【三日目/出雲大社・姫路城】
7月27日(土)、先ずは「出雲大社」へ。縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社(いづもおおやしろ)」は、『古事記』に創建が記されている。主祭神はだいこく様の「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」。『古事記』に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まり。
神話では「因幡の素兎」が有名。サメに全身の皮を剥かれた白ウサギが、大国主大神の兄達から“海水に浸かり風に当たれば治る”と教えられ、そのとおりにしたところ傷は酷く悪化してしまった。ウサギが痛みで泣いているところを遅れてきた大国主大神がやって来て、“真水で塩を洗って蒲(ガマ)の穂に包まれると良い”と教えたところ、ウサギの傷が癒えたという話で、大国主大神の優しい性格がうかがえる。また大国主大神は、多くの女神と結婚してたくさんの子供をもうけた。縁結びの神様と言われる由縁。(出雲観光協会HP)
ガイド情報。参拝は「二礼二拍手一礼」が一般的ですが、大社では「二礼四拍手一礼」。最後の一礼の時、「住所・氏名」を囁くそうです。
TVなどで正面に日本最大級の大注連縄(長さ13.6m、重さ5.2t)が映される建物は「神楽殿」。そして、「御本殿(国宝)」は、「大社造り」と呼ばれ日本最古の神社建築様式。1744年(延享元年)に再建されたもの。平成の大遷宮で大屋根や千木などが新装。高さは約24m、厚い桧皮葺き屋根の棟の上には、長さ7.9mの二組の千木が交差。御神体は稲佐の浜のある西の方角を向いて鎮座。
日本一といわれる規格外の大きさの国旗は、畳75畳分(約14m×9m)、ポールの高さ47m。
松江から昼食も車中で摂り姫路へ。日本に残された現存12天守の一つに数えられ、わずか5つしかない国宝の天守閣を誇る姫路城。白く優美な姿は白鷺が舞う姿にも例えられ「白鷺城(はくろじょう)」の愛称。
西日本は梅雨明けしたばかり、晴天に恵まれ、ガイドさんは「熱中症」対策で水分摂るようにとの話。駐車場から城入り口まで15分程度歩き、玉のような汗が流れる。旅行最後の観光。暑さと階段を上ることの疲労感で、途中脱落の人もおり、名乗り出ようと思いつつ。40年前に来たとき、今のように整備されておらず迷いかけたことがよぎり、天守閣へ一段一段登る。突然、涼風が城内に流れた。そこからは涼風に誘われ、あっという間の天守閣。若いときの悔しさを一つ晴らすことができた。
歴史は、南北朝時代赤松氏が14世紀に砦を築いたのが始まり。その後黒田家の居城。大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公・黒田官兵衛がこの姫路城で生まれたという逸話も。
城が現在の姿になったのは、関ヶ原の合戦後、姫路城主となった池田輝政の時代。輝政は姫路城大改築に取りかかり、8年もの歳月を費やして1609年、燦然と輝く純白の巨城を完成。
熱風を
まとう白鷺
天の涼
その後、第二次世界大戦では姫路大空襲に見舞われ、街は焼け野原となったが、城は奇跡的に残った。戦火をくぐり抜けた姫路城は、世界に誇る美しい建築物として、大切に守られ、400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残している。平成の大修理により、築城当時の眩い輝きが蘇った。
国宝姫路城は、奈良の法隆寺とともに、1993年に世界遺産にも登録。日本で初の世界文化遺産となり、大天守は、慶長14年(1609年)に建築されたもの。現在指定されている世界遺産は、エジプトのピラミッド、フランスのベルサイユ宮殿、中国の万里の長城など。
帰路は、神戸発18:45のSKY航空。今回の旅は、全てが有名観光地ばかりで、映像の世界でしたが、これからは、家内も旅行話題についていけるでしょう。
【余 録】
『太陽の徳 広大なりといえども、芽を出さんとする念慮(心中に思うこと。心にかけること。また、その想念)、育たんとする気力なきものは仕方なし』という二宮尊徳の言葉があります。
夫婦にとって、残された人生、昏(く)れるのにはまだ遠く、日が残されていると思い、今までは「知識」だけだったことを、今後は体験したり、探訪したりしたい。そして、「游」【興のおもむくままに行動して楽しむ。広く楽しむ行動を含み、子どもばかりでなく大人が運動、行楽などすることをいう】を求め、「感謝」を伝えたい。木も植物も育つ場所は選べない。与えられた環境で、精一杯のことを求める気力があれば「大丈夫」。