<今回のログ(足跡)>
●歩いた日:2025年1月12日(日)
●歩いた所
・三本扇(横 沢):篠沢、葛堀、高花、上川原
・中 里(横 沢):二十町
・横 沢(横 沢):塀内清水、堀ノ内、泥窪
・川 口(長信田):千本野、下千本野、松葉尻、田屋野、清水川尻
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.8km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
雪が降ってからなかなか天気に恵まれず、「仙北平野」歩きに出かけられずにおりましたが、年明けの1月12日(日)になってようやく青空がのぞく穏やかな天気となりましたので、久しぶりに出かけることにしました。
ただ、雪が積もると車を停めておくスペースがなかなか見つけづらくなります。車を走らせながら思い巡らせていると、前回の「横沢を往く-4」で歩いた時に、「県道11号」=「角館-六郷線」沿い、「川口川」にかかる「中里橋」と「真昼川」にかかる「真昼川橋」の間に、閉店したスーパーのような建物があり、駐車場だったと思われる広い空地があったことを思い出しました。除雪されているかどうかわかりませんでしたが、まずはそこを目指すことにしました。
着いて見ると、その空き地の一角に建設会社の現場事務所が建っており、空地もきれいに除雪されております。この日は日曜日で事務所の仕事も休みでしたので、その空き地の隅に車を置かせてもらうことにしました。
今回も「川口川」沿いの地域で、前回のさらに上流部を歩いてきました。それでは本文に入ります。
車を停めた場所は「川口川」と「真昼川」に挟まれた中洲のようなところで「篠沢」である。スタートしてすぐ「県道11号」に出、北に向かって進む。すぐ「中里橋」に至る。
(「中里橋」から東を望む)
歩道橋を渡って、北側のたもとから「川口川」の上流方向を望む。
薄曇りの空には青空ものぞく。奥の「東山」の麓にはまだ霧が漂う。
橋を渡ると「二十町」である。少し行って行く手を望む。
📸001:「二十町」付近の「県道11号」
「県道11号」はこの辺りから家並が続き、街のたたずまいになっている。
「二十町」、最初にこの地名を目にした時、何と読むのだろうと思った。「地名へのいざない」を紐解いているうちに「ハタチマチ」であることがわかる。「ハタチ」は「ハダチ(羽立)」が転訛したもので、「開墾地」、「端の地」を意味するとある。ここは昔の「中里村」の東の端に当たるところではある。
さらに進むと、道端の街灯の支柱に「秋田県民歌のふるさと」の看板がかかる。
「秋田県民歌」というとS34年に制定された「秋田県民の歌」と、S5年に制定された、文字通りの「秋田県民歌」がある。調べると、「旧太田町」をふるさととするのは後者の古い「県民歌」の方である。この歌を作詞した「倉田政嗣」が「旧太田町」の人であることから、ふるさとと称しているようだ。
作曲者は、県北の「北秋田市米内沢」出身で、「浜辺の歌」や童謡の「かなりあ」を作曲した「成田為三」である。
この県民歌は、戦後はずっと歌われなくなったが、詩情豊かな文語調の歌詞と朗々と歌い上げるメロディーが一体感を感じさせるせいか、バスケットボールやサッカーの地元チームのサポーターが最近好んで歌う歌になっている。
ちなみにその詞の一番は、
秀麗無比なる 鳥海山よ 狂瀾吼え立つ 男鹿半島よ
神秘の十和田は 田沢と共に 世界に名を得し 誇の湖水
山水皆これ 詩の国秋田
この詞は私も大好きである。ただ、私たちが子供の時に習ったのはS34年制定の「県民の歌」で、古い「県民歌」は、大人になって職場の先輩が飲み会の席で歌うのを聞いて知った。
県民歌の話が長くなってしまった。「県道11号」を引き続き北に向かう。
📸002:「二十町」付近の「県道11号」2
この辺りは、店のたたずまいをした建物や医院、スナックの看板もあって、昔の「横沢村」の中心部になるようだ。
(②に続く)
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