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クランペルパピータは、小さな娼婦でした。十二歳のときに、父親を亡くして、母親に、この山の懐にある小さな町の、小さな娼館「すみれ屋」に売られてきたのです。
娼婦というのは、それはご存じの方はたくさんいるでしょう。男の人に、愛を売る商売をする、女性のことです。本当は、やってはいけない仕事です。女の子が一番つらく苦しむ仕事なのです。クランペルパピータが、この「すみれ屋」に売られてきたとき、母に捨てられて泣きじゃくる彼女に、この娼館の主であるマダム・ヴィオラは、厳しいともやさしいとも聞こえる声で、言ったものでした。
「ここはねえ、女の子の地獄だよ。一番つらい仕事をしなくちゃいけないところだよ。かわいそうにねえ。親に売られて、こんなとこにくる娘なんぞ、そう珍しくない。辛かろう、クランペルパピータ。面倒だからパピと呼ぶけれど。パピ、地獄は地獄でも、わたしゃねえ、少々ましな地獄にはしようと思ってるから。おまえたちにやってあげられることは、やってあげるよ」
それから三日後、クランペルパピータ、いえパピは、きれいな服を着せられて、化粧をされて、初めての客を取らされました。その人は、町の役場で課長をしていると言う、五十代くらいのおじさんでした。パピにとっては、亡くなったお父さんよりも年をとった人でした。
初めての仕事を終えて、客が金を払って帰っていくと、パピはあまりの辛さと痛さに、大声をあげて激しく泣いてしまいました。苦しくて、恥ずかしくて、悔しくて、全身がばらばらに壊れそうなほど、体も心も、痛かったのです。マダム・ヴィオラは、泣き叫ぶパピを、そのまま放っておいても、叱りつけてもよかったのですが、どうにも哀れと思う気持ちを捨てられず、ぶっきらぼうではありますが、気持ちのこもった声で言ったのでした。「おいで、パピ。お風呂で体を洗おう」
そうして、パピは泣きながらも、マダム・ヴィオラに手を引かれ、お風呂場に向かったのでした。お風呂場で、マダム・ヴィオラはパピの血が出ている一番痛いところを、やさしく丁寧に洗ってやりました。そして、しゃくりあげながらも、少し心の和んできたパピに、マダム・ヴィオラは言うのでした。
「いいかい、女の子の大切なここをねえ、ヴァギナというんだよ。知ってたかい?」するとパピは、涙をふきつつ、かぶりをふりました。でも、ヴァギナというのは、なんだかすてきな名前だと思って、ふとパピは、小さな声で言いました。
「ヴァギナっていうの?ここ。かわいい。まるで子猫の名前みたい」するとマダム・ヴィオラはシャワーでパピを洗いながら、おかしげに笑って言うのです。
「そうさねえ、意味さえ知らなきゃ、本当にかわいい名前だ。猫や犬にでも、つけてしまいたくなるねえ」
そうしてマダム・ヴィオラは、パピにヴァギナの手入れの仕方を教えました。ヴァギナの形や、洗い方、消毒の仕方、痛いところにつける薬の種類や塗り方、化粧用の香水の使い方など。
「ひととおりは教えたから、今度からは自分でやるんだよ」とマダム・ヴィオラは言いました。するとパピは、小さくうなずきました。
そしてパピのところには、毎夜のように、男の客がやってきました。パピはとても若かったし、名前も顔もかわいかったので、たくさんの男の人に気に入られたようなのです。パピは毎晩、違う男の人を愛しました。仕事のあと、自分のヴァギナの手入れは、教えられたとおり、丁寧に自分でやりました。いつも清潔にしておかないと、お客さんもいやがるからです。
マダム・ヴィオラは厳しかったけれど、そんなパピを見て、時に、目を閉じて涙をこらえるような顔をすることがありました。そして、「ああ、哀れと思っちゃやれない仕事なのに、たまらないねえ」と言って、長いため息を吐くのでした。
娼館「すみれ屋」には、パピのほかにも、女の子がたくさんいて、毎晩客をとっていました。マダム・ヴィオラのところには、なぜか不思議にきれいな娘が集まってくるのです。客もそれをよく知っていて、「すみれ屋」はなかなか繁盛していました。中でも一番きれいなのは、ミラという名の、黒い髪をした娘で、白い肌と青い目がそれはきれいで、お客さんにも一番人気がありました。
ミラは、初めてパピに出会ったとき、言いました。
「ここは辛いところよ。あんたみたいなおちびちゃんに耐えられるかしら」「おちびじゃないわ。十二だもの」「おちびじゃないの。あんた、パピって言うのね。白っぽいブロンドがかわいいわ。大きくなると美人になるわよ。ほんとの名前はなんていったっけ?」「クランペルパピータ」「そうそう、そのややこしい名前。響きはすてきだけど、舌を噛みそうだわ」「パピでいいわ。あなたはなんて呼んだらいいの?」
するとミラはたばこの煙を吐きながら、苦い思い出の幻を青い瞳の中に流し、少しの間無言でパピを見つめ、言ったのでした。
「ここではミラという名で通ってるけど、親がつけた本当の名前は、マリソルというのよ」
「マリソル?すてきな名前ね、パピみたいに縮めていい?マリとか、ソルとか」
「そうねえ、どちらもいいけれど、やはりミラって呼んでちょうだい。今はそれが名前だから。わたしはミラ。あんたはパピね」
そういうとミラは、煙草を灰皿に押し付けて火を消し、窓辺に手をついて夜空を見上げ、しばし鼻歌を歌っていました。パピもミラの横に来て、同じように窓から夜空を見上げました。ミラは言いました。
「知ってる?空に見える星にはね、みんな名前か、番号や記号がついてるのよ。お客さんに教えてもらったんだけど、ミラというのは、くじら座の星で、光が大きくなったり小さくなったりする不思議な星なんですって」「ふうん。ミラは星の名前なのね、ミラ」「そうよ。わたしは星なの。すてきでしょ」「すてきだわ。ミラは夜空のどこにいるの?」「わからない。でもきっと、この空のどこかにあるんだわ。そしてわたしを見てくれてる。ずっとね。そしてきっと、時がきたら、わたしはミラに帰るんだわ」「ミラ?帰ってしまうの?」
パピはミラに問いました。でもミラは何も答えず、ただ静かに空を見あげながら、かすかな吐息のような声で、讃美歌のような歌を一節歌ったのです。
そして二年が経ちました。パピは十四歳になり、だんだんと仕事にも慣れてきて、馴染みの客というのもできてきました。パピはまだ少女でありましたので、それが哀れを誘うのか、だいたいのお客は、あまりパピに乱暴なことはしませんでした。けれども時々、怖い客がきて、パピはひどく馬鹿にされて、とても恥ずかしく、辛いことをやれと言われることがありました。パピは、日ごろマダム・ヴィオラに、とにかく何を言われても我慢をして、客の言うとおりにするのよと言われていたので、一生懸命にやりました。でも客はパピが必死になればなるほど、汚い言葉でパピをいじめるのでした。パピは恥ずかしさにも痛さにも心に刺さる客の言葉にも耐えながら、仕事をしました。涙がほろほろ流れました。そしてやっと仕事が終わると、客はパピには何も言わずに、さっさと金を払って帰っていきました。パピは、ベッドの横で、捨てられたぼろぼろの人形のように、しばし倒れていました。悲しいとか辛いとか、感情はかすかに動きましたが、心はまるで凍った石のように床の上に転がっていました。パピは、自分が、丸ごと、ごみのようなものになったような気がしました。ガラスのような砕けた心を胸に抱いて、パピは一瞬、もう自分は死んでしまったとさえ、思ったのです。
やがてパピは、操り人形のように無意識のうちに立ち上がり、シャワーでいつもより丁寧にヴァギナを洗い、良い匂いのする薬を塗り込みました。
「辛いと思っちゃ生きていけないよ」マダム・ヴィオラの声が頭をよぎり、パピは喉からこみあげる声を飲みこんで、黙って涙を流して泣きました。辛くない。辛くないんだ、こんなこと。でもそう思おうとすればするほど、辛くて、悲しくて、涙があふれて止まらないのでした。パピは自分の体の手入れをし終わると、タオルで体をふきつつ、鏡に映る自分の裸をみました。象牙を彫ったような白い少女の裸体がそこにありました。パピの乳房のふくらみは痛々しいほどまだ小さくて、薄紅の花がそのてっぺんに咲いていました。
パピは突然思いました。「ミラみたいに、星の名前がほしい!」
パピは急いで服を着ると、風のように部屋を出て、奥の事務室で帳簿を読んでいるマダム・ヴィオラのところに行き、自分もミラのように、星の名前が欲しいと言いました。
「星の名前?なんでだい?」マダム・ヴィオラは、面倒くさいと思いながらも、そっけなく追い返したりはせず、帳簿から目を上げて、パピを見ました。
「ミラに聞いたの。ミラは星の名前だって。そしていつか、ミラはミラに帰るんだって。わたしもいつか、自分が帰れる星がほしい」
「パピじゃいやなのかい?かわいいって、お客さんには気に入られてるんだけどねえ」
「星の名前がいいの。ミラみたいな、きれいな星の名前がほしいの」
「やれ、わけがわからん。でもわかったよ。ミラのお客さんに、大学で星の研究をしている先生がいるから。きっとその人が、ミラに教えたんだろう。その人が今度来た時、聞いといてあげよう」
「ほんと?きっとね!ありがとう、マダム・ヴィオラ!」
パピは大喜びで、子どものようにはねて、マダム・ヴィオラの頬にキスをしました。マダム・ヴィオラは、びっくりしたように目を丸めて、ふう、と息をつきました。
それから数日後のこと。昼時にパピが皆と一緒に大部屋で軽い昼食をとっていたとき、マダム・ヴィオラがパピのところにきて、言いました。
「例の先生に聞いといてあげたよ。南十字の星に、ミモザというかわいい名の星があるそうだ。どうだね」
「ミモザ?」パピはマダム・ヴィオラの顔を見あげながら、きょとんと返しました。マダム・ヴィオラは続けました。「どう、きれいだと思うがね」「ミモザ…、ミモザ…」パピがつぶやきながら考えていると、隣に座っていたミラが少し笑いながら言いました。「ミモザって、花の名前にもあるわよ」
「…あ、そうだ、わたしも見たことがある。黄色くって丸いとてもきれいな花」「星も花も、どっちもきれいじゃない」「うん、きれいね」
パピが言うと、マダム・ヴィオラがパピに言いました。
「気に入ったかい。じゃあ、パピは今日からミモザだね?」「うん、ミモザ、ミモザにするわ!」パピは大喜びで言いました。
その夜、パピ改めミモザのところに、馴染みのお客さんがひとりやってきました。それは、ミモザの死んだお父さんくらいの年の男の人で、車の修理工場の社長さんでした。名前が変わったことをお客さんに告げると、お客さんは興味もなさそうに言いました。「へえ、星の名前ねえ」「うん、そうなの、きれいな名前でしょう」「パピのほうがかわいかったがな」「うん、でも今日からはミモザって呼んでね」「まあいいがね」
ミモザが仕事を終えて、自分のヴァギナを洗い終わり、体を拭きながらふと鏡を見ると、ミモザは自分の裸身が、いつもより白く光っているように見えました。きっと自分が星の名前になったからだと、ミモザは思いました。ああ、これで、どんなにつらくても、いいんだ。帰ってゆける星ができたのだもの。お空にある、遠いわたしの故郷…。どんなにつらくても、お空には、わたしの星の、天国があるんだ…。
美しい黒髪のミラが死んだのは、それから一カ月後のことでした。
お客さんにもらった睡眠薬を、たくさん飲んだのです。ベッドの横の小机に、小さな紙切れに書いた遺書が置いてあり、ただ一言、「ごめんなさい」とだけ書いてありました。マダム・ヴィオラは、亡骸の前で声もなく泣いていました。ミラにはもう、家族も故郷もなかったので、マダム・ヴィオラが、ミラの小さなお葬式をやってくれました。親切な牧師さんが来てくれて、ミラのために祈ってくれました。ミモザも黒い服を着て、棺の中のミラに小さな薔薇の花をあげました。
「ミラに帰ったのね、ミラ」ミモザはそっとミラにささやきました。
お葬式があった日の夜、早々に、ミモザのところに客がやってきました。その夜の客は、ミラの馴染みのお客でした。いつもミラばかりを指名していたのだけど、ミラが死んだので、代わりにミモザのところにきたのです。
ミモザは悲しむ暇もなく、お客のお世話をしました。お客さんは、ミラが死んだと聞いても、別に驚いた様子も悲しむ様子もないようでした。ミモザは、ミラが生きていたとき、言っていたことを思い出しました。
「この仕事はね、『男』っていう赤ん坊の、命令を全部聞けって仕事なのよ。女は男のためにどんな辛いことでも何でもやって、男の方がずっと偉いんだってことに、してあげるの。そして結局、女は、全てを与えて、何にもなくなって、どこかに消えていくの…」
そうね、ミラ。ミモザはまだちびだから、よくわからないけど、お客さんはみんな、えらそうにしてても、ほんとはママみたいにミモザに甘えて、なんでもやってもらいたいみたい。とミモザは心の中でミラに言いました。
お客が用をすまし、金を払って帰っていくと、ミモザはお風呂場に行き、自分のヴァギナを宝物のように丁寧に洗いました。そしてきれいに手入れをすると、清潔な下着をつけ、マダム・ヴィオラがくれた、安物で、少し派手ではあるけれど、薔薇の花模様のきれいな寝巻を着ました。そして窓を開けて夜空を見ながら、言いました。
「ミラ、今頃はどこにいるの?」
黒い空にはうっすらと銀河が横切っているのが見えました。ミラの星がどこなのか、ミモザにはわかりませんでした。そうして、夜空に目を吸い込まれているうちに、いつしか、心の奥にため込んでいた涙が、たっぷりとミモザの頬を濡らしていました。
南十字座にあるミモザの星は、ここからは見ることができないと言うことをミモザが知ったのは、もう少し後のことでした。
(おわり)
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