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時の関守

意識という不思議な存在 (2)

子供のころのそのような感覚
~あたかも、宇宙と同じくらい広大な意識という存在が、人間の身体という小さな容れものにあるとは思えなかった~
は、今思うと、あながちまちがいでもないような気がします。

だんだんと大人になるにつれ、さまざまな知識は増えますが、思い込みや不必要な知識も増えますから、
直感もにぶり、
ほんとうに大切ものは何なのか、わからなくなるのかもしれません。

今このように、子供のそれも幼少期の記憶をさぐると、
とても大事なことを思っていたはずなのに…、
そんな大事なことを、
今まで忘れていたなんて…、
と思います。

私はこのように、たましいとか、霊的なことを主に、ブログに書いていますが、
科学の話しもほんとうはとても好きです。
とくに宇宙の話や、物理や生命科学が好きで、その関係の本はよく読んでいるほうだと思います。

それでよく思うのは、科学というものが、
この世界の最初の出発点で、
最大のまちがいを犯しているような気がしてなりません。

宇宙のはじまりが、ビックバンから始まったということについては、それがほぼ定説になろうとしています。
が、そのはじまりはというと、針の穴の一点という、何とも信じられないスペースなのです。
そこから、半径150億光年という想像を絶する宇宙が誕生しました。
では、その針の穴の一点はどうやって誕生したかについては、科学はほぼ無力といっていいのです。

生命科学でも事情は同じです。
生命の誕生という、人にとって一番興味のある一点については、あやふやなままです。
何万年、何十万年という、無限に長い年限がありえない偶然をおこし、生命が誕生したという、うそのような説明でしかないのです。
奇跡のような偶然であっても、永遠に近い年月がそれを可能にしたと…。

とにかく現在、生命が存在しているのはまちがいないのだから、それらしい説明をしておけばいいだろう。
そんな説明のしかたです。
それらしい理由をでっち上げただけではないか、
と言ったら言いすぎでしょうか?






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