つらつら日暮らし

戒壇の結界について(1)

『四分律』を読んでいると、正式な比丘を認める受戒を行う戒壇の結界についての記載があるわけだが、それを見ておきたい。

 時に諸もろの比丘、須らく四人の衆有りて羯磨事を起こすべし、五比丘衆、十比丘衆、二十比丘衆にても羯磨事を起こすべし。是の中、大衆集会するに疲れ極む。
 諸もろの比丘、仏に白す。
 仏言く、「戒場を結ぶことを聴す。当に是の如く結ぶべし。白二羯磨して四方界相を称えよ。若しくは杙、若しくは石、若しくは疆畔を安じて、斉限と作せ。
 衆中には当に堪能の羯磨の人を差わすこと上の如し、『大徳僧よ聴け、此の住処の比丘、四方小界相を称す。若し僧の時として到らば、僧忍聴せよ。僧今、此の四方小界相内に於いて、戒場と作し、白すこと是の如し』
 『大徳僧よ聴け、此の住処の比丘、四方小界相を称す。今、僧の此の四方小界相内に於いて、戒場を結ぶ。誰ぞ諸もろの長老、忍じて、僧の此の四方相内に於いて戒場を結べば、黙然として、誰ぞ忍ぜざらんや』
 『僧、已に忍じて此の四方相内に、戒場を結び竟んぬ。僧、忍じて、黙然たるが故に、是の事、是の如く持す』」。
    『四分律』巻35「説戒犍度上」


これは、何を言っているかといえば、まず、羯磨事(決議のこと)を起こすべきだとし、その場合には4人以上の比丘を要するという。ただし、5人、10人、20人以上でもそれぞれ決議を行うことが出来る。ただし、この内、余りに多い比丘の数が集会すると、それだけで疲れてしまうという。また、普通なら決まることも決まらなくなることもある。

その一件に、他の大衆の受け入れの問題がある。つまり、新たに比丘を認める際に、反対意見があると決まらないのである。

そこで、その新たな比丘を受け入れる戒壇(戒場)を作る必要があるのだが、その場合、「白二羯磨」、つまり一度問題提起し、それに対して一度決議することで、「四方界相」を置けるという。その場合、杭や石などを置いて、その場所が「戒場」だと分かるようにする必要がある。そして、それは通常の結界に対して、「四方小界相」だとしている。

そうして作られた小さな結界の中で、戒場と結び、その中で定められた比丘達が、授戒のための白四羯磨を行うのである。なお、今となっては、戒壇は常に設置されることとなっており、そこは常に結界となっている。ただ、最初は上記のように結界を作り、そこを戒場にするという手続きを要したのである。

そして、他の律蔵でも同様にこの辺を示していることが分かったので、それは更に学ぶ機会を得てみたい。

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