青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

2025-03-12 03:29:58 | 月の世の物語・余編第三幕

ある日のことです。月のお役所の一室で、黄色い髪をしたある役人が、知能器のキーボードの上で指をかたかたと踊らせていました。その音ときたらまるで本当に音楽のようでした。木製の知能器は、細やかで柔らかなところにも気がきくし、丁寧な情報処理をしてくれるので、大いに助かります。

役人が、画面の中の水晶グラフを、真剣な瞳で見つめつつ、様々に分析をしていると、ふと、こん、と音がして、知能器の画面が真っ白になりました。
「おや?」と役人は言いましたが、すぐ何かに気づいて指で印を書き、知能器に封じの魔法をかけ、指をパチンと鳴らして大声で周りの人に言いました。

「知能器をガード!役所内の知能器全て!」黄色い髪の役人が言った言葉は速やかにお役所全体に広がり、すぐに、お役所内のすべての知能器にガードがかかり、全ての知能器の画面が一時真っ暗になりました。

「どうしたんです?一体」と言いながら、同じ事務室にいた役人たちが、ただ一つ画面から光を放っている知能器の前に座っている、黄色い髪の役人に近付いてきました。

「最初は怪かと思ったんだが…、どうやら小精霊のようだ。姿を消してこの知能器に入り込んだらしい」黄色い髪の役人は白い画面に時折走る妙な線を見ながら言いました。「小精霊が何でこんなところにいるんです?」「わからない。小精霊はまだ道理が十分肝に入っていないから、日照界にある浮遊大陸から出てはいけないことになっているはずなんだが」「いたずらで妙なウイルスを作られたりしたら大変ですね」「どうしてこんなとこにきたものか。まあとにかく、早くこの小精霊を捕まえて、親役の精霊に渡さねば」皆が会話をしている間に、あちこちの部署から役人がこの事務室に集まってきて、問題の知能器と彼らを取り囲みました。

黄色い髪の役人は言いました。「みんなは、大丈夫かい?」「ああ、ガードの魔法印はほぼ完ぺきだから。データの保存も自動的にやってくれるし」「でも、こっちの魔法計算は最初からやり直さなきゃならないわ。最初からしないと意味がないのですもの」「お役所の知能器に入り込むなんて、どんな小精霊ですか?」
「詳細はこれから調べるところだ」と、黄色い髪の役人が言うと、ふと、真っ白な知能器の画面に、赤と黄色の小さな丸い点が現れました。黄色い髪の役人は、「おや」と言って、その小さな丸い点を見つめました。丸い点は画面の真ん中でテントウ虫のように這いながらぐるぐる回っていましたが、しばらくすると、急に、画面に碁盤模様が現れ、赤い点は小さな薔薇に、黄色い点はタンポポになって、碁盤の真ん中に二つ行儀よく並びました。

「ははあ、なるほど。わかったぞ。こいつ、花将棋をやりたいんだな」と、ある役人が画面を見て言いました。「きっとずいぶんと自分の腕に自信があるんだろう。それで、対戦相手が欲しくて、ここにきたんじゃないか? 月の役所には花将棋の名手が多いって噂があるから」

「…おやおや、このわたしに挑戦しにきたのかな?」黄色い髪の役人は、少し呆れたように笑いつつ、言いました。そして少し考えたあと、キーボードをカチカチと打ちました。すると、『花将棋をやりたいのかい?』という文字が、碁盤の右上の小さな枠の中に現れました。するとすぐにその文字は消え、代わりに、『ぼくは薔薇だ。君はタンポポだ。先行は君でいいよ』という文字が枠の中に現れました。周囲の役人たちの中から、くすくすという忍び笑いが聞こえました。黄色い髪の役人は周りの役人たちに言いました。

「よし、これで原因はわかった。封じの印を三重にするから、皆それぞれにガードを解いて仕事を始めてくれ。この小精霊が他のところにいく可能性は低いと思う。こいつの相手はわたしがするから」黄色い髪の役人が言うと、集まってきていた役人はおもしろそうに笑いながら、それぞれ自分の部署に帰ってゆき、知能器のガードを解いて再び自分の仕事を始めました。

『では、先にわたしが打つよ』と、キーボードを打つと、役人は右手の人さし指に息を吹きかけ、その指で直接画面に触れて、画面の中の黄色いタンポポの駒を動かし、碁盤の下方右の領域の真ん中あたりに打ちました。するとすぐに、薔薇の駒が動いて、左上方の真ん中あたりにとまりました。こうしてしばしの間、黄色い髪の役人は、小精霊を相手に、知能器で花将棋を打ちました。

最初は、小精霊だからと、少々甘く見ていた役人でしたが、途中から少し苦しくなってきました。どうやら、この小精霊もかなりの打ち手らしく、役人は何度か相手の手にはまって苦境に追い込まれました。しかしなんとか難況を打開しつつ、どちらかと言えば優勢を保ちつつ勝負は続いていきました。

「こんなのはどうだい」と言って役人が打つと、『きしょう、そこはずるいぞ!』という文字が画面の縁の枠内に現れました。役人はにやりと笑って、『はしたない言葉を使うもんじゃない。汚い言葉は空気を汚すって、お師匠さんに習わなかったか。さ、君の番だ』と文字を打ちました。小精霊は長考に入ったようで、しばしうんともすんとも言わなくなりました。

カチン、と知能器が音をたてると同時に、薔薇の駒が打たれました。すると役人は目を見開き、口を曲げました。『どうだ』という文字が画面の隅に現れました。「おや、これはまいりましたね」と言いつつ、役人は腕を組んで考え込みました。そして同時に、なんだか腹の中を小人にくすぐられているように、自分がやっていることがおかしくなってきて、口元を押さえて笑いをこらえました。『早くしろよ』と画面に文字があらわれました。『わかったよ』と役人は文字を打ち込みました。そして、仕方ない、負けてやるか、と思い、タンポポの駒をぱちりと打ちました。すると小精霊は大喜びで、『やあ、ひっかかったな!』と勝ち誇って薔薇の駒を打ちました。とたんに、知能器の中から赤い薔薇の花があふれ出し、事務室内が薔薇の花園になりました。ところどころに、金の星のようなたんぽぽも、咲いていました。どこからか小鳥の声が聞こえます。小さな蝶が花の間で瑠璃の星のかけらのように、ちらちらと光りながら飛んでいました。

「やあ、きれいだな」「ええ、いい香りだこと」役人たちは赤い薔薇の花園を嬉しそうに眺めました。知能器の画面は再び真っ白になり、『おれの勝ちだ、おれの勝ちだ!』という文字がうれしそうに踊って揺れていました。

黄色い髪の役人も、負けた方が得だったかなと思いつつ、美しい薔薇の園を眺め、ため息をつきました。そのとき、知能器がこんこんとまた妙な音をたてて揺れました。役人が驚いて画面を見ると、『このいたずらものめ!』という大きな文字が、画面の真ん中をゆっくりと横切りました。知能器の中から、かすかに、きゃあ、という悲鳴が聞こえました。そして不意に画面が暗くなって七色の星がほたるのようにたくさん揺れたかと思うと、急に画面が明るくなって元の水晶グラフが戻り、それと同時に薔薇の花園はゆっくりと消えていきました。役人たちが少し花を惜しみつつ事務室を見回していると、いつしか知能器の上に、暴れる猫の首根っこを右手に捕まえているひとりの大きな精霊が浮かんでいたのです。

精霊は知能器の上からひらりと床に降りてくると、黄色い髪の役人に深く頭を下げて、言いました。
「真に申し訳ありません。わたしがこの者の親役でございます。この者、花将棋が好きでたまらず、毎日そればかりやっているうちに、周りに自分の相手をしてくれる者がいなくなってしまったので、こんな大変なことをしてしまいました。お役所内のお仕事を大変にお邪魔してしまったこと、深くお詫びいたします。どうかお許しください。ほんとうにもう、二度とこんなことはしないよう、きつく叱っておきます」
親役の精霊は男性で、姿も衣服も人間にそっくりでしたが、どことなく梟に似た顔をしており、長い金髪と見える髪はよくみると細くしなやかな長い羽根でありました。彼に首根っこをつかまれて暴れている猫は、夜のように黒い猫で星のような明るい銀の目をしており、額のあたりに、透き通った小さい角がありました。

黄色い髪の役人は立ち上がって自分も挨拶をし、「いや、久しぶりにひと勝負できて、おもしろかったですよ」と笑いながら言いました。親役の精霊は恐縮してもっと深くお辞儀をしました。そして猫の小精霊の頭を小突くと、短い言葉で説教し、頭を下げさせました。「ごめんなさい。もう二度としません」親役の精霊に叱られた猫の小精霊は、目に涙を浮かべつつ、うつむいてしょんぼりとしながら言いました。

「これもわたしのしつけのいたらぬせいと、反省いたしております。このお詫びは必ずいたします。本当にご迷惑をおかけしました」と言うと、親役の精霊は再び深く役人に頭を下げ、小精霊をつれて、事務室の窓から飛んで帰っていきました。黄色い髪の役人は、精霊たちを見送ると、ほっとして、知能器を透き見てみました。すると、三重の封じ印は見事に砕かれていて、一部、小精霊が荒らしたらしい知能器内の長い紋章の回路を実に正確に書きなおしたあとが見えました。役人は、親役の精霊は相当な力の持ち主と見て、ほお、と声をあげました。彼は砕けた印のかけらを呪文で溶かすと、すぐに元の仕事に戻りました。

花将棋の相手をさせられている間に、止まっていた仕事は、彼の魔法と努力ですぐ遅れを取り戻すことができました。知能器もちゃんとデータを避難させて保存しており、それほど大きな害はなく、この小さな事件は収まりました。

「おや、見てください」ふと、役人の一人が言って、窓の外を指さしました。すると、そこには、月長石の大地の上の紺青の空に、大きな半円形の不思議な月虹がかかっていたのです。虹は白みがかった七つの色を宝石の光のように束ね、自らかすかな光を放ちながらくっきりとそこに立っており、それはまるで、不思議な別世界への入り口のように見えました。そしてそれをずっと見ていると、石英の百合のような清らかな喜びの響きが観る者の耳にかすかに届き、その音を聞いていると、胸の中に秘められた鈴が鳴り、魂の歓喜をかきたてられて、本当に自分は幸せだとみんな思うのでした。

「大きな虹だ。月で月虹を観るなど、不思議なこともあるものだ」「ほんとですねえ」役人たちはしばらく、その、美しくも幻想的な虹を見ていました。
「精霊たちのお詫びの気持ちでしょう」「実にきれいだ」「まだ消えませんよ。なんだかずっと見ていたくなるな」役人たちは顔を見合わせながら、今日はひと騒ぎあったが、なかなかにいいこともあったなと、幸福な微笑みを交わしたのでした。

月虹は、それから七日ほども、ずっとお役所の窓から見えていたそうです。


 
 
 
 

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