紅白の花桃、我が家のシンボルツリー。樹高が伸び強風時には、折れるのではと懸念。切断するか、残すか。紅白とも、太い幹を切除し、細い枝を残した。
家内と娘のぶらり旅。自慢げに咲き誇る桜山の桜。桜山から偕楽園の好文亭を眺める
朝桜
散るには未だ
日は残る
4日間ほど入院した家内から、家族へのお礼。ウナギは娘のリクエスト
春始まり「三樂菜園」
椿二種
【雑 録】
馬齢を重ねて後悔。我が子や職場での教育や指導を振り返ると、どのようにして育てるか。「褒めて育てる」「叱って育てる」。
「褒める」よりも「叱る」ことの方が多かった。私は、親に、先生に、先輩に、上司に、○○に叱られて育ってきたので、疑問も感じなかった。現在でも間違っていたとは思っていない。しかし、最近は「私は褒められて伸びるタイプです」と言い切る人が増えている気がする。一線から身を引き傍観者として眺めていると、自分の今までの人との対応に、少し疑問を感じるようになった。
水仙
叱ることにより、鍛えられることは事実。叱ることは、緊張した意識で臨むことになる。従って、言葉かけにより他人に教えられことなので、自意識はなかなか芽生えない。結果として、より早く環境に馴染むことは事実だろう。
暖かくなり、家族で家キャン
潮干狩り
褒められることは、自己満足を促し、自分で次の領域を目指すことにつながる。そこには、「創造」があり「伸長」が期待される。そのため、指導的立場にある人は、どのような視点で寄り添うかが求められる。
叱る場面なのか、褒める場面なのか、指導者には、指導をされる者以上に、選択の難しさがある。「良い点」を観るのか、「悪い点」を観るのか両方を使い分けることにより、対応は選択され、人間は正しく成長していく。
冬知らず
ただ、どちらを選択しても、助言や行動、仕草は、必要な指導になる。適切な指導の選択と助言が、創造性や人間性を形成していくことは間違いない。指導に当たる者には、批判の視点でなく、愛でる視点で人を見ることが求められる。何を観るのか、どこを観るのか、どの視点で観るのか。
クリスマスローズは4種類が群生。今年は花が終わったら、家内が剪定を予定。最近、YouTubeで学ぶ。