ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町横沢・長信田を往く-3①

2025年01月22日 | 旧太田町を往く

<今回のログ(足跡)>

●歩いた日:2025年1月12日(日)

●歩いた所

 ・三本扇(横 沢):篠沢、葛堀、高花、上川原

 ・中 里(横 沢):二十町

 ・横 沢(横 沢):塀内清水、堀ノ内、泥窪

 ・川 口(長信田):千本野、下千本野、松葉尻、田屋野、清水川尻

●歩いた位置


 
●歩いたログ(足跡)(道のり6.8km)

 (以上の地図:国土地理院地図に加筆)

 雪が降ってからなかなか天気に恵まれず、「仙北平野」歩きに出かけられずにおりましたが、年明けの1月12日(日)になってようやく青空がのぞく穏やかな天気となりましたので、久しぶりに出かけることにしました。

 ただ、雪が積もると車を停めておくスペースがなかなか見つけづらくなります。車を走らせながら思い巡らせていると、前回の「横沢を往く-4」で歩いた時に、「県道11号」=「角館-六郷線」沿い、「川口川」にかかる「中里橋」と「真昼川」にかかる「真昼川橋」の間に、閉店したスーパーのような建物があり、駐車場だったと思われる広い空地があったことを思い出しました。除雪されているかどうかわかりませんでしたが、まずはそこを目指すことにしました。

 着いて見ると、その空き地の一角に建設会社の現場事務所が建っており、空地もきれいに除雪されております。この日は日曜日で事務所の仕事も休みでしたので、その空き地の隅に車を置かせてもらうことにしました。

 今回も「川口川」沿いの地域で、前回のさらに上流部を歩いてきました。それでは本文に入ります。

 車を停めた場所は「川口川」と「真昼川」に挟まれた中洲のようなところで「篠沢」である。スタートしてすぐ「県道11号」に出、北に向かって進む。すぐ「中里橋」に至る。

(「中里橋」から東を望む)

 歩道橋を渡って、北側のたもとから「川口川」の上流方向を望む。

 薄曇りの空には青空ものぞく。奥の「東山」の麓にはまだ霧が漂う。

 橋を渡ると「二十町」である。少し行って行く手を望む。

📸001:「二十町」付近の「県道11号」

 「県道11号」はこの辺りから家並が続き、街のたたずまいになっている。

 「二十町」、最初にこの地名を目にした時、何と読むのだろうと思った。「地名へのいざない」を紐解いているうちに「ハタチマチ」であることがわかる。「ハタチ」は「ハダチ(羽立)」が転訛したもので、「開墾地」、「端の地」を意味するとある。ここは昔の「中里村」の東の端に当たるところではある。

 さらに進むと、道端の街灯の支柱に「秋田県民歌のふるさと」の看板がかかる。

 「秋田県民歌」というとS34年に制定された「秋田県民の歌」と、S5年に制定された、文字通りの「秋田県民歌」がある。調べると、「旧太田町」をふるさととするのは後者の古い「県民歌」の方である。この歌を作詞した「倉田政嗣」が「旧太田町」の人であることから、ふるさとと称しているようだ。

 作曲者は、県北の「北秋田市米内沢」出身で、「浜辺の歌」や童謡の「かなりあ」を作曲した「成田為三」である。

 この県民歌は、戦後はずっと歌われなくなったが、詩情豊かな文語調の歌詞と朗々と歌い上げるメロディーが一体感を感じさせるせいか、バスケットボールやサッカーの地元チームのサポーターが最近好んで歌う歌になっている。

 ちなみにその詞の一番は、

 秀麗無比なる  鳥海山よ  狂瀾吼え立つ 男鹿半島よ

 神秘の十和田は 田沢と共に 世界に名を得し 誇の湖水

 山水皆これ   詩の国秋田

 この詞は私も大好きである。ただ、私たちが子供の時に習ったのはS34年制定の「県民の歌」で、古い「県民歌」は、大人になって職場の先輩が飲み会の席で歌うのを聞いて知った。

 県民歌の話が長くなってしまった。「県道11号」を引き続き北に向かう。

📸002:「二十町」付近の「県道11号」2

 この辺りは、店のたたずまいをした建物や医院、スナックの看板もあって、昔の「横沢村」の中心部になるようだ。

(②に続く)


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