慈恩の日々

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表現力は上達したが世界観は幼くなっていく

2011-12-23 01:07:35 | 本・本屋・図書館
今ある漫画見ていて感じたことにあっていたので…

漫画家や作家、絵描きという人種の社会における立ち位置に興味があるんですね

2001年の記事ですが確かに的を得ていて、その後の流行の画一化など作品の表現の密度は上がったけど、その世界だけで送り手も受け手も満足していてある意味箱庭化している感もあるような

今のメディアにあるものだけが世界じゃないんですよね

〈ガンダムエース・安彦良和×羽仁未央の対談より〉

羽仁:今、漫画やアニメばっかり見ていると現実感がなくなって、だから突拍子もないことをするんだよ、というような良識ある人たちからの批判がありますよね。でも私、漫画やアニメがいけないということは絶対ないと思うんですよ。読むものというか見るものというか、人間って楽しいものから影響されるじゃないですか。浅いものに影響されれば浅くなっちゃうし。深ければ影響されて深くなる。

安彦:外国人の人に失礼な言い方をすると、あちらの漫画家ってシステムのなかで「描かされて」いるんですよ。そういう意味で、日本の漫画家ってすごくアメコミ化、香港漫画化していってるんじゃないかな。絵だけ描けりゃいい。それも好きな絵だけ。原作は誰かが書いてって。自立した作家であることから後退していっちゃう。それで表現力はきわどさも含めて上達しているんだけど、作家として描ける世界はどんどん幼くなっていく傾向があるんじゃないかなという。たぶん昔は逆で、表現はつたなくても書き手はけっこう成熟してた。

羽仁:そういう作家たちがなぜ世に少なくなっちゃったのか

安彦:モラトリアムっていう時代の違いっていっちゃえばそれまでなんだけど。僕はもう50歳過ぎているんだけど。驚くのは子供のころ田舎で松本零士さんとか読んでたわけ。それでのちのちお会いしたりすると、お若いんですよ。これが意外と(笑)
要するにデビューが早いんだよね。高校生の頃からゴーストで描いてたりする。あのトキワ荘世代の人達は、それで社会に強制されて、責任おわされて、はやく大人になろう、成熟しようとしてただろうしね。僕らの頃、サブカルが人目につき出すころまでは基本的にそうですよ。「早く大人にならんかい」とケツをたたかれるという時代。漫画なんかを描いていると余計、なんちゅうものを描いているんだと。そういう世間が強迫してくれる要素というのがなくなったのは、幸せなのか不幸なのかわからないけど。

羽仁:でも何となく今の人たちは、なんちゅうもの描いているんだって言われたらやめちゃいそうな気がする。どうしてお続けになったんですか。

安彦:うーん、僕は教育上よろしくないとかそういう意味であまりたたかれたことはないんだけれども、規制というのはある意味で励ましの薬でもあるわけで。逆に今だったらやめちゃうというのは、打たれ弱いからだよね。すぐどこかに駆け込んで泣き言を言うとか、どこかメディアがかばってくれるから、その葉陰にかくれるとか。表現の自由という問題は漫画家が集まったときに、よく話題になりそうになっては消えていったんだけども、決定的に話題にはならないのは、非常に難しい問題があるからなんですね。表現の自由というのはすごくかけがえのないもので、それを前提に守られるべきだというのがあって、でもそこの座に安住するとどういうことになるかというと、それは書き手が退廃していくだけじゃないかと思う。じゃあ、ガードゆるめていいのかというとそれはそれでよろしくないし。アジアでも韓国あたりでもアメリカでもそうかもしれない。漫画はこういうものを描いちゃいけないという規制は非常に強いんです。それはアジアの作家にもよく言われることで、日本の作家は何でも描けていいというのがある。それは何でも描けるというありがたさを、われわれは本当に知っているのかというと反省の材料でもあるんだけど。これはもう当人たちに直接いってないし、いったらけんかになっちゃうかもしれないけど、規制があって描けないということをそんな女々しくいうんじゃない。という気もするんですよね。規制というのは元気の素ではないのかという。今、ポルノもバイオレンスもダメでしょう。まともな人間には相手にされなくなってる。関係あるんじゃないかな。

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