正岡子規の「果て知らずの記」の草稿は、子規没後,大正2,3年頃、福島県の部分は反古になってしまいました。(寒川鼠骨識)
そこで、根岸の「財団法人子規庵保存会」の理事奥村雅夫先生、伊予松山の松山市立「正岡子規記念館」の学芸員平岡瑛二先生の助言をいただき、福島県内の子規の足蹠を検証してみました。
福島民友新聞社掲載
平成22年8月25日(水)
◎正岡子規が一高時代に野球に興じた上野の山の野球場(子規記念球場に建つ句碑)
◎正岡子規が白河駅に降り立ち、結城城の三重の塔を訪ねたと書き残している。結城城には三重の塔は歴史上は無かった。
子規は、白河領総鎮守鹿島神社に建つ三重の塔を見たのです。
三重の塔は、明治37年の大風(台風)により倒壊したと云われている。(写真は蒲生羅漢筆)
◎鹿島神社に建つ三重の塔の案内表示
◎結城時代の白川城址
◎白川城の天守跡
◎結城城搦目手門下にある感忠銘、白河藩主松平定信公の碑文
◎白河市天神町の天満宮にある子規の句碑「夏木立宮ありそうなところかな」
阿武隈時報新聞掲載
平成20年1月18日(金))
阿武隈時報新聞掲載
平成20年1月19日(土))
阿武隈時報新聞掲載
平成20年1月21日(月)
阿武隈時報新聞掲載
平成20年1月22日(火)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます