徳島電友会会報10月号に掲載した仁田 若利さんの私の健康法をブログにしました。
多彩な趣味とおいしく食事・適度な晩酌で健康長寿!
仁田 若利(牟 岐)
私は自分の健康のことは、全く気にせず38歳から自宅をはなれた単身赴任生活を続けておりましたが、県外で勤務した2年間の担当業務の関わりと自分自身の意志の弱かったことから毎日70本の煙草を吸うようになりました。旧徳島電報電話局で勤務することとなった48歳の時、体調を悪くし健康管理医から厳しい忠告を受けたことから禁煙し現在に至っています。
現在の会社に移行する直前に、再度旧徳島電報電話局で勤務することになりましたが、突然急性腎炎と診断され3ヶ月間入院しました。完治して元の職場に復帰しましたが、健康に自信を失ったため当時としては少し早い56歳で退職しました。退職後は定期的に診察を受けるとともに、家族の協力で塩分を少なくした食生活を続けましたが、自分は無塩醤油を20年間使用しました。健康体になった60歳頃から自分本来の趣味である海と川の“釣り”も復活しました。また、シニアソフトボールチームに参加して県内外の多くの試合で汗を流しました。永年続けた自営の酒類販売店も70歳で閉店し、時間に余裕が出来てからは四国八十八ヶ所参り4回と西国三十三ヶ寺参りもしました。気晴らしで楽しい旅行も国内各地は勿論のこと、外国旅行も11回しました。わずかですが視野と知識が広くなった気がします。毎年参加した故郷那賀川で行なわれる、木頭杉一本乗り15回大会で名人位をいただきました。父から引き継いだ野菜作りと狩猟免許を取得しての田畑を荒らす「イノシシやシカ」のワナによる捕獲を20年余り続けましたが、妻が足を骨折し車椅子を使用するようになったことから、介護と家事のため4年前に終止符をうちました。また退職後30年余り続けた早朝の「ラジオ体操」も昨年末「寒さとやる気」を無くし中止したままです。老人クラブの世話役と一人暮らしの高齢者訪問は続けていますが、自分自身の健康保持にもなり一石二鳥と思っています。最近は自宅近くを散歩して三度の食事を美味しくいただくことにしていますが、昨年12月からは週に一回ですが介護施設で御世話になり楽しく短く感じる一日となっています。現役時代からの日記帳も継続していますが、わずかながら「痴呆」に効果があるように思われます。
夕食をおいしくする適量の晩酌と、血圧に効果があると云われるドクダミは飲み続け健康長寿でありたいと思っています。
※仁田ブログのアップが遅くなりました。仁田さんは徳島県遺族会でも語り部としても活躍されています。
語り部事業は戦中・戦後の国民が体験した労苦を次の世代に伝える事業です。 徳島県遺族会では、毎月第二土曜日に徳島県戦没者記念館で行っています。一度行ってみてください。電友会の濵 順子さんも徳島遺族会の副会長、女性部長をなされ語り部事業に協力しています。
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