんなんだろう? なぜあんなところに……。



 まずは唐津城の周囲をぐるりと一周します。石垣の上を通っていく感じですね。



 石垣の上には松の並木があるのですが、みんな海の方へ向かって傾いています。



 唐津城から東の方角。海の向こうには、さっき登ってきた鏡山も見えます。



 にゃーん。



 北に回り込むと防波堤が見えます。



 北西方面には、西ノ浜海水浴場が広がります。反対側に広がる虹の松原の砂浜と合わせ、両側に広がる砂浜を翼に見立て、唐津城には舞鶴城という別名もあります。



 唐津城は結構高低差があるので、城の西側にはエレベーターもついています。一般100円、小中学生50円、未就学児と70歳以上の人は無料です。

 さて、いよいよ唐津城へ。唐津城の本丸にあたる部分が、現在舞鶴城公園となっています。



 入口から割と急な階段が続きます。



 その上は枡形に折れ曲がっています。



 花は咲いていませんが、その上には藤棚があります。



 藤棚のある当たりから東方面。鏡山と虹の松原が見えます。位置が高くなるとやっぱり見栄えも良くなってきますね。



 その近くにあった看板ですけど、そういえば、ユーリ!!! on ICE も佐賀だっけ。って言うか、リアルタイムで観ていたときは意識していませんでしたけど、ユーリ!!! on ICE の舞台となっている長谷津町は、唐津がモデルになっていたんですね。佐賀の他の場所ではゾンビランドサガを見かけることが多かったんですけど、唐津城だけはユーリ!!! on ICE 推しでした。



 そして、ドーンと現れる立派な天守。ただし、ここに天守台はありましたが、天守が建てられていたという記録は無く、今建っているのは模擬天守です。

 この天守台の下にある石垣は、伝統技法を用いて最近修復されたものだそうです。



 本丸には金刀比羅神社もあります。



 まっすぐ天守に向かう道もあるのですが、西側から回り込んでいきます。





 本丸西側の石垣。ここも一度解体して、組み直されています。



 門をくぐれば模擬天守です。遠回りしたつもりだったけど、あんまり変わらなかったかも。



 鏡山、再び、っていうか、何回目だ?



 エレベーターで上ってくると、ここに出ます。



 元々名護屋城にあったものをここに運んできたという、旗竿石。幟旗を立てるために使われたと考えられていたので旗竿石と呼ばれていたのですが、どうやらそれは誤りで、今では庭園に置かれた手水鉢だったと考えられているようです。

 模擬天守は資料館になっています。
 1階は観光案内・体験フロアとなっていて、無料で入ることができます。



 そしてここでもユーリ!!! on ICE 推し。



 1階には続日本100名城のスタンプもあります。
 佐賀旅行の際に、続日本100名城のスタンプブックを忘れてしまったのですが、スタンプを押さないのもなんなので、コンビニでメモ帳を買ってスタンプを押しました。
 図案は松浦川越しの唐津城ですね。ちょうど、この記事の一番最初の画像とほぼ同じ構図です。さすがに手前の民家は描かれていませんけどね。

 2階以上は有料で、大人500円、小中学生250円、未就学児は無料となっています。
 2階は唐津の歴史フロア。平安時代からこの地で活躍した松浦党から、海外との交易、江戸時代の唐津藩主たちの紹介など、唐津の歴史について展示されています。また、3階では唐津焼が紹介されています。

 そしてちょこっとした休憩フロアの4階を抜けると、最上階は展望フロア。









周囲をぐるりと見渡すことができます。



 模擬天守の出口には、鏡山で紹介された佐用姫をモチーフとした、さよ姫ちゃんがいました。まあ、中の人は入っておらず、置物状態でしたけど。





 正面っぽいルートから下りていきます。



 これで本丸は一通り見て回りましたが、現在市街地になっている二ノ丸、三ノ丸にも遺構が残っています。





 まずは現在城内橋のある辺りにあった、舟入門。藩主が参勤交代の時や、城への物品の納入などに使用したそうです。





 ここは二ノ門外堀。二ノ丸と三ノ丸との間にあった堀です。



 二ノ門外堀の近くにある、時の太鼓。土井家が唐津藩主だったころに、時を知らせる「時鐘」が置かれ、以降も「金附堂」、「時太鼓堂」、「鐘撞堂」、「時之太鼓」、「時打櫓」など、城内に時を知らせる鐘があったようです。
 現在の時の太鼓はからくり時計になっていて、午前七時から午後七時まで1時間ごとに、武士の人形が出てきて太鼓をたたくのだとか。





 二の丸には石垣の跡も残っています。





 ちょいと移動して、三ノ丸の南東角に、三ノ丸辰巳櫓があります。明治に入って解体されましたが、平成四年に復元されました。



 辰巳櫓の近くから望む、唐津城模擬天守。





 最後に、唐津市役所の前にある肥後堀。三ノ丸と外曲輪の間に掘られたものです。
 唐津城は築城の際、九州の諸大名から協力してもらっているので、肥後堀をはじめ、佐賀堀、柳川堀、薩摩堀など、堀にその領地の名前が付けられています。

 唐津城は海あり山ありで、その立地だけでも楽しめるんですけど、周辺にも多くの遺構が残り、見所が多くてかなり面白かったですね。模擬とは言え立派な天守もあるし、町中にあって駅も近いし、本丸の公園だけなら歩き回るのもそんなに苦労しないし、普通の観光地としてもかなりレベルが高かいと思います。



(おまけ)





 この写真は前日の夜に撮影したものですが、唐津城は夜間ライトアップされます。



 唐津駅にもゾンビランドサガ。


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