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時の関守

意識という不思議な存在 (1)

先日、しばらく入院していた叔母が、我が家を訪れてくれました。
玄関先で、妻と誰かの話し声が聞こえるな、と思って行くと、
「お久しぶりね。」
と元気な声がきこえました。
その時、妻が私に
「朝、叔母さんが来る夢をみたの。
との第一声です。

叔母は「○○さん(妻)に、呼ばれたのかもね。」
と返してくれました。
母もそうでしたが、私の妻もよく、夢じらせらしきものが多くて、特にそれが役にたつわけではないのですが、不思議なものです。

人間の心というものは不思議なものです。
このような些細な出来事のなかで、そう感じることもあれば、予言、デジャブ、身近な人の死の知らせなど、数えればきりがありません。
守護霊なんてものもありましたね。

私が記憶していることで、きっと3~4歳ごろの記憶だと思うのですが…。

子供ながら、心というものの不思議さを思っておりました。
なぜなら、心は自由で、想像すれば何にでもなれるし、どんなことも可能です。
そのとき思っていたことを、今の私の言葉に直せば、心というものは宇宙そのものでした。
無限の広がりがあって、かつ、拡大し続けてます。

それからすると、周りにいる人たちの、限りある(人間という)姿のなかに、
私が感じていたような、心が宿っているようにはとても思えませんでした。

それでも、少しずつ歳を重ね、人とも話すようになってくると、他人にも(私と同じような)心というものがあることに、途中からやっと気づきました。









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