<「君信」の風景>
●歩いた日:2024年9月25日(水)
●歩いた所
・板見内:長仙寺、北畑、蛇塚、君信、関口、下川原
・三本扇:羽見内、高野、宮内、侭下川原 ※「三本扇」は「旧太田町横沢」に属す。
・本堂城回:西舘、北館、嶋田 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。
●歩いたログ(足跡)(道のり7.9km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(📸002から)またしばらく行ったところで、左手前方を望む。
📸003:「君信」の風景
赤い大きな屋根はログ地図にもある寺で、この後立ち寄った「霊仙寺」である。
境内に生い茂る高い木立の連なりが見事な景観を創り出している。木立の手前に多くの墓石が立ち並ぶ。
この辺りは「君信」(「板見内」)である。「地名へのいざない」によると、「キミ」は「ひび割れの地形」、「ノブ」は「~のような地形が延びた場所」とあり、「川口川」の浸食による地形に由来するようだ。
さらに東に進む。ふと足元を見ると、かなり大きな「芋虫(イモムシ)」(7~8cm程はありそう)が砂利道を這っている。靴のつま先で触れると、這うのを止めて体を折り曲げる。強い日射しによる影を消すため、強制発光してカメラに収める。
(お前は何者だ!!)
体にはなかなか面白い文様がある。この文様を手掛かりに調べて見ると、「スズメガ(雀蛾)」の一種、「セスジスズメ(背筋雀)」の幼虫である。
七対の斑点状の文様と尾部にあるトゲ状の突起が特徴的である。斑点状の文様をよく見ると、頭部の方の二対は「蛇」の目に似ており、擬態によって身を守っているようだ。なかなか面白い。
引き続き田んぼ中のあぜ道を東に行くと、南北に延びる舗装道路に突き当たる。そこを右折して「矢島川」にかかる橋の上から南西方向を望む。
📸004:「本堂城跡」を望む
中央やや右寄りに、「本堂城跡」の一角に茂る大きな木立が見える。国替えによって「本堂氏」がこの地を去った「江戸時代」」の初めから生い茂っていた木ではないだろうが、城(館?)跡と思えば何とはなしに歴史を感じさせる風景である。
奥に連なるのは「館間」の家々。
橋の上から川をのぞくと、15cm程の魚がいっぱい泳いでいる。体長に沿って縞模様のようなものが見えるが、「ウグイ」や「ハヤ」の類だろうか。
橋から少しだけ引き返したところで行く手を望む。
(「嶋田」の一角)
「矢島川」にかかる橋のすぐ北側に数軒の家が建ち並ぶ。「嶋田」の家々である。「嶋田」も「北館」、「西館」とともに「本堂城回」に属する。
先ほどは、道左手ガードレールのすぐ向こうのところに左手から来ところ。その道を見送って奥(北)に向かう。「嶋田」から「君信」(「旧千畑町」から「旧仙北町」)に入ると、まもなく道の両側に多くの墓石が立ち並ぶ。その間を通り抜けて📸003に写る寺の山門前に至る。
📸005:「君信」の「霊仙寺」
山門脇の石柱に「曹洞宗 霊仙寺」と刻まれている。山門前の駐車場はきれいに清掃されており、境内のたたずまいもすっきりしており、管理が行き届いている感じである。
石柱脇の白い標柱は「菅江真澄の道」の標柱である。近づいて見ると、「本山は白岩村(「旧角館町」)の雲岩寺也」の記述がある。
ところで、前回歩いた「長仙寺」の地名は、かつてその地にあり、「江戸時代」の「元禄4年」に現在の「秋田駅」近くに移された「長仙寺」(移転先では「長泉寺」)に由来するとあった。「長仙寺」があった場所と「霊仙寺」は1km程しか離れていない。「長仙寺」が移転した後に「霊仙寺」が創建されたのだろうか、それとも、かつてはこんな近くに二つの寺が存在したのだろうか。両寺とも「曹洞宗」で、名前もなんとなく似ている・・・。
(③に続く)
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