時に諸もろの比丘、須らく四人の衆有りて羯磨事を起こすべし、五比丘衆、十比丘衆、二十比丘衆にても羯磨事を起こすべし。是の中、大衆集会するに疲れ極む。
諸もろの比丘、仏に白す。
仏言く、「戒場を結ぶことを聴す。当に是の如く結ぶべし。白二羯磨して四方界相を称えよ。若しくは杙、若しくは石、若しくは疆畔を安じて、斉限と作せ。
衆中には当に堪能の羯磨の人を差わすこと上の如し、『大徳僧よ聴け、此の住処の比丘、四方小界相を称す。若し僧の時として到らば、僧忍聴せよ。僧今、此の四方小界相内に於いて、戒場と作し、白すこと是の如し』
『大徳僧よ聴け、此の住処の比丘、四方小界相を称す。今、僧の此の四方小界相内に於いて、戒場を結ぶ。誰ぞ諸もろの長老、忍じて、僧の此の四方相内に於いて戒場を結べば、黙然として、誰ぞ忍ぜざらんや』
『僧、已に忍じて此の四方相内に、戒場を結び竟んぬ。僧、忍じて、黙然たるが故に、是の事、是の如く持す』」。
『四分律』巻35「説戒犍度上」
これは、何を言っているかといえば、まず、羯磨事(決議のこと)を起こすべきだとし、その場合には4人以上の比丘を要するという。ただし、5人、10人、20人以上でもそれぞれ決議を行うことが出来る。ただし、この内、余りに多い比丘の数が集会すると、それだけで疲れてしまうという。また、普通なら決まることも決まらなくなることもある。
その一件に、他の大衆の受け入れの問題がある。つまり、新たに比丘を認める際に、反対意見があると決まらないのである。
そこで、その新たな比丘を受け入れる戒壇(戒場)を作る必要があるのだが、その場合、「白二羯磨」、つまり一度問題提起し、それに対して一度決議することで、「四方界相」を置けるという。その場合、杭や石などを置いて、その場所が「戒場」だと分かるようにする必要がある。そして、それは通常の結界に対して、「四方小界相」だとしている。
そうして作られた小さな結界の中で、戒場と結び、その中で定められた比丘達が、授戒のための白四羯磨を行うのである。なお、今となっては、戒壇は常に設置されることとなっており、そこは常に結界となっている。ただ、最初は上記のように結界を作り、そこを戒場にするという手続きを要したのである。
そして、他の律蔵でも同様にこの辺を示していることが分かったので、それは更に学ぶ機会を得てみたい。
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