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定年退職者の目
これはいじめ
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11月07日(火)
<ショート>大きなお世話 (13) 子供は自分の鏡
一度や二度なら許される過失でも連続するとそれはいじめである。大人の世界ではいじめと悟られないようにするいじめがはびこる。うちの向かいの会社の駐車場が南隣りにあったとき,従業員が出勤してきて仕事用の車を出し入れする際,先に出した車を一時的にうちの前の道路に止めておく。店の中に入って今日の打ち合わせをするあいだ駐車違反をしていることになる。そして,車が出たあと,必ず吸殻が捨ててある。誰が掃除をしなければならないか分かっていて行う行為である。これが大人のいじめの具体例である。 | ||
回覧板が北隣りから1ヶ月に2度廻ってくる。チラシをはさむものは分厚いファイル状の形のものである。郵便受けに入れてある。先に入っている薄いチラシや夕刊程度のものは回覧板の下敷きにされてしわくちゃにされている。毎回これが起こっている。自分にはこんなことはできない。中にはいっていればそれと一緒に重ねて入れなおすぐらいのことはする。こんなことは社会人の常識中の常識である。ところがとなり同士と言うのは恨みがあるのだろう。建物が境界線を超えた超えないとか,枝が出たとか出ないとかでとかく利害関係が絡むものである。いじめと悟られないようにするいじめの例であるが,これが複数で面と向かってする子供たちのいじめはたちが悪い。これを許してるのはその親である。自分の子供がいじめをやっているかどうかぐらいわかるのが親というものである。 |
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隣接する漁協は仲が悪い。
教会争いで「血を見る」騒動が
付きものであったからです。
今はそんな大騒動はないですが
或る意見を言うと、必ずと言って良いほど
両隣の漁協から
一言反対の意見が開陳されます。
土地の境界線問題は親の代から続いていますから,これは末代まで続くと思います。
それでも近所として顔を見ますから,笑顔で接しなくてはなりません。
不特定多数からのポイ捨てには,市民として困りますね。町の美観を損ねます。
それに,トラックバックもものによっては困りますね。