津和野から、日原の道の駅―昼食―折返し。
あちこち、うろついて計47km
道の駅 津和野なごみの里をオッサン2人で出発、橋を渡ると津和野の街のメインストリートの石畳です。オレ二十年ぶり位、そのときの記憶と違うような。
まあ、そのくらい,お久なんだが、ナゼ、ここを車両通行止めにしないのか疑問、せめて日祭日でもやればと。 めずらしいと思ったのは、造り酒屋が
ほぼ並んで三軒、裏で繋がってたりして? ナドと下らない想像をしつつ街をぬけ津和野川沿いにしばし走り、国道9号と赤い橋の先で合流。
多少の上りはあっても基本下りばっかなのに ひと月ぶりの自転車のせいかオッサン二人は早くも、からだにダメージが・・・
帰りは反対にほぼ登り(普通の人ならたいした勾配ではない)を考えると恐ろしくなる、と言うか 無理なのでは! 日原駅で休けい
「帰り、どうする」・・・「無理やない?」・・・「う~ん、無理かも」・・・「一応、電車かバスの時間見とく?」・・・「そやネ。」
と言う遣りとりのあと、不安をかかえつつ発進! オレの予想では80%の確立で自力帰還は無理です。あと、午後からの雨予想も心配です。
国道9号の対岸をどんどん下る日原の町で蔵が2棟もある大きな構の屋敷を発見!
絹の町らしいのでそう言う関連の商家だったのではないかと推測する。
天領の煙草屋さん
曽庭橋の右岸に松浦清作の石碑、高津川にはもともといなかった淡水魚の「ギギ」を、明治時代に清作さんが放流 以来、この地方では「せいさく」と
呼ばれてるらしい。
道の駅「シルクウェイにちはら」に到着! 腹減った! 食事処はカフェテリア方式で「ラーメン」、「うどん、ご飯物」、同じく「うどん、ご飯物」、の3店、
メニューが めちゃめちゃかぶっとる! カレーにしようとくらべると微妙に値段が違う。 森本オイチャン曰く、高いほうが安いほうより
ショボイらしいのでお安いほうのカレーライスを選択して食券を渡して待っていると、レトルトパックの登場! その、堂々とした手もとの作業と隠し事の無さに
感服しつつ、ごちそうさまでした。 もうチョッと食わなければ帰りのエネルギーがと思ってると、オイチャンが ナニこれ珍百景に紹介された
ラーメンの自動販売機があるト、意外と「うまい」! らしいので ものは試しにとチャレンジ。 いつの間にか チャーシュウ2枚ものった
ちゃんとしたラーメンが出てくると言うか、そこに誰かが置いていった様な静かな出来上がり不思議だ。
オイチャンは以前ここで泊まった時、川が増水していて階段下りなくても道の駅の傍から、さっきの「せいさく」が入れ食いで その場で揚げて食ったらしい。
食後の休憩もそこそこに戻り始める。走り始めてすぐにわき腹が痛くなったが、雲が厚くなってきたので停まるわけにはいかない。
「風、こんなに強かったかぁ」!・・・「いや!しかも向かい風やし」!・・・言ってる間にどんどん強くなる風 たまの下り勾配でも想うように進まん、
へたすると止まってしまいそう。
こんな時、何を考えながら走っているかと言えば、
「風の力はすごい!車でもずっと向い風っだったらヤッパかなり影響あるよなぁ」
そうしたら、オイチャンが
「生身やけぇ風の影響がダイレクトに判るけど、車だって向い風だったら同じように・・・」
「燃費が悪ぅなるやろチ 思ぅたんやろ」・・・
「そうそう、お前も?」・・・
「そうそう思ぅ、ーた」
そうこうしてる内にあんなに強かった風がピタリと止まった。ああ云うのが 谷風 とでも表現する現象でしょうか? 横っ腹の痛さも治まってゴールへの光がみえて来た。
津和野川まで帰って来るとチョッと余裕が出てきてのんびりした気分に、水面に見える水草は「バイカモ」だろうか?高津川水系には日本で数か所しか生息が確認
されていない貴重な「ヒメバイカモ」と言うのがあるらしいが、もっと上流の方にしか自生してないらしいから たぶん違うのでしょう。
太皷谷稲成神社(普通は稲荷表記されるが唯一ここだけ稲成)下の美松食堂で「名物いなり寿司」を食ってみる。見た目はかなり黒くて濃いそうだが酸味が利いてて
疲れたオッサンにはいい感じです。
レトロな雰囲気満点 チャンポンなんかもあって今度は食ってみたいなぁと思いながら店内を色々見ていると 「流鏑馬神事」がこの近くであると書かれている
手前に物があって全部は読めないが4月とか書いてるような。「そんな場所が何処にあるんやろう、そうとう直線がないとイケンやろ」??
ところがその後、道の駅で鷲原八幡宮の模型を見て近くだからと寄ってみてビックリ あった!流鏑馬ロード。 すっきりした。 折角なので参拝させてもらって
本日のポタリング終了。
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