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時の関守

意識という不思議な存在 (3)

科学はなぜ、そのような(私が思っているような)まちがいをおかすのでしょうか。
それは、科学にとって、意識や心はタブーとなってしまっているからだと思います。

ほんとうはただ、科学の研究を進めていく過程のなかで、
心というものの正しい知識や
定義ができていなかったため、いったん保留(考えないこと)にしておこう、ということにすぎなかったのだと思います

それがいつのまにか、科学者が心について触れると、単なるオカルトや、異端者(科学者ではない)というレッテルをはられてしまう、そんなふうになってしまったのではないでしょうか。

私は科学者でもないし、専門分野の知識もありません。
ただ、専門外のほうが、冷静に、総合的に判断できたりする、ということもあるかと思います。

宇宙や生命のはじまりという、ほんとうに大切な瞬間こそ、
意識という概念が必要なのだと思います。

例えば、私たちの人生を例にとってみましょう。
私たちの人生にとって、とても大切な瞬間、自分自身や子供の誕生という大切な瞬間。
それはどうやって、起こってくるのでしょうか?
それをあなたは、
科学がいうように、
偶然にまかせることができますか?









コメント一覧

nojyucal moon G
意識
仏教で言う意識ですが
五感である五識の目耳鼻舌身の
次に来る六番目の心を意識とするそうです。
見たり聞いたりする情報を心がとらえて
感情となるって事でしょうか?
何か難しいですが、奥が深くて面白いですね。
私の書き込みも沢山読んで頂いたみたいでありがとうございました。
GW中に神社に参拝に行きまして、
仏教ファンが神社を参拝してみた。って書き込みしてますので、宜しければ読んで下さいね。
神道からの視点からの自力本願、他力本願の書き込みは楽しみに待ってますね。
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