●歩いた日:2017年1月26日(木)
●歩いた所:長森・真山・館前・仲谷地
●歩いた足跡(ログ)(道のり:3.3km)
(以上の地図:国土地理院)
「政庁」跡から緩い傾斜地を登り、「長森」の一番東側の高いところに至る。木々に遮られてあまり視界は利かない。今登って来た方向にカメラを向ける。
📷003:「長森」の頂上にて
先ほど脇を通って来た、写真中央の2棟の建物は、帰ってから調べると、政庁東にあった建物を復元したものらしい。
ここからその建物の方へ引返す。
復元されたものだけに、太い柱と梁、りっぱな屋根組の頑丈な建物である。その支柱越しに下の平野をカメラに収める。
📷004:「長森」から平野を望む
平野には陽が射して穏やかな冬景色であるが、東山は薄い雲に覆われて霞んでいる。
ところで、「払田の柵」が築かれたのは、西暦801年頃とあり、今から1200年以上も前の平安時代の初期で、「坂上田村麻呂」による奥州遠征(敢えて征伐とは書かない)の時期と重なる。文献資料には出てこない「幻の柵」とも云われるらしいが、そのこととも相まって、古代ロマンが掻きたてられる場所である。
「政庁」跡に下っていくと、前方に白い標柱があるので、それを見に行く。
📷005:「菅江真澄の道」の標柱
近づいて見ると「菅江真澄の道」の標柱である。考えてみると、「真澄」がここに来た江戸時代末期には、この柵跡はまだ発見されていない。標柱の説明書きは下の方が雪に埋もれて見えないが、「真澄」はこの地の「八幡宮」を訪れたようである。「八幡宮」は、📷004のところのすぐ北にあった小さな建物のことか、確かめずに来てしまった。「真澄」の標柱は、この後登った「真山」にもあった。
標柱の後ろから右前方へ延びる線はスキーの跡、右端から左前方の延びる線は動物の足跡、こんなところにも動物がいるらしい。
いったん「長森」を下り、南麓の、雪に埋まった道を西に進む。
(その3に続く)
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