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時の関守

たましいの力 (6)

最後に、神のお心とはいったいどんなものなのか、ということについて書いてみたいと思います。

神のお心と、たましいは人間創造のとき、一心同体で働いていますので、同じ心といえます。
たましいは、人間の本質なので、人はその本質において、神の心を宿しているといえます。

では、神の心を宿している人間が、なぜ、全く反対の心を使うのか。
それは、言葉を変えれば、どちらをいつも、選んでいるのかということでもあります。

その意味では、何も難しいことは言っていません。
人間はただ、いつも、どちらの人格を選択しているのか、ということだけなのですから。

私たちは、身体から派生(はせい)する自我(じが)と自分が、寸分(すんぶん)違わないと思い込んでいるのは、よくわかります。
私も、ずっと、そう思っておりました。
それに比べると、たましいは、その存在すら否定されています。

ですから、当然、神のお心など、わかるはずもないでしょう。
神の心がわからなければ、せっかく、人間の本質がたましいであっても、たましいの力が発揮されるはずもありません。

火と水とは神そのものです。
この世界にある火水とは、神が物質に姿を変えたものなのかもしれませんね。

そのことを聞かせていただいてから、お風呂に入りますと、ほんとにありがたいものです。
お風呂につかっていると、まさに、神さまのふところに抱(だ)きかかえられていることを、実感することができます。

火と水。
火と水の心。
考えただけでも、何かとてつもなく大きなお心なんだろうなぁと想像がつきます。
例えば、水はこの世界で、万物 を浄化しております。
そのこと一点だけ考えても、この世にある、ありとあらゆるものをきれいにするのが、そのお心であることがわかります。

火というものは、例えば、太陽の光(光は暖かいものです)で考えてみると、万物に平等にあたえられます。
地域によって差があるのは、しかたありませんが、この人がきらいだからとか、悪人だからと差別することもありません。
善悪、価値観、優劣の違いで、隔(へだ)てないのが火の心、神の心なのだと思います。

そうやって比較してみると、人間は、隔てるのが商売じゃないの、と思うくらい違いますね。

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