昨日、聖書のヘブル書11章が朝から泣けました。
信仰によって。ってタイトルが付くような、信仰の章だと改めて思います。
これまでの信仰者が歩んできた証の連続と、天の都、報いのことが書いていて、なんか信仰が奮い立つそんな章です。
これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
一一この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。
天国の者としてこの世に遣わされている。聖書の信仰者がそうであったのと同じように私たちも遣わされているのだなぁと思います。
弱い者なのに強くされ
信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。
書ききれないくらい…、
強められる章です。
そして、今日の12章も、すごい力強い言葉。心に響く言葉がたくさんあります。
"こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。"
"すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。"
"こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。"
今日も神様の言葉を受けて、仕事に向かいます🚃
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