(すでに4月に入り、我が「仙北平野」も日一日と春の装いを濃くしており、また、秋田県内からも桜の便りが聞こえて来ようとしているこの時期に、引き続き「歩くスキー」の話題で恐縮ですが、続きを掲載します。)
<4月6日の「大曲花火公園」>
<歩いたログ(足跡)>
(地図:国土地理院)
この辺りから引き返すこととし、堤防すぐ下の河川敷を北に向かう。少し進んでから堤防上に上がる。
上がったところの堤防上の道は、堤防のすぐ下に住む人たちの生活道路でもあるのだろう、きちんと除雪されている。
堤防左手に茂る、先端が細かく枝分かれしている木々は、河川敷でよく目にする木立だ。「雄物川」が改修される前は、この辺りが河川敷だった名残りと思われる。
堤防上から「姫神山」に目を向ける。
雲が切れて、テレビ塔やその直下の杉木立がよく見える。天気が良ければ登る人もだいぶいるだろう。
堤防上は歩けないのでまた下におり、再び河川敷を北に向かう。
目標物を決めて、それに向かってまっすぐ歩いて見る。
目標物を決めてまっすぐ進むのは、トラクターや田植え機などを運転する時に行う方法である。振り返って見ると、スキー跡は微妙に曲がっている。なかなか難しい。
「姫神橋」の少し手前でまた堤防上に上がり、さらに進んで車に戻る。
以上で歩くスキーの記事は終わりだが、4月に入ったことだし、その後、「花火公園」の様子はどうなっているだろうと思って、6日(水)に立ち寄ってみた。
すると・・・。
公園となっている河川敷には、ほんの少しの雪が残っているものの、ほとんど融けており、散歩をする人の姿も見えた。
堤防のすぐ下に、2月に来た時には半分程雪に埋もれていた公園の看板が見える。車で堤防を下り、近くまで行ってみる。
2月の時は「雄物川」の字までしか見えなかったので、その下まで雪が積もっていたことになる。1m程の積雪になるようだ。
また堤防に戻って「花火大橋」の方に車を走らせていくと、道端に「大曲捷水路」と書かれた大きな看板がある。
この辺りの「雄物川」の付替え工事についてはその1でも触れたが、付替え前のS22(1947)年と付替え後のH15年の航空写真で直接比較できるようにしてある。
青い点線で囲われた付替え部分を拡大して、より比べ易いようにしたのでご覧いただきたい。まずはS22年の写真。
「現在地」は看板の立つ位置である。昔はこの看板の辺りから東に、その後西に大きく蛇行して流れたいたことが分かる。
流れが最も東側に寄ったところに街を流れてきた「丸子川」が注いており、かつてはこの辺りで花火が打ち上げられていたと記憶している。
ピンクの矢印で指し示した木立は、その一部が屋敷林で家が建つところでもあるが、現在の堤防の外側になるので、次のH15年の写真にも写っている。
現在の堤防の中(内側)にも木立が見える。この辺りにも何軒か家があったと思われるので、それらの家々はどこかに移転したのであろう。
次にH15年の写真。
蛇行していた流れがショートカットされて真っすぐになった。ショートカットによって、「旧雄物川」の一部は「丸子川」の流れになり、そのほかは埋め立てられたことが分かる。埋め立てられたところ、かつては川原や田んぼだったところに市街地が大きく広がっていったことも分かる。
ピンク色の矢印が指し示す木立はS22年の姿をそのまま残しているが、「雄物川」の左岸から右岸に変わってしまった。
(終わり)
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