こないだの池袋西口公園での路上ライブ、感謝でした
喉がイガイガで、疲れも溜まってて、実は池袋に行くのが少し億劫に感じていたのですが、踏み出せてよかったです
どんな状況でも、信じて立ち続けるという賛美隊としての強化訓練のよう
そして、やっぱり行かなかったら気づけなかったこと、ありました。
一人のおじさんがステージ下から、喝を入れるようにアドバイスをして下さり、その言葉からも気付きがありました。
それは、私がずっと自分の弱さとして認識し、そのことも感謝し、変えられることを望んでいる声の声量、パンチ力、つまりメリハリ、表現力に関して。
パンチ力がない!
それじゃ売れないよ。と。
いや~ほんと~に、ごもっとも。
…でもそこで、いやぁ売れるとか考えてないんですけど?と答えたくなった自分がいて…逆にハッとさせられた。そういえば売れたいという想いを持ち合わせてないや私
でも、よく考えると…、売れるってことはそれだけたくさんの人々の心に届いてるってことだよなと何か思わされた。
あと、もう一つ、ちょっと笑えた、でもポイント突いてる注意点。
歌ってる時、自分の歌に陶酔しとるであんたは~と。
それは、私が目をつむって神様に向かって賛美してたからなのですが…、客観的にはそう見えるのは確かだな
そう、路上で歌う時は聴いて下さる方々も意識して、目を開けて歌う必要があるんやった。前も池袋で誰かに言われて、気付かされたのにまたやってた私。
ただ神様の心を行えればそれでいい。と思ってたけど、やっぱり賛美隊が賛美隊として働きをするためには、もっと実際的にも祈りつつ、変わっていかねばならぬところかある。そう思わされました。
私は順位なんか関係なく、下手でもどんなでも神様に心から賛美できればそれでいいそうずっと思っていました。
でも賛美してると、やっぱり、もっと自由に歌いたい!そう思わされます。最近特に、声が出したくても出なかったりして、歌いたいのに歌えないという喉の弱さをすごく感じています。
この声帯は神様からの最善に造られた声帯。でも、祈り求めれば、神様はさらに声帯をも素晴らしく造り変えて下さると私は信じています。
池袋に行く時、いつも気付きが与えられるよう、人を通しても気付きが与えられるよう祈っています。
あのおじさんも祈りの答え。あんなに歌ってるさなかに話しかけて来られたのも、何か伝えなきゃと思ったのかなと思わされます。
人の言葉も見分けて受け取りますが^_^、あのおじいさんの言葉のゆえに賛美に関して色々思わされて、私はとても嬉しく感謝しています。
あのおじさんに祝福がありますように!
いつかあのおじさんの心にもっと届く賛美歌えるようになりたいです