『三樂録』

「善樂」「健樂」「長樂」の探究軌跡。時は満てり、これでいいのだ。

曼珠沙華

2019年10月01日 | 三楽菜園
死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、蛇花(へびはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、「はっかけばばあ」と呼ばれ、不吉であると忌み嫌われる「曼珠沙華」。


しかし、「赤い花」「天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。
 

 
彼岸花の毒は、花、葉、茎、根など、すべての場所にある。特に毒製物質が多く含まれるのが、「鱗茎(りんけい)」の球根。花が終わり葉や茎が枯れた後も、鱗茎が土中に残り、花を咲かせ続ける。必要以上に彼岸花を避ける必要はない。彼岸花は触っても、問題はない。口に入れたり、食べたりすることで、身体に影響をおよぼす。
 
 

昔は、この毒性により、土葬した骸(むくろ)をモグラや蛇などの動物から守るために、墓に植えられていたと考えられる。そこから、不吉な花名で呼ばれ、忌み嫌われるようになった。田んぼのあぜ道などに植えられているのも、同様と考えられる。
 

茎だけが先に伸び、その先端に花の蕾(つぼみ)をつける。花はちょうど夏の終わりから秋に咲き、そして、花が終わった晩秋に葉がでてくる。


 
 燃えて立つ

 衣まとわぬ

 曼珠沙華



学名の属名Lycoris(リコリス)は、ギリシャ神話の女神・海の精であるネレイドの一人 Lycorias から命名。めでたい兆しと知り、リコリスの球根を求め、現在は10種類ほどになった。少しずつ球根も増え、群生も見られるようになってきた。


【余 録】



「人は人によりてのみ人となり得べし、人より教育の結果を取り除けば無とならん」と、哲学者カントは言葉を残している。カントは、「教育が人のすべてである」と言う。「人は生まれただけでは人ではない。人は教育を受けて人になっていく。人を人たらしめるものは教育である」と言っている。



小学校に入学する年齢ころまでは、人間の脳細胞の分裂は、最もスピードが早いらしい。「養育」、「教育スタート」の時期に、若い夫婦は何を教え、導き、育てようとするのか。



ある教育者の言葉を借りれば、「授業」とは「業(わざ)を授けること」。知識と経験のある人が、未熟な相手に対して自分の持つ「知恵」を授け、学力・能力を形成していくこと。「指導」とは、目指すべき方向を「指し」、そこへ「導く」こと。「教育」は、「教え」「育てる」こと。個々の技術や知識にとどまらず、人間をトータルに捉え、「人格の完成」を目指すことが望まれる。


「人は偶然によって出会う。それが偶然で終わるか、必然に発展していくか、そこが運命の岐路となる」 さあ、我が子たちにとって、親との出会いは、「必然」でしょうか、それとも「偶然」か。

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