鉄道写真の振り返り 2004年 その1

2020-10-25 | 鉄道写真の振り返り
この年、念願の北斗星に乗ってさっぽろ雪祭りを見に行く・・・も、北斗星の写真が無い。パブタイムではあるが、グランシャリオ(食堂車)で夕食も楽しんだのに・・・がっかり。

ということで、帰り道の写真を何枚か。

札幌駅で発車を待つキハ281系スーパー北斗6号
札幌~函館を最高速度130km/h、最速3:00で走行していたこの時代、スーパー北斗6号は札幌発8:34→函館着11:53(所要時間3:19)と、スーパー北斗の中ではゆっくりに感じられるダイヤであった。しかし、減速ダイヤとなった現在、同じ時間帯に札幌を出る北斗6号(非振り子のキハ261系)は札幌発8:32→函館着12:23(所要時間3:51)と30分以上余計にかかるようになった。安全面の都合とはいえ、何とも残念でならない。


函館駅で並ぶスーパー北斗12号とスーパー白鳥28号
「スーパー」同士の対面乗換。

もう一枚、スーパー白鳥28号
この頃は、せっかく乗るなら789系!と心に決めていたので、485系白鳥で青函トンネルをくぐったのは新幹線開業前年(2015年)の1回きりであった。


函館駅を出てすぐ、函館運輸所を眺める
様々な車両が留置されているが、キハ281系先頭車の他、国鉄特急色に塗られた「スラントノーズ」のキハ183系もいる。


さらに進むと、ドラえもん海底列車仕様の781系電車やED79形電気機関車も。今となっては貴重な車両たち、もう少し望遠のレンズが欲しかった・・・。


季節は変わり、5月連休。帰省していた従弟が東京に戻るので、ついでに私もおのぼりさん。


583系、日光新緑号
5月連休に、仙台~日光で運転された臨時快速。私たちは福島(9:27)→宇都宮(12:05)で利用。宇都宮からは快速ラビットで上野へ。東北本線(宇都宮線)へのグリーン車連結は2004年後半からであり、グリーン車があればもっと快適だったのにな~と思う。

ところで、この時の東京行きの目的はデジタルカメラの品定めをすること。目星をつけたカメラが一時的に入手困難となっており、残念ながら購入には至らなかったが、その後7月に無事購入。ただし、この時点でのデジタルカメラへの完全切替が良かったかどうかは、今となっては微妙に感じることもしばしば。

ということで、鉄道写真の振り返りはここで一時中断。デジタルカメラの写真を整理して、12月ぐらいから再開しようかな・・・。

鉄道写真の振り返り 2003年 その2

2020-10-18 | 鉄道写真の振り返り
JR東日本パスを利用したムダ走り2日目と、そのほかの写真を少し。

◆第9走者 おそらくスーパーひたち19号 おそらく偕楽園(12:04)→いわき(13:16) 自由席 
確か従弟と偕楽園を見物し、そのまま偕楽園駅からスーパーひたちで北上したと記憶している。写真が残っていないのは、車両が昨夜のフレッシュひたちとおなじ651系だったからかな?せめて、偕楽園駅で軽く写真を撮っておくんだった。

◆第10走者 快速あぶくま号 いわき(14:13)→郡山(15:44) 自由席
いわきから、初めての磐越東線で郡山に向かう。快速あぶくま号は2009年頃まで土休日や繁忙期を中心に運転されていたようで、現在はその時間帯がすっかり空いてしまっている。不便は無いのだろうか。
この時の記憶として、いわき駅を同時発車したスーパーひたち38号としばらく併走し、磐越東線って結構スピード出すのだなと思ったことを覚えている。その後は、割とゆっくりな印象だったが、85.6kmを91分で走破するのは割と優秀?

◆第11走者 つばさ117号 郡山(15:59)→新庄(18:04) 指定席
郡山から北上して、寒い新庄駅に到着。運良く指定席が確保できたので、2時間をゆっくり過ごす。写真は終着の新庄駅にて。この頃は400系がまだまだ主役。

◆第12走者 165D 新庄(18:24)→余目(19:09) 自由席
◆第13走者 232D 余目(19:15)→鶴岡(19:31) 自由席
最後は普通列車を2本乗り継いで鶴岡駅に戻る。外は暗闇で車窓を眺めるでもなく、したがって記憶はほとんど無い。でも、2日間よく乗ったな~という気持ちだけは残っている。

ちょっと番外編


偕楽園から見たスーパーひたち


偕楽園から見た415系普通列車

上の2枚は、2日間のムダ走りの際に撮ったものと記憶していたが、フィルムの順番から別の日の撮影であることが判明。そういえば、2週間後に懲りずに再びムダ走り(?)をしたのであった。それらしいきっぷも発掘。



磐越西線 東長原駅を通過するD51 498
季節は戻って、2003年2月に運転されたおそらくSL磐梯会津路号(自信が無くてスミマセン)。東長原に登ってきたところで、煙がもくもくで迫力のある光景。なお、写真は多少トリミングしています。

陸羽西線を走るSLもがみ号 高屋~清川 立谷沢川橋梁にて

陸羽西線を走るSLもがみ号 南野駅付近にて

2003年9月に、当時真岡鐵道所有のC11 325により運転されたSLもがみ号。比較的平坦な陸羽西線では、迫力のある煙はあまり見られず残念。

ところで、この頃になるとCONTAX T2の画角では若干の不便を感じることも多くなり、デジタルカメラの購入を本格的に考えるようになったのであります。そんなわけで、フィルムカメラでの鉄道写真ネタは次回が最後の予定。



鉄道写真の振り返り 2003年 その1

2020-10-10 | 鉄道写真の振り返り
2003年3月、JR東日本の完全民営化を記念して発売された「JR東日本パス」を利用し、ムダ走りに近い旅行を敢行。

この時のJR東日本パスの概要は以下のとおり。
・対象日:3月1日(土)、2日(日)、8日(土)、9日(日)、15日(土)、16日(日)のうち1日又は連続する2日間
・利用区間、列車:JR東日本全線の特急(新幹線含む)、急行の普通車自由席が乗り放題
・1日用は2回、2日用は4回まで普通車指定席も利用可能
・価格:1日用 8,000円、2日用 12,000円
非常にお得なきっぷであり使わない手は無い。早速、3月1日~2日の土日に出かけることにした。

せっかくなので、乗った列車は写真に残しておこうということで、はじまりはじまり。

◆第1走者 いなほ4号 鶴岡(7:46)→新潟(9:37) 自由席
当時住んでいた山形県三川町には駅が無いので、旅のスタートは鶴岡。写真は新潟到着後に撮影したもので、残念ながらヘッドマークが巻き取られてしまっている。

◆第2走者 Maxとき312号 新潟(9:54)→高崎(11:09) 自由席
指定席を確保できなかったので、いなほの写真を撮影後にダッシュで乗り換える。何とか座席(2階席、確か3人掛けの真ん中だった)を確保し、1時間少々揺られる。写真は高崎で下車後に撮影。

◆第3走者 あさま511号 高崎(11:19)→長野(12:08) 指定席
長野新幹線に初めての乗車。50分足らずの短時間だったが、とりあえず指定席を確保してみた。おそらく高崎で下車したであろう6人グループが回転させた座席を戻しておらず(リクライニングの関係で戻せず?)、3人掛け向かい合わせ状態のA席に、同じく高崎から乗車したおにいさんと向かい合わせで座る・・・。なお、写真は長野駅で撮影したものだが、あさま511号だったか向かい側に停まっていた列車だったか、正確なところは忘れた。 

◆第4走者 しなの14号 長野(12:41)→塩尻(13:44) 指定席(長野→松本)
こちらも初めて利用した(ワイドビュー)しなの。山形~仙台とほぼ同距離の長野~松本を、1時間に1本特急が50分少々で結ぶのは、仙山線鈍足化を体験した身には非常にうらやましい。写真は長野駅発車前に撮影したもので、この日の1号車は貫通型のグリーン車であった。
ところで、指定席利用区間が長野→松本と中途半端なのは、乗換駅を直前に変更したことによるもの。松本到着を前に指定席から自由席に移動したが、偶然空いていた名古屋向き先頭車の最前列にたどり着いたところで、「最初から先頭(自由席)を狙うんだった!!」と激しく後悔。それでも、松本→塩尻のわずか8分間の前面展望を大いに楽しませてもらいました。

◆第5走者 1532M 塩尻(13:51)→下諏訪(14:07)
しなの14号が、塩尻で12分間停車する1532Mに追いつくことを、当初は見落としていたのであった。写真は残っていないが、車両は順当に115系だったと思う。

下諏訪では、研究室での3年間を一緒に過ごしたT氏と久しぶりの再会。諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(当時)を見物したり、諏訪湖の湖岸をドライブしたりして過ごす。 夕飯は塩天丼だったかな。

◆第6走者 スーパーあずさ14号 茅野(19:06)→新宿(21:06) 指定席
またまた初めてのスーパーあずさ。茅野を出ると、途中甲府、八王子にのみ停車する同区間の最速列車である(全区間で見ると上諏訪のほか塩尻、岡谷にも停まるので、純然たる最速列車では無い。)。乗車当日の茅野駅で幸運にも指定席が取れ、確か新宿まで隣席も空いていたと記憶している。写真は、新宿到着後に撮影したもの。E351系は既に全車引退し、中央東線で振り子式車両のダイナミックな走りを今は体験できないのが残念(といいながら、E353系もちょっと乗ってみたい)。

◆第7走者 多分山手線 多分新宿→上野
この辺は記憶が全くない。

さて、上野駅で次の列車を待つ間の時間を利用して、寝台特急あけぼの号の写真も撮影。




21:41、あけぼの号は青森に向け出発。この頃は、EF81形電気機関車が全区間(上野~青森)を牽引していた。2009年3月のダイヤ改正以降、定期列車として廃止される2014年3月まで上野~長岡の牽引機は山岳用のEF64に変更された。

◆第8走者 フレッシュひたち63号 上野(22:00)→水戸(23:24)
この日のラストランナーは651系のフレッシュひたち。
基本的に651系は速達便のスーパーひたちに使用され、停車駅が多いフレッシュひたちにはE653系が充当されるが、1日に数本651系によるフレッシュひたちもあったのだ。写真は上野駅17番ホーム。当時は特急専用ホームで中間改札も存在した。

この晩は当時水戸に住んでいた従弟に泊めてもらうため水戸までの乗車。どちらかといえば赤塚駅が最寄りで、フレッシュひたち63号の前後(61号、65号)であれば赤塚に停まったのだが、乗り継ぎの関係上やむをえずといったところ。

ということで、次回に続く。

鉄道写真の振り返り 2002年

2020-10-03 | 鉄道写真の振り返り
就職したこの年、改めて探してみると鉄道の写真が1枚しか見つからなかった・・・。


今は無き岩泉線 岩泉駅で発車を待つキハ52
米坂線でも活躍したキハ52だが、私にとっては飯山線からやってきたお客様的な感じ。小さい頃の思い出としては、やっぱりタラコ色(首都圏色)のキハ22の印象が強い。

写真1枚だけではさみしいので、一応JR関係の写真をもうひとつ。

宮島連絡船
2002年春、宮島を訪れた際に乗船。青春18きっぷでも乗れる唯一の航路である。

今にして思えば、比較的時間の余裕があった1年だった気がするが、それ以上にお金が無かったのかもしれない・・・。