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時の関守

たましいの力 (7)

神の力、奇跡といわれるものを否定するかたも多いと思います。
私は、それが奇跡かどうかを議論することには、興味がありません。
どちらにしても、自分に都合(つごう)のいい証拠を集めてくるのですから、時間の無駄(むだ)です。

ただ、奇跡の結果ではなく、奇跡の原因には興味があります。
人間という奇跡が、この地球上に存在して、その原因が神であり、たましいであると神話が語っています。
たましいがなぜ、この創造に加わることができたのか。
それは、次のようなことだと思います。

例えば、あなたが今、神からこう言われたとします。

私(神)がこれから、私でさえ困難だと思うような、とてつもない、大事業を始めようとしている。
私(神)自身でさえ、困難だと思っているようなことなのだが、それでも、また、それだからこそ、お前にも協力してほしい。

そんなこと言われたら、まず十中八九断りますよね。
自分にそんな能力、知識はないのですから、当然です。
しかし、神はあきらめません。

そんな能力や知識は、問題じゃないんだよ。
そんなものは、神がいくらでも授(さず)けることができる。
ただ、自分の我(が)だけは捨ててほしい。
我を捨てて、無心となって、神の心のみを、心に置いてくれさえすればいいんだよ。
神にそう言って頼まれたら、あなただったらどう答えますか?

もし、そんなことがあったとして、さて、それにどう答えるか、私にもわかりません。
ただ、このことを、普段の日常のなかで、絶えず選択してほしい、というのであれば少しは可能かもしれませんね。

さて、創造の瞬間、その奇跡のひとつに、この人間、世界を形造る力があります。
その奇跡の起こる理由(神のお心)を知ること、悟ることはできます。

この地球上には、重力という巨大な力をものともせず、立ち続けているものが、たくさんあります。
草木がそうですし、人間が建てる建物もそうです。
草木はまず、与えられた場所に文句ひとつ言わずに、無心で精一杯の力をつくして、そこに、成長して、立ち続けようとします。
草1本、はえそうにない場所でも、力をつくします。
人間 だったら、つい、愚痴(ぐち)をこぼしたり、やらないうちからあきらめてしまうでしょうね。
どんなに、過酷な場所であっても、立ち続けようとするのが、神の心なのだと思います。
難しいのは、そこに、我というものがはいるからです。

偶然なんかありません。
この世界が形造られているのは、たましいが、どんな境遇にあっても、立ち続けようとする意志があるからなのです。
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