<「竹原」、「湯ノ沢」の風景>
●歩いた日:2022年8月22日(月)
●歩いた所
・金沢東根: 湯ノ沢、蛭川、川原田、竹花、善知鳥坂、観音下、寺村、元屋敷、大石
●歩いたログ(足跡)(道のり8.0km)
(以上の地図:国土地理院)
ここ(📷009の位置)から道は「湯ノ原」の集落に入り、家々の間を抜けて緩い坂を下って行くと十字路がある。
📸010:「竹原」の一角にて
十字路で振り返った写真。道左手の家は「竹原」だが、右手の家々は「湯ノ沢」ようだ。
十字路から東に折れて山沿いの道を行くことにし、行く手を望む。
(「竹原」の一角にて2)
右手の標識の支柱に「ここは金沢東根字竹原です」の案内板がかかる。
道奥の山裾に点々と建つ家々も「竹原」である。
東を望んでいると、道の左手、少し奥まったところに石碑が見える(写真中段左端)。何の石碑か興味をそそられてそこに向かう。
(「竹原」の「金沢東根小学校之跡」碑)
近づいてみると、石碑には「金沢東根小学校之跡」と刻まれている。
裏には小学校の沿革も刻まれている。それによると、M20年に発足、T3年に「湯ノ沢29番地」に移転、S47年に統合して「千畑南小学校」(ブログの始めの方で書いたように、この小学校も統合に伴って廃校になり、現在は「美郷町歴史民俗資料館・佐々木毅記念室」となっている)となる、ある。
調べると「湯ノ沢29番地」は、📷009と010の半ほどの東側、山裾の辺りのようだ。そこに校舎が写っている古い航空写真がないか、探してみると・・・。あった!!。S43年の航空写真がある。
右上、調べた番地のところに校舎が写っており、学校に至るまっすぐな道やグランドも確認することができる。こんな写真を見つけるとうれしくなる。
当初の学校跡である、石碑が建つ位置も示した。T3年にそこからすぐ北に移転し、60年近くもそこに学校があったことになる。山裾の小高い場所にあった学校からは「仙北平野」が一望され、その風景は一人一人の生徒の記憶に刻まれたことだろう。
(その5に続く)
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