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慈恩の日々

※ようこそ。まずは日記一覧のおしながきを御覧ください。

猫とコンビニ

2011-12-20 22:19:08 | 日々・感謝・思うこと
最近コンビニにゆくと駐車場で猫によく会うのですがなんだかなつかれたのか気がつくと座りこんでじゃれあってしまいます

猫にエサをあげないで。というはりがみがあるからエサをあげにくいしクルマもおおいからあんまり馴れすぎてもいけないな~とか思いながらなでてると仔猫はおもいのほか毛並みが良く三毛に白毛がよく映えふかふかしておりました

何だか自転車が特に気に入ったのかペダルやスタンド部分にやたら頬擦りしたりしてて可愛らしい…

ガリガリに痩せてることはなさそうなので結構なんとかやってるのだろう。つよく生きるのだよ…

必要なものとそうでないもの

2011-12-16 00:30:14 | 日々・感謝・思うこと
じぶんに必要なものとそうでないものが明確になると生きるという輪郭が顕になってきて

個人的にランキングの評価や批評を気にしたり流行りをまねて受けようとすると心臓にわるいとわかったり

宮崎駿が『本へのとびら』でいってた「我々は画一化していき、やがて滅んでゆく」という意味が体感的につかめてきて、ダヴィンチも手記内の絵画論で流行と模倣について似たようなことを言ってたりして、そういった人達の視点がようやくぼんやりと見えてくるような…そんな感じです

経済でも文化の表現でも自然の生態系でも、単一化していったシステムは根幹が脆弱化していきトラブルなどに対処しにくくなるそうです。それがデフレなどにあらわれたらしいですが

自然の生態系って多様な生物が共存しているから成りたつのであって、今は環境破壊で生体種がどんどん少なくなってるけど、植物でも動物でも単一種だけでは生存できないのは子どもでもわかってしまう

ネットって流行りも移り変わりがとてもはやいけれど、逆に返せば全体性から見れば根をはる実在感もないから、あくまでその程度のものなのかもしれないですね

個人的にデジタルの行き着く先の限界みたいなものが見えてきたような…

自然の生態バランスがなくなると人間も生存できないわけで、生き物が生きているのはリアルな世界でのことだから、ネットの架空の情報から世界のことを判断するのは実はABCのステップのAから間違えていたのかもしれない

デジタルの写真だけを見て空間や対象そのものを体感せず、自分はこのことをすべて知っている。というように

やはり、生きているという実感。生命の尊厳こそがリアルだから

ネットより

2011-12-11 02:53:08 | 日々・感謝・思うこと
自分にとって必要な本が数冊あればいい

ちくま学芸か岩波、古典叙事詩辺り押さえれば充分なような気もする

ネットの掲示板やSNS見たり、付き合いにかまけるよりプラトン読んでだ方がいいのかもしれない

ガンダム・エヴァにおけるロボットとヒロイン像

2011-11-29 21:50:36 | 日々・感謝・思うこと
個人的には気になる題材でして

ロボットアニメのヒロインとか(笑)

少年はアニメの中のロボットに憧れヒロインにも恋い焦がれる

そのロボットへの自己同一視により強い者としての自分

ヒロインへの感情投影は異性という存在への未知への興味、そしてその存在への帰属本能があるのではないでしょうか

ユング心理学では内なる男性性女性性をアニマ・アニムスともよび、人がヒーローやヒロインに憧れるのは一種の原型に対する偶像崇拝みたいなところもあるんでしょうね

名作ロボットアニメにしてもガンダムだとアムロ・レイという一種の未知能力保持者とRX-78という高性能プロトタイプ、だがそれは誰にでも扱える兵器でもあり、同時に搭乗者により能力は変化していく。そういったイデアを秘めている

そういった男性の内に秘めた強い自己への原型を補うようにセイラ・マスやフラウ・ボウ、マチルダさんといった女性性が彼の周りに配置され物語は語られた

リアル戦争史としてのガンダム。一般的にはそう扱われることも多いけれど思春期における男女の人間関係の情、ニュータイプを巡るドラマの誕生、そして覚醒

そういった趣でみると、作り手富野由悠季の言いたかった事がロボットとしての男性的なワンサイドだけではなく、人間同士の情といった女性性のサイドが保管され(アムロの住んでいたのはサイド7でしたね)ガンダムという土台、人間のコロニーは補完されるのではないでしょうか



人は自己への補完として作品を求める

そういったことを聞いたこともあります

自分という存在を補完するためにアニメ、漫画を見る。それは自己を見いだす道としては健全にもなる

補完という単語からやはりエヴァンゲリオンの人類補完計画を思い浮かべてしまいますね

「エヴァ=太母」という語を内包していることから人根幹の求めるものを受け入れるよう運命づけられていたかのようなアニメですが

たぶん皆さんの方が詳しいと思うのであまり内容について言えませんが(笑)

碇シンジという当時の高度バブル成長期後の普遍的な内向的少年像を中心に据え相対性世界における様々なフラクタル、心の壁を駆使した関係性(atフィールド)が展開されていく

内向的で消極的な少年像とは裏腹に彼の内に秘めたEVAシリーズを通しての力としての意識と覚醒、善悪の彼方を通り越す広大な感情領域はTV番最終話で補完され得た訳ですが…(リアルタイムで見通した身としてはあれもひとつの正解と思ってます)

そしてエヴァといえばヒロイン(笑)

シンジ君の性質に同調するかのように綾波レイ

そして彼の内向的性質を補完するかのように活発な少女アスカも配置されていく

個人的には自己補完の意味では綾波よりはアスカ、真季波が好みなのですが、ね

このアニメの詳細については語り尽くされないほど語られていると思うのですが答えそのものは各自に自己回帰するものだと思うし解釈に正解はないと思う


しかし、ガイナックスのアニメってその都度、時代に即したというか期待に応えるかのようなヴィジョン、ヒロイン像をポンと視聴者に送り出してくる

何かグループ全体が集合的意識みたいなものにでも繋がっているのでしょうか(笑)

何だか個人的にはとてもそそる話でありました

覆される

2011-11-29 00:00:31 | 日々・感謝・思うこと
自然そのものは豊かで維持するのには本当はコストは何も掛からない

何の利用価値のない無人島はおそらく誰もいかないと思うので、人の手つかずのその島を維持していくのには別にコストはかからないし、自然以外何も必要はないわけで

人間の暮らしているか、特定の利潤に関係した土地だけに妙なことにコストはかかるらしいです

環境保護や支援を名目に国や団体が活動を行っているけれど、そういったものは宣伝なのだろうか…と思ってしまいます

ただ、環境がコストのかかる特別な処置が必要な程荒れ果てるのは、人間が資源の乱獲、開発を繰り返してきた結果で、元々は自然は人間がいなくても回復できるし、存在できていたのだろうと思ってしまう

やはり地球上でお金を交換手段に使っているのは人間だけなのでしょう…

地球という星が誕生してから生物が誕生し、生活できるような今のような環境が整うのに画期的新技術が導入された、とか、お金がいくらかかったか。というような話はたぶんなくて

原始時代の恐竜達が貨幣を持ち歩いて何かの取り引きにそれらを使っていたとは普通は考えにくいので(そういう小説はあった気が)人間だけがお金に動かされているのだろうなと思ってしまうのです

あまりにも当たり前に生活に浸透しすぎていて、自分達の生き方をむしばんでいる不自然なものに気づかない

生まれたときからそれに接していて、育てられていたものを疑うなんてことは、ふつうの人にはそうできるものではなくて

「エンデの遺言──根底からお金を問う」という本を読んでからその辺りの当たり前のように思っていたものがまた覆されたようです

例えばある漁村では細々とその日に必要な魚を採るだけで不自由なく生活できていたけれど都会から銀行員が紙幣というものを携えやってきた

なんでも、口座をつくり預けるだけで利子が増え老後は安定した生活ができるという

村人たちはその話に乗りお金を借り入れ大型漁船を導入、借り入れを返すために更に大規模な漁法を採用し漁獲量を増やしつづけたが、以前よりもより多くの時間を仕事についやさなければならなくなり、結果自分たちのための時間を失い湖から魚たちもいなくなった

イースター島でも人々がモアイ像の建設に傾倒してしまい、結果、人が暮すことができなくなったといいます

現代社会がこれからイースター化するかは判りませんが、今の社会は人々の仕事にもデジタルツールが導入され、さらに金銭もウェブマネー化したことで更にこの傾向に拍車がかかってきているような気もします

フォトショップ等イラスト方面にしても作業効率が上がって見かけのクオリティが上がったのはいいのだけど、その分市場から求められる量や質も上がってしまい結果創り手に負担をかけてしまう面もあるのかもしれません

ツールの性能が均一化していって皆が同じ効果が出せるのもいい面があるかもしれないけれど、更に、情報網の発達で作画ノウハウが容易に得られることで、人が本来時間をかけて熟成される筈だった創作に対する姿勢や人間性、世界に対する自分の立ち位置

そして、何よりもその人だけが育める感受性、世界性のようなものが模倣と効率を主として崇めるキャラクター主義のインスタント製品のようなものにとって変わられているのかもしれません

現代人は食にしても取り入れる文化、情報にしても人工的ポリエステルなものに慣れすぎてしまって、自然本来の食物や風景、情景に育まれること事態に拒絶反応をしめすようになってしまった

あまりにもファーストフードばかりを食べて生活してきた人はオーガニックな自然食品を食べられなくなると聞きますが、それは既に形は人でもミュータントのようなものに踏み入れている面もあり

皆がしているから当たり前、という物事から一歩踏み出して自分達を見直してみる

その少しだけの勇気で私達は変われるのでしょうか



「今、愛しなさい。昼も夜も、そして夏も冬も。あなたはそのためにこの世にいるのです。そしてそれ以外のものはすべて空虚で、幻影に過ぎず。無駄なことなのです。ここにはただひとつの科学である愛がある。ただひとつの豊かさである愛がある。ただひとつの信条である愛がある。愛することがすべての法であり、予言である──アナトール・フランス」