以前、私の勤めている会社で私と一緒に仕事をしていた女性が、会社を辞めたいと言ってきました。隣に座っている男性を見ているだけで虫唾が走ると言うのです。彼は彼女へ悪意を持っているわけでもなく、また侮辱されたりしたというわけでもなく、具体的なことは何もないのに、やること為すことすべてが気に障ると言いました。それで会社を辞めると言います。
ただ、嫌われていた彼は、ちょっと言動が人と違うというか、個性的というか、雰囲気が独特のものでしたが、そうであったにせよ、それで会社を辞めるというのは明らかに問題は男性側ではなくて女性側にあると思われます。実際にちょっと変わっている彼でも、彼女以外からそのような目で見られることはありませんでしたし、彼は同じ職場の他の女性と結婚して、今は幸せな家庭を築いています。
会社を辞めたいという彼女から理由を聞いた私は、彼女を傷つけないように「それは彼だけの責任ではないよ」らしきことを遠まわしに言い、自分の問題でもあることに気が付かないと、また別の会社に行っても同じ問題にぶつかることを示唆したのですが、反感をかってしまったようで、分かってもらえませんでした。それどころか他の女性に私が言ったことを(私は被害者なのに私に原因があると言われたというようなことを言ったのではないかと、飽くまで私の推測ですが)言いふらし、私が他の女性5人ぐらいから非難されることにもなりました。
人を許せないことで苦しむのは、許されない相手ではなくて、許すことのできない自分です。このときも彼は自分が嫌われていることなど知らず、天真爛漫に仕事をしていました。そして彼女は去っていきました。
また槙原さんの歌に戻りますが、
♪相手を責めるよりも先に自分の中をまず見つめて
相手を許せるような広い心を持ちたいな♪
と彼は「Tag team」で歌います。
愛の基本は「自他一体」ですから、すべてを自分のこととして許し受け入れることが愛ある自分へのスタートです。
実際、許しと愛は非常に密接な関係にあります。
許しと混同しそうな心情に「妥協」があります。
人間関係には妥協が必要と言います。しかし妥協は我慢であり鬱積感情を抱きます。ですから私は、これはお奨めしないのです。妥協なくしても或る意識をもてれば、調和を実現することができるのです。それは何かお分かりでしょうか。
それこそが〝許し〟なのです。許しと自他一体の愛とは、とても深い関係にあります。なぜならば許しは相手を受け入れるということで相手との一体化を意味しているのです。しかし妥協とは自分自身に篭って我慢するということで相手との分離を意味します。この二つはエネルギーが全然違うのです。妥協も許しも外面はおんなじに見えますが、心の安寧度の結果は全然違います。ですから、どうせ妥協するなら許しちゃいましょう、ということです。
ただ、嫌われていた彼は、ちょっと言動が人と違うというか、個性的というか、雰囲気が独特のものでしたが、そうであったにせよ、それで会社を辞めるというのは明らかに問題は男性側ではなくて女性側にあると思われます。実際にちょっと変わっている彼でも、彼女以外からそのような目で見られることはありませんでしたし、彼は同じ職場の他の女性と結婚して、今は幸せな家庭を築いています。
会社を辞めたいという彼女から理由を聞いた私は、彼女を傷つけないように「それは彼だけの責任ではないよ」らしきことを遠まわしに言い、自分の問題でもあることに気が付かないと、また別の会社に行っても同じ問題にぶつかることを示唆したのですが、反感をかってしまったようで、分かってもらえませんでした。それどころか他の女性に私が言ったことを(私は被害者なのに私に原因があると言われたというようなことを言ったのではないかと、飽くまで私の推測ですが)言いふらし、私が他の女性5人ぐらいから非難されることにもなりました。
人を許せないことで苦しむのは、許されない相手ではなくて、許すことのできない自分です。このときも彼は自分が嫌われていることなど知らず、天真爛漫に仕事をしていました。そして彼女は去っていきました。
また槙原さんの歌に戻りますが、
♪相手を責めるよりも先に自分の中をまず見つめて
相手を許せるような広い心を持ちたいな♪
と彼は「Tag team」で歌います。
愛の基本は「自他一体」ですから、すべてを自分のこととして許し受け入れることが愛ある自分へのスタートです。
実際、許しと愛は非常に密接な関係にあります。
許しと混同しそうな心情に「妥協」があります。
人間関係には妥協が必要と言います。しかし妥協は我慢であり鬱積感情を抱きます。ですから私は、これはお奨めしないのです。妥協なくしても或る意識をもてれば、調和を実現することができるのです。それは何かお分かりでしょうか。
それこそが〝許し〟なのです。許しと自他一体の愛とは、とても深い関係にあります。なぜならば許しは相手を受け入れるということで相手との一体化を意味しているのです。しかし妥協とは自分自身に篭って我慢するということで相手との分離を意味します。この二つはエネルギーが全然違うのです。妥協も許しも外面はおんなじに見えますが、心の安寧度の結果は全然違います。ですから、どうせ妥協するなら許しちゃいましょう、ということです。
オフ会、楽しかったですね。でも12人は良く集まりましたね。
最近のまりんさん。シンクロ多いですね。
そういえば、今朝のチャットもブラウザ開いたらすぐ「お入り下さい」ですからね。まさかじっと待ってたわけではないだろうし。
来年もよろしくです。
次郎三郎さん、はじめまして。
人間、人のことは良く解かっても、自分のこととなるとからっきしダメという人が殆どですから(私も含め)、次郎三郎さんのように
>客観的に自分を観察・分析できるように努めている
という習慣を身に着けないと、すぐに負けてしまうでしょうね。
またお寄り下さい。
人数多かったので、じっくり話ができなかったのがちょっと残念でした。
今ね、たまたま槇原敬之のCDを聴きながら何気にここを覗いてフンフン・・・と読み進めていたんですよ。「Tag team」の歌詞のところにさしかかったら、ちょうどBGMも「Tag team」に!oh!
またまたちょっとだけシンクロを味わいました。
また来年もどうぞよろしく!
ブログのますますの充実楽しみにしてます。