天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

お彼岸報告

2007-03-22 14:30:46 | 法要
昨日は無事お彼岸法要を勤修させていただきました。
本堂ご満堂のご参拝をいただき、本当に有難く思います。
春の一日、皆さんと共に仏法を味わうご縁となりました。

午後1時半より、法要です。
まずはお参り。
皆さんとお正信偈をあげました。




続いて、ご法話。
今年は去年に引き続き、武蔵野大学教授のケネス田中先生をご講師にお迎えし、「人生は素晴らしい―世界は心が作り出す」というご講題でご法話いただきました。







お話の中でご紹介いただいた詩が心に残りました。
他人の事としてではなく、自分の事ととして味わいたい詩です。


『ちょうど良い』 前川五郎松氏

お前はお前でちょうどよい
顔も体も名前も姓も
お前にそれはちょうどよい。

貧も富も親も子も息子の嫁も
その孫もそれはお前にちょうどよい。

幸も不幸もよろこびも
悲しみさえもちょうどよい。

歩いたお前の人生は
悪くもなければよくもない
お前にそれはちょうどよい。

地獄へいこうと極楽へいこうと
行ったところが、ちょうどよい。

うぬぼれる要もなく、卑下する要もない
上になければ下もない
死ぬ日月さへもちょうどよい。

仏さまと二人つれの人生
ちょうどよくないはずがない。

これでよかったと、いただけた時
憶念の信が開かれます。



ピアノ伴奏のご門徒Tさん。
今までのテープでは味気なかったので、ピアノで伴奏いただけるようになって皆さんとても喜んで下さっています。
仏教讃歌を歌う時間が楽しみになりました。




司会の総代Mさん。
法要がスムーズに進むのも、司会の方のお力です。
上手な仕切りには、いつも感心させられっぱなし。
いつもありがとうございます。感謝感謝。




法要後はご講師のケネス先生も加わって下さり、なごやかな茶話会となりました。




途中からはお茶にとどまらず、ご門徒のFさんのお持ち下さった芋焼酎を堪能しました。
なかなか手に入らない珍しいものだそうで、皆さんとおいしく味わわせていただきました。
Fさん、ご馳走様でした。


おかげさま、おかげさま。
皆さんとありがたいお彼岸のご縁となりました。

南無阿弥陀仏

(静)








お彼岸法要

2007-03-21 09:57:15 | 法要
今日はお彼岸のお中日。
春分の日・秋分の日の前後3日間ずつがお彼岸の期間です。
そして今日はお彼岸期間の真ん中の日、これをお中日(ちゅうにち)といいます。

天真寺では今日の午後1時半からお彼岸法要が勤まります。
ご講師は、去年に引き続き武蔵野大学教授のケネス田中先生。
今年は先生のお得意のアメリカンジョークいっぱいで、とお願いしておきましたから、楽しいご法話となりそうです。

昨日は桜の開花宣言が出されました。
春らしい一日、どうぞお寺へお参り下さい。
皆さんご参拝をお待ちしております。

(静)




3月雅楽教室 --お稽古進んでます!--

2007-03-20 18:15:27 | 雅楽教室
3月の雅楽教室の報告です。

今回に限りお稽古開始が午後5時といつもより遅め。
では!といつも通りの午後3時に集合し、お稽古スタートまでの2時間で初自主練習を致しました。
自習練習とはいっても、まだ曲が吹けるわけではありませんので、ピーピーと音を鳴らしてみたり、指使いの復習をしてみたり。
それでもみんなで集まって一緒に練習するのは、楽しいものです。





今回新しくお仲間に加わって下さった方もいらっしゃり、うれしい限り。
いつでも大歓迎です。

終了後はお稽古の終わりがいつもより遅いということで、お好み焼きパーティーとなりました。
ご門徒のTさんのアイデアで、お餅を入れたりチーズを入れたりと美味しいお好み焼きが焼けました。
みんなでいっぱいいただいて、お酒もビールに日本酒とすすんだようです。
私もにぎやかで楽しくって、ちょっと食べ過ぎてしまいました。

来月は4月22日(日)午後3時から。
また次のお稽古が楽しみです~。

(静)


築地本願寺常例布教

2007-03-16 21:43:40 | 日々
今日明日と、若住職龍哉が築地本願寺の常例布教でお話をさせていただいています。
本人はとても緊張していますから、その様子を見ているだけで家族も緊張。

そんな時、祖母が言いました。
「おじいちゃん(前住職)は農協に勤めている時、布教がしたいからと1円も持たずに広島の仏教学院に行ったんだよ。結局は叶わなかったけど、それを孫がしてくれているからきっとよろこんでいるでしょう」と。

うちは元々島根県の山の中の小さなお寺です。ですから過疎地でご門徒さんも少なく、祖父は農協に勤めていたそうです。でも布教がしたいという思いから、広島へ出て、そこから都市開教を目指し東京に移りました。その間は他のお寺の法務員を勤め、大変苦労をして今の天真寺を建立しましたから、とても布教になど出る時間も余裕もなかったのです。ですから、その願いを孫が叶えてくれただけでよろこんでいるだろうと満足している様子です。

その言葉を聞いて、少しでも上手に話して欲しいな~と思っていた心が少し変わりました。うまい下手ではなく、このご縁をいただいたことに感謝し、とにかく精一杯にお話をさせていただくことが大事なんだな、と。

あと一日、明日を無事につとめさせていただけることを願っております。

(静)

「ダウン症の娘は私の女神」

2007-03-14 20:24:34 | 仏教
新聞の雑誌広告欄にふと目をやると、大平光代さんの記事が・・・
大平さんは、現在京都の中央仏教学院の通信学部で浄土真宗を学んでいらっしゃるとのこと。そんなことで、お名前がふと目に止まりました。

大平さんは中学2年の時のいじめを苦に武庫川の河川敷で割腹自殺未遂。その後、非行の道に入り、16歳で暴力団組長と結婚して極道の妻に。そして19歳で最初の出産。そんな彼女の転機は22歳の時。後に養父となる故・大平浩三郎氏との出会いで立ち直るきっかけを得る。「確かに、あんがた道を踏み外したのは、あんただけのせいやないと思う。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんんたのせいやで。甘えるな!」
猛勉強の末、29歳で中卒の学歴を乗り超えて司法試験に一発合格。31歳と弁護士となり、以降少年事件を中心とした弁護活動に講演にと日本中を駆け回る日々を過ごされます。

記事を読ませていただくと、昨年9月に女の子を出産、その子がダウン症と診断されます。
出産は高齢に加え、妊娠中に子宮筋腫があることが発覚したため、帝王切開と同時に筋腫を摘出。そのための大量出血で腎盂炎と高熱のための呼吸困難。14歳の時の割腹自殺未遂で、横隔膜や腸にも後遺症が残り、またホステス時代の過度の飲酒で肝臓も悪くされている。その上、刺青の入った背中は皮膚呼吸ができない。過去の傷が出産に災いしながらも、命がけで一つの命を誕生させます。

今回の出産で、大平さんは羊水検査をされなかったそうです。
現在では、妊娠中に検査によって障害の有無が分かり、その結果で産むかどうかの選択がされています。
私たちは今、いのちをいのちのまま見ることができなくなっています。
頭が良い遺伝的な病気がないなどの条件をつけて、人工的に子どもを産むところまで現実は来ています。
親の都合で、いのちが選別されている。しかし、これは親だけでなく、私たち一人一人が関わる社会が選別しているのです。
私だったらと考えると、子育てが大変だろうな自信がないなと、自分中心にしか見られない。今まで仏教を学んでいながら、仏さまのこころを頭で聞いていたんだと思い知らされました。

「この子ができて、時間がゆっくり流れるようになりました」
「今までは明日のために今日を犠牲にしてきましたが、この子を産んで、今日を無事に過ごせたこと、今日起きた出来事、今日生きていることのすべてがうれしくて。人生を生き直すきっかけをくれたこの子は、私の女神です」
こうおっしゃる大平さんの言葉にははっとさせられます。
今生きていることの喜び・・・
人と比べることなく、自分に関わるいのちを本当に愛おしんで大切にする姿に尊さを感じます。
いのちをいのちのまま慈しみ、共に育ちあうよろこびが満ちあふれている言葉です。

仏教はお寺でだけ、お経でだけで学ぶものではない。
自分が立ち止まり耳を澄ませば、あちらからもこちらからも仏さまの説法が聞こえてくる、というお示しにこころからうなずかされたことです。

(静)