最近、鎌倉思想、あるいは霊場の本を読んでいたら、最近の状況を、心の劣化という言葉で、捉えていた。
霊場めぐりが、関心を呼んでいる。
私も考えたが、足が劣化しているのと、あんまりお願いしたいこともなく、近場の遺跡をたまあにお散歩するかな、と思った。
後は、昔の岩波講座日本歴史を読むことにした。
しかし、佐藤弘夫教授の本はためになる。
心の劣化というが、そもそも今は、思想の枠というものがない。
悪党の跳梁する、中世のようだ。
続く円安で、物価は上昇を続け、賃金は、どんどん相対的に下落している。
旅行をするにも、お金が不足している。
インバウンドが賑やからしいが。
かつて、紙幣バブルをあら治療で終わらせた松方財政と言うのがあったが、今回はどうなるのか。
時々夢に彼女がでてくる。
彼女は、なにを思っているのか。
ふと、買い物に原付で出掛けると、皆歩いている。
街は正常に動いている。
しかし、新聞、スマホでは、犯罪で一杯だ。
日本中世思想は、躍動と混乱で一杯だ。
しかし、それでも、思想、歴史にまだ枠組みがある。
つまり、枠組み、パラダイムがあるようだ。
現在は、選挙もあるが、国ががたがたになっているような気がする。
私は、あと三年間働くのだが、毎日、家に帰り、くたばって寝るだけで、休日も寝ているだけ。
彼女は、なにを考えているのだろう。
おそらく、日常生活というパラダイムのなかで考えているのだろう。
そのパラダイムが、外縁から、成り立たなくなってきている。
私に、あるのは、ひとり生活のパラダイム。
私ひとりの物語。
子育てとは、もう一つの物語を紡げるようにいくこと、だとエマニュエルトッドは言っている。