ブラックアジア、インド編と言う本を読んだ。
インドについては、昔、インドとイギリスという本を読んだが、ある意味、人口が爆発するなか、よけいに貧困層が増大しているような感じがする。
この二冊は、私が、最近、取り組んでいる貧困層の問題についてのバイブルとも言えるだろう。
インドにおけるエイズの蔓延。
貧困層におけるせいかつは、しかし、日本においても今や、起きて、急激に拡大している。
かつての日本の姿は、観光地の景観とかを除いて、無くなる。
後は、スラムの様な荒廃した景観。
拡がる耕作放棄の景観。
コメ不足という事態に、はるかに安いカリフォルニア米が店頭に並んでいる。日本米と変わらない。
個人的には、かなり美味しいらしい、東南アジアの米に興味がある。
ピラフが好きなこともあるし、体質的に、日本のおコメは胃に重たい。
と言うことで、食パンばかり食べていたが、太るのと、カビなどの問題で、オートミールがいいことを発見した。
荒廃した日本の景観から逃れるために、観光地は人だらけ。
おまけに、熱帯化で、動けない位に暑い。
冷房をつけるが、電気代が恐ろしい。
日本人は、景観を見つつ心をなごませる民族であるが、心を安定させる光景が失われている。
心の光景を求めて、秋になったら原付バイクで、山のふもとまでいこう。
ヨーロッパ人は、8月は、徹底してやすむ。
しかし、これは、帝国主義時代のなごりではないか。
私は、ずるい人間のそばにいると、ずるい事しか考えなくなる。
そういう次第で、本を読むのが必要になる。
自分がまっとうに物を考えるようになる。
人と会話をすると疲れる。
歳をとると特に。
そういうときは、研究しているに限る。
現在は、貧困の研究だ。
これは主体的な研究でもある。
貧困が自分なので、、
現在の課題はグラノーラをどうして食べるか。
牛乳はお腹がこわれるのでだめ。
豆乳は、歯を磨きたくなるし、結局、矢張り水か。
主体的とは、哲学的に言えば、実存的と言うことか。
キルケゴールは好きだった。
学食に行くだけの毎日だった。
後は本を読んでいた。
あの頃に帰ろう。
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