アンティーク青葉2021

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竹を植えて友とする

2023-03-20 20:19:02 | 日記
道元の正法眼蔵を読んでいると、ふとこういう言葉にであった。
そう、竹が風にそよいでいる。
これは、誰にも経験ある思いではないか。
竹のなかを歩いていると孤独を忘れる。
竹は割り箸くらいにしか利用できないし、竹林は開墾しにくいが、この無駄こそ、日本人の感性には最も必要なものである。
無駄をわすれた文明は滅びる。
ホイジンガは、遊びを失った文化は崩壊すると言っている。
東洋文明にとって竹は重要な存在である。
パンダも竹林無くしては生きてゆけない。
京都を見てもわかるように、本来、日本には自然なしの都市文明はない。
欧米は、自然と都市をわけているが、日本は都市に自然を取り込んてきた。
竹林、草庵、茶室、華道、など、日本文化は、自然のままを、本旨とする。
どんな城の城主でも、草庵のあるじに、まさることはできない。

現代日本は、戦国時代のようだ。
強盗、さぎだらけである。
こういうときは、草庵にこもっているのがいい。
しかし、日本政府も、まず国内の治安を維持せねばならない。
これは、ウクライナどころではない。
内なる安全保障なくして、外なる安全保障を語る資格はない。
とにかく、今の日本は危ない。
育児保障というが、そもそも若者の人口、所得ともに、下降を続けて、結婚できても、3人以上産まないと人口が回復しない。
そうなると広い家も必要になる。
育児休業より、今現在多発しているのは、介護の問題だ。
介護休暇と育児休業で職場は動かなくなる。
政府は、現場をまったく知らない。
税金を上げることしか考えてない。

少子化対策をかまびすしく言うかたわらで、強盗、詐欺、のまん延。
今、国民にできることは、じっと家に引きこもっていること。
しかし、それでは、お金がなくなるので、犯罪社会に出ていってこそこそ働くこと。
しかし、そのうちお金はなくなって行くよね。
でも、21世紀は自助努力の新保守主義。
強盗にあうのも、なんでも自己責任。
どんな政権も、ばら撒き主義、そしてにっちもさっちも行かなくなり、増税。
そうして大学の授業料も値上がり。
すべての財やサービスも少なくとも税の分だけ値上がり。
そして、みんなの生活が苦しくなるとまたばら撒き。
こんな日本はどうなるのだろう。
大学進学率は、こういう状況でもあがっている。
私は、日本の場合、大学進学になにか信仰のようなものが根底にあると思う。
年齢が経つとなにか分かってくる。
Fラン大学もたくさんあるなか、入るのに血みどろの死闘を演じている大学もある。
なにか、それぞれの大学の奥深くに、鏡のような御神体があるもののようだ。
まるで犬夜叉か。
つまり、大学に行ってどうなるかは、わからないが、大学に入るまでは、民間信仰のごとく、
必死になる。
だから、受験産業も教育産業も、入った時点で終わりで、後は何も述べない。
 
日本の特に国立大学はなぜ無料ではないのか、どころか、なぜ授業料を上げてきたのか。 
これは、明治政府のなかでも検討されていたことだが、結局、留学できる資力が必要だ、ということになって、授業料を徴収することになったという経緯がある。

現在の日本は、しかし、私立大学の経費の問題などでいろいろ難しいのだろう。

私としては、大学の経費を国が全部負担するのは、全国民が受益者でないので、難しいと思う。

それは置いといて、現在の最大の課題は、安全国家の日本神話が、崩壊している日本をなんとかして欲しい。
具体的には、強盗、詐欺の壊滅である。
しかも、働き盛りの年齢の者や、少年が闇バイトに入っている。
まさに、人生の終わりだ。
治安の維持が崩壊して、刑務所だけが栄える。
刑務所や死刑が怖くないのだろうか。
現実から逃避しようとして、犯罪に走る。
しかし、刑務所からの逃避はできない。
無期だったら、ほぼ永遠にできない。

日本は格差社会を問題にしてきたが、今や外を歩くことすら、危ない世界になってきた。
これは、対外政策どころのさわぎではない。
北、、が危ない、ウク、、が大変だ、どころか、日本国内が危ない。
これから生まれる子供以前に、今の国民が危ない。









暖かい冬から寒い春へ

2023-03-10 22:04:37 | 日記
近頃の話題は、といえば、大強盗、詐欺団の話。
それも、人数が凄い。
なんかもう、街を歩きたくない心境。
銭形警部頑張ってください。

しかし、犯罪が多い。
スマホ時代になって、人間関係が希薄になって個人が不安をかかえ、もろくなっている。
しかし、犯人たちは、どんな経歴を追ってきたのか。
もともと、どんな人生を送りたかったのか。
どんな努力をしたのか。

私はといえば、歴史をやりたかった。
そのほか、いろいろやるべきことはあったろうが、あまりに非力なため、他のことは出来なかった。
ただ、骨董を通して、少し学んだのかもしれない。
高倉健さん主演の鉄道員を見て感動した。
いまからは、ポッポヤ以後の世界。 
体力が落ちているので、勤まるかどうか。
ボチボチ行こう。

今日はムシムシするほど暖かかった。
冬が寒かったので、ありがたいことだ。
東日本大震災の日だ。
東北に学生時代住んでいたこともあり、
心配だ。
とくに、福島原発の事故は、その復興が気にかかる。
映画フクシマ50sは、必見だ。
 
映画フクシマは、渡辺謙らが主演でみどころのある映画だ。
ついでに、映画ミナマタも見たいと考えている。
写真家というのも、大変な仕事みたいだ。
北の福島、南の水俣。
資本主義の暗部のひとつの光景だ。
さらに、今は、深刻な戦争というものが起きている。
さらに、コロナ禍で、ゼロ金利で維持されてきた経済が、円安とのダブルパンチで、中小企業が危機にたっている。

こうなると、アベノミクスとはなんだったのか、という思いがするが、
しかし、赤字国債の増発の果てには、なにが待っているのだろう。
消費税増税も間近な感じもする。

YouTubeの津軽ルームを見ていた。
東北の光景と、津軽三味線の音がマッチして、
思わず飲み込まれる。
大学を仙台、大学院はわずかだが熊本で過ごした。
仙台では、周り中で津軽三味線の音がしていた。
仙台は都会だが、紛れもない東北だ。
一方、熊本は、紛れもない九州。
仙台も熊本も都会だが、どちらも田舎だ。
結局、田舎しか知らないできたが。
農村経済については、観ることが出来た。
あと、地方経済についても。

しかし、地方経済はどうなるのだろうか。
大学の広告を見ても、私大文系とか、なんか華やかだ。
私のように、暗く中世をやりたいとかいうのは、異端なのだろうか。
そういう事で、九州でまともに歴史をやれる大学を探していたら、九州大学と熊本大学くらいしかない。
あ…熊本大学行きたいなあ。
しかし、大学院1年でやめたし、金もない。
体力もない。
熊本は、いいところだ。
水が天然水だ。
人が古風でいい。

私大文系は、上智大学だけうけた。
早稲田は、上がる自信なし。
上智の受験生は、女子が多かった。
受けてみて、自分は地方向きだと思った。
上智の面接では、併願校は、と聞かれて、
東北と答えたら、滑り止めですね、と言われた。
東北へ行くことになり、高校の友人はだれもいなくなり、かってな生活がはじまった。
そういうことで、かってな生活が続いている。






明るさと暗さ

2023-03-07 23:23:31 | 日記
人生の明るさと暗さはなんだろうか。
暗さは、世代を通して、変わらないものも多い。
まずお金がない、
健康に不安がある、
職場の人間関係、
などなど

対して、明るさは、ひとそれぞれ。
小さな幸福。

不幸は歳と共に大きいが、
明るさは、ひとそれぞれ、小さい。

しかし、小さな明るさは、
大きな不幸を忘れさせてくれる。
ただし、借金をしない場合だが。
やはり、小さな明るさのために生きることだ。
そのためには、人はみんなやっているのに、
という、あせりを捨てることだ。
しかし、そうもできないことが、世俗のならい。
みんな、というのも、全世界の人々が、ではなく、全日本の人々というのでもない。
例外なき規則はない、というが、そもそも規則ではない、誰が定めた原則でもない。
釈迦も、孔子も、誰も正しい道を究めていっただけで、職場のお局様が、支配している道徳が偉いわけではない。

問題は、明るさと正しさはずれていることにある。
といって、規則でいっぱいの日本社会では、自分で考えるにまえに、規則を覚えるのが大変だ。
その上、職場とかの、不文慣習法みたいなのがある。

正しくて明るい
正しいが暗い
正しくなくて明るい
正しくなくて暗い

明るいとは、なにか。
天気がよいこと。
太陽の恵みは、全地球の生命を養っているので、これは言えるだろう。
優しい人に会うこと。
こころがやすらうので言えるだろう。
これと正反対は、もしかして刑務所の世界だ。
水がおいしいこと。
人間の身体の8割は水。

西田幾多郎は、主客未分の直接状態を善の研究で述べている。
禅の修行の延長にあるらしい。
ただ私は、これが達成可能な、常時の状態として、その無防備さを、守る村のやさしさがあると思う。
これが現在、一番ない。
受験勉強を勝ち抜くには、田舎は、とても不利だ。
田舎のやさしさ、とはなにか。
東京国立博物館に、夏に行ったときに、古代エジプト展をやっていたが、小学生がヒエログリフの彫られた石棺の上で、レポートを書いていた。
さすがに、生活環境の違いを感じた。
この環境差は、簡単に取り戻せるものではない。
日本の田舎を舞台とした、というか、犬夜叉とか、ゴールデンカムイが好きだ。
犬夜叉の桔梗は、はるかかなたの彼女。
神楽は、昔の不良少女で、なんかカッコいい。
人は農村に、美的意識を抱くが、農村での生活は大変だ。
第一に、若い人が少ない。
娯楽がない。
仕事がない。
教育を受けた少年、少女はみな出てゆく。
人口減少、少子化で、この傾向が加速している。

このように、日本的善は、今や夢想の世界だ。
田舎の沈滞した世界を救っているのは、もはやスマホという現状だ。

やはり、これは農業だけでは、食べてゆけない政策の末路であろう。
おまけに、土木工事と人口の減少で農地が売れない。
老人ばかりになって、農地が維持できない。
猛暑で、農作業が苛酷をきわめるなど。
さらに、嫁が農村に来ない。
などなど。

市町村合併で役場が、人員削減を大きくおこなったのも大きい。
コロナ禍と円安、資源高で、地方が不況になっている現在、田舎は手詰まりである。

と、この辺で、手詰まりになってきたので、気分転換に、掃除タイム。

ところで、最近は犯罪が多い。
しかも、強盗が多い。
一体どうなっているのか?
学校では、憲法しか習わないので、犯罪の結果を知らないのか。
それとも、元来、犯罪性向にある人々が実は多く存在して、ネットで結びつくようになってしまったのか?
しかし、危ない社会になってしまった。
不況が事態を促進している。
学校では、法教育を推進すべきだろう。
というか、治安維持で精一杯の学校も多いかもしれない。
いろいろ危ない世界になってきた。
ゆとり教育の反動で、教科書が分厚くなり、
英語は、スピーキングテストの時代になり、
私は、つくづく今の時代に生まれなくてよかった。
政府は、子供が全員、スピーキングのできる大人になるものと思っているようだが、
それは無理です。
社会が、二極化します。
ローマ帝国のように、支配者と被支配者の国になるだろう。
世界史の知識は必要だ。

被支配者にとって、自由とはなにか?
ベン・ハーの櫓漕ぎのシーンのようだ。
それとも、イエス・キリストの十字架のシーンか。
真の幸福のことを、彼は深く知っていた。

そういえば、犬夜叉であった。
桔梗と、神楽。
どっちも、日本的な名前だ。
案外、日本歴史のなかに、自由はあるのかも知れない。













気分転換

2023-03-07 13:54:51 | 日記
温泉宿にきている。
温泉宿というか、国民宿舎みたいな感じだ。
部屋に入って布団の上に倒れたきり、立ち上がれない。
4月から働くので、今のうちに、リラクゼーションしておこう、どうせ働いたら、アパートと職場以外の景色はなくなる。

と、言うことで、立ち上がれない1泊2日の旅だった。
やはり、自宅が落ち着く。
帰ったら、ハムスターが喜んでいた。
そうして、再び、仕事以外ほぼ予定なしの日々がはじまる。
というか、仕事以外の予定があったら、もう耐えきれない。
一人になる時間がなくなったら、神経がばらばらになってしまう。
ひとりで新聞でも読んでいる時間が大切だ。
しかし、肺に肺炎の跡があるそうで、息切れが激しく、階段はとても辛い。

今回、旅行してみて、なんか自分にはボロ旅館が向いている気がした。
さらに、やはりひなびたところがよい。
ひとり旅は、寂しくないが、旅行支援もあって、とくにひとりは、予約が大変だ。
カップルが、温泉卓球しているのがよかった。

私は来年からまた、仕事するアンドロイド。
現在は、仕事の準備中。






現代小説

2023-03-04 22:04:27 | 日記
皆んなが小説を読まなくなってしまった。
最近、読もうとしている小説も、殺人事件とか、平気でおこすので、結構疲れて、すぐ放り出してしまう。
これだけ、世の中は、平和を追究しているのに、小説の中は、殺人、窃盗など、犯罪だらけだ。
それとも、単なる日常だけ。
表現の自由か、それに囲われて、作家は、やりたいほうだいだ。
読んでいるこちらは、まるで刑事訴訟法の勉強である。
というか、刑法の勉強でもしている方が有益だと思う。
青年は、勉強と恋に忙しく、高額な大学の教科書と、パソコン及びWiFi、スマホ代で、小説どころではなく、大人は、生活費で、小説どころではない。
と、この2点をとっても、小説の将来は暗い。 
酒井信「現代文学風土記」という本がある。
これは、小説読まないが、どんな小説がでているか、というかたにお勧めである。
読書代を節約したい大学生や社会人にもお勧めである。

しかし、世俗を離れたくて、小説読んだら余計に世俗ダラダラになってしまうと言うのは不幸である。
少年よ、勉強しよう。
与えられた時間は短い。
恋をしよう。
むろん、ストーカーはいけない。

私は、いろいろ学ぶことは、高校教科書を中古で購入するのが、ひとつのいい方法だとも思う。私は、そういうことで、日本史をやり直してみた。
これは、コスパもいいし、良い方法だった。

大学入試が、終わった。
大学での授業は、意味不明、難解の世界だ。
しかし、そもそも人生が、意味不明だ。
社会そもそもが意味不明。
 
仕事の準備をしていると、暇とみられ、仕事は業務だが、仕事の準備や後始末は業務ではないと言われ、
バタバタしてると、落ち着きがない、と言われ、
冷房は、32度を超えないとだめ。
と言うことで。

しかし、卓球は、面白い。
私は、ペンホルダーでドライブ、つまりペンドラでしかもドライブはあまりきれていない、という永遠の初心者で、上級者からは、常にボコボコ状態だが。
おまけに、筋力が、年で落ちて、カットマンが、全然対応できない。

最近は、YouTubeで卓球が堪能できる。
なぜ卓球が楽しいかというと、まず、玉が軽いので年でも操れる。
ペンホルダーは、軽いので、年でも疲れず、
また、ドライブが打てる。

あと重要なのは、玉の回転が物理学的に解析できる。
とても理系的競技だ。
あと、テニスと同様、接触しないので、平和、
ゴルフと同様、紳士的な運動だ。

最近、ほんと卓球は、脚光を浴びてきて、無敵の中国と対等に戦ってきている。
卓球は、元来、細かいことの好きな日本人に向いているのかも知れない。
あと、適当にソーシャルディスタンスなので、相手の表情がわかる。
天候に関係ない。
暴風雨でも可能だ。

卓球・勉強・卓球、という世界チャンピオンの方の本があったが、この勉強というのが大事だ。
大学に、行ってなにかを学ぼう、とするかたわら、やるのがよい。
なぜ勉強が大切かというと、やはり人と話すには教養がいる。
さらに、一人暮らしでも、なにかを見つけるには教養がいる。
その点、大学入試というのは、教養を身に着けるには、よい機会だ。
コミュ障と自覚する人は、逆に、コミュ障ではなく、パワハラとかに、敏感な優しい人だ。