★ L (スペースエル) 体を通して人の全体と向き合うサロン 目の前は淡路島の海 女性専用ボディーセラピー

このブログを見つけてくださってありがとうございます。
わたしたちを巡り合わせてくれたすべてに感謝致します。

迎春 闇とは

2016-01-01 18:48:37 | 日記

誰もが一度は読むであろう 「ねんしんがきん」

明けましておめでとうございます。

元旦の朝は、兵庫県で唯一の神宮格、伊弉諾神宮に参拝しました。
毎年お正月三が日は、参道にズラっと出店が並び、
たくさんの参拝客で賑わいます。

淡路島にこんなに人がいる! そんな喜びひとしおの初詣。
今年もたくさんの喜びをいただいきました。

参拝後は、おのころ島神社へ。


2016年 元旦のおのころ島神社。

残念なことに駐車場が満杯で入れず、
鳥居の外から参拝しました。

ところで、去年の大晦日つまりつい昨日の夜は、
海と向き合い、静かに過ごしました。



2015年最後の月光浴 12月 31日 午後 11時 10分撮影

はじめのうちは月が雲に隠れ、真っ暗な海でした。
月がゆっくりと姿を現し始めると、
黒い海面に赤銅色の月の道ができ、
波の動きで煌々と輝いていました。

まるで空からジワ~と滲み出て滴り落ちる、
アムリタのような月。



線香花火が燃え尽きる直前の火塊のようにも見えました。
2015年 12月 31日 午後 11時 11分撮影


闇とはどのようなものか、
太陽と月が、それを教えてくれます。
月は実際に欠けたりしません。増えたり減ったりもしません。

闇とは、何もないカラッポで真っ暗なことをいうのではなく、
そこに何かあるのはあるけれど、ただ光があたっていない部分のこと。

光が放たれる位置や闇の状態により、顕れ方が変化するだけです。
刻一刻と変化する、光の妙。
月の満ち欠けもその一つ。


さて。
2016年が明け、★ Lは 2度目の島正月を迎えました。


2016年初日の出 午前 7時 30分頃撮影

元旦の海はとても穏やかで、波音も静かでした。

太陽が、海にクッキリと映りこんで、
一時は二つの太陽が拝めました。



2016年初日の出。
二つの太陽の、一つは実体、一つは反射光。
本当にそうでしょうか。


海の太陽は光でありながら、空の太陽の反射光でしかありません。
月の光も、空の太陽の反射光でしかありません。

そこに何があるのか。
闇に光があたるとき、クッキリと照らし出される、
それを反射光というのなら、
空の太陽でさえも、実は何かの反射光なのでしょう。

闇を照らしだす、真の光を放つその実体は、
一体どこに存在するのでしょうね。
どこ、という表現に言葉の限界を感じつつ...。


節分直前の、2月 2日 (火) 12時~15時、
★ L にて わたし含め 3名の講師によるセミナーを開催します。
近日、詳細お知らせ致しますね。

2016年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。


元旦さいごの初詣は、地元の松帆神社。

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年賀状と自由

2015-12-12 18:18:53 | 日記

12月の善き日、ご近所さんとお餅つき。
焼きそばをおかずに、つきたてお餅を食べました。


毎年この時期恒例のお知らせです。
年賀状について。

★ L では、
ハガキやメールでのお年賀のご挨拶は控えております。
年賀状をいただいた方にも別段返信しておりません。
(毎年楽しく拝読しております。ありがとうございます)。

かつては、お餅つきと同じくらい、
年賀状を書くことも楽しみのひとつでした。

わたしが初 (はつ) めて年賀状を書いたのはまだ幼き頃、
風邪をひいて咳がコン出続ける、寒き冬の日でした。
(ジャル ジャル ジャルさん風)

まず鉛筆で下書きし、それから色鉛筆で清書。
1人 1人の姿を思い浮かべ、心ゆくまで書いたものです。


カフェ久留麻さんの厨房をお借りして
焼きそば 30人分をこさえ続ける旦那さんと娘。


12月に入ると、「これ、あぁちゃんの分な」 と、
親が年賀ハガキを買い与えてくれました。

「何枚あるのかな、1枚、2枚...」 と数え始めると、
ほぼ同時に、あの人、あの人、というふうに、
ハガキとセットで人物が浮かび上がってきます。

まだ何も書いていない年賀ハガキなのに、
しかもこちらから差し上げるものなのに、
まるでそのお相手から 「これ頼むね」 と
大切なものを預かったかのように感じます。

「だから絶対汚したらイケン」 と自分に言い聞かせ、
こたつの上をキレイに拭きあげてからハガキを置き、
鉛筆を持つ手とハガキの間にティッシュをはさんで書き上げました。

なのにその大切な一枚に、ミカンの汁を飛ばしてしまって...。
スローモーションで時が過ぎゆく瞬間ってあるでしょう?
口からほとばしる汁、年賀ハガキに突進する。
目玉がカカカと飛び出て、汁の軌跡を追いかけ、
「待って待っ...」 と必死になっているうちに
目玉ごと年賀ハガキにぶつかったような衝撃を覚え、
目の前が真っ暗になったっけ。


焼きそばを狙う孫、見張る長女、防衛策をとる次女

ある分だけ楽しんだらおしまい。
親からもらった枚数分が限度だと思い込んでいたので、
それ以上もらいだそうという気も起きず、
ハガキがなくなった時点でアッサリ終わっていました。

が成長するにつれ、年賀状を渡される前に
頭の中で枚数以上の人を思い浮かべるようになり、
出したかったけれど出せなかった人たちに対する思いが、
年々心のなかに余り続け、積もり積もっていきました。

その反動でしょう。
社会人になると、年賀ハガキを好きなだけ買い、
一枚一枚手にもっては、心に思い浮かぶまま、
あの人にもこの人にも、と、
思う存分、年賀状作りを楽しむようになりました。

年賀状を書くことのほうが、クリスマスより楽しみでした。
世の主流が、写真入りの印刷賀状になっても
全面手書きで、ハガキに書くところがなくなるまで。
書いていると自然とニマニマしていまいます。


素敵なカフェ久留麻さん。
場所を提供していただいてありがとうございました。


「好きなだけ年賀状を書ける。大人ってステキだな」
自分の限度は自分で決められる。
それが大人の自由だと知りました。

が、年賀状作りが数百枚を超えた頃、
「・・・もう限界」 ネを上げました。
義理と人情にまみれ、ご縁の切り目が分からない。
年々増える枚数に、気力と体力と時間を消耗し、
自分が決めた限度に、限界を感じました。

いくら自由だからって、限度ってものがあるでしょう?
大人なのに、自分の限界も分からないの?
慣習に踊らされちゃって...それがあなたの自由なの?
誰かにそう言われているような気がしました。

自由の範疇には、
自分で自分の首を絞める自由も含まれているんだな、
そのようなことを漠然と思い、
自由な大人には、自由ゆえの自己責任 (自己自覚?) が伴うと知りました。


臨月の妊婦・長女の、自由すぎる股の開き具合が気になる。

自由って何でしょう。
年賀状なら、誰に出し、出さないか、
それ以前に、年賀状を出すか出さないか、
個人の自由という名の元に、たくさんの選択肢があるわけです。
これって、自分で選択できる自由でしょうか?
それとも、選択をせまられる不自由でしょうか?。

それとは別のところで、いかなる選択肢もない、
無選択の身の上にのみ降り注ぐ自由があります。


「買いこんだもち米がおわるまで、蒸し続けるしかない」
選択肢なしの作業に従事する人達は、最後までとことん愉しんでいました。
お赤飯もおいしかったです。


思えば、子供時代の年賀状作りにもそんな自由がありました。
ハガキを手に持てば、それが誰の手元にいくのか、
選択するのではなく、パっと分かってしまう浮上感。

人からみれば、誰にでも宛てて書けるハガキでしょうが、
わたしにとっては 「この人に書くしかない」 という
限定一枚の貴重なものでした。
誰ともダブらないから、
この人のために誰かを省くというような心苦しさもありません。
ただただ、自分の内から浮上してきたとおりに振る舞える
愉しさがあるだけでした。

いつかまた、あのような自由な心持ちで書ける機会があれば、
年賀状の慣習を愉しませていただこうと思います。
お正月返上で配達してくださる郵便局員さんに感謝です。


孫、若く美しい女性陣を下から見上げる喜びを知る。

ところで、
選択肢なしの自由を、誰もが身をもって体現しています。
『息があるうちは生きるしかない』
この、シンプルな生命の摂理にホッとします。
人は、自由に生きているのではなく、
実は、自由に生かされているんだなぁと。

選択肢なしの自由は、自由の強制じゃないか、
などと言いだすとキリがないのでこのへんで。
ありがとうございました。

P.S.
昨日 12月 11日は、プロ養成講座の修了式でした。
あたたかいゲストさん達に見守られ、
受講生さん達堂々のプロセラピスト・デビューを果たしました。
こちらについてはまた別の機会にご報告しますね。

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波を起こし、波に揺れる

2015-05-10 13:42:41 | 日記

高野山 奥の院の参道にて

サロンにいらしたお客様から、高野山のお話を伺いました。
その会話のなかで、何気なしに
「高野山、わたしも行ってみようかな」 と呟いた 4、5時間後、
そんなことなど露知らない人達とのシンクロニシティが起き、
ナビ役の同伴者・仕事・家族の都合すべての手筈が整って
15時間後には高野山にいました。

「しまった、また不用意な発言をしてしまった」 と
口にしたことは必ず実現してしまう環境を再認識。
「肝に銘じ、発言を慎む」 をさらに深く、肝に銘じました。


壇上伽藍 根本大塔

人が発する言葉に、どれだけのパワーがあるか、
それを認識し始めた頃は、ただ嬉しくて感動して、
次から次へと発言し実現を重ねました。
そして
言葉の力ってすごい! と、ハイな気分になったものです。

そのハイな状態を、
「これが満ち足りた至福の状態なのね」 と思い込み、
周囲に、暑苦しさと浅はかな持論をまき散らしてしまいました。


金剛峰寺

ある時から、必ず実現すると分かっていて言葉を発することの
責任の重大さに気づき、怖くなって誰にも何にも喋れなくなりました。

それはたとえば、果てしなく透明で波一つない清浄な泉に
”私” を投ずるという自覚と覚悟が必要でした。
飛び込めば水全体へ影響を与える、そうと知って飛び込むからには、
その行為による反響を、すべて引き受ける責任も承ることになる。

ならばできるだけ水を汚さぬようにと、
事前に身の汚れをチェックしたり、
水を無駄にかき乱すような衣服を身に着けていないか、など、
自然に、私自身のことを細かく見るようになっていきました。

飛び込んでもケガはしない。泉の性質は知っている。
どんな飛び込み方をしたら、どんな波紋が起きるかも。
泳ぎ方も、潜り方も、すべて知り尽くすことができた
(と思い込んでいました)

それもこれも、泉に飛び込む者の責任を、私が果たしているからだ...
そう思いこんでいい気になり、何度も飛び込んでは
水しぶきをあげ、波をたて、キャアキャア騒いでいました。
時々溺れそうになりながらも泉遊びは面白く、なかなか飽きません。


壇上伽藍 金堂

ある時、泉にプカ~っと浮いて、なぜこんなに自由自在なんだろう? と
ふと私を取り巻く環境に思いを馳せた瞬間のことでした。
泉の愛がどどーっとこの身に流れ込んできて、私は放心状態になりました。

その後は、西行さんが詠んだといわれるこの歌の境地です。
いついかなるときも、どこにいても。
「何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
現訳:
どなたさまがいらっしゃるのかよくはわかりませんが、
おそれ多くてありがたくて、ただただ涙があふれ出て止まりません

以来ずっと放心状態で、泉にプカ~っと浮いているような心地です。
これまで”私”が泳ぎ騒ぎ立ててきた波を、
今度はこの身をもって、一つでも静かにおさめていけたらと。
そのための身の振りなら惜しまず動くけれど、
もう新たな波は起こさないでいよう。
自然にそう思うようになりました。

言葉にすると重たくなりますね。
実際はとても軽やかな境地なのですが。

そんなわけで、高野山に行ってみようかな発言は、
また新たな波をたててしまったかもと思ったのでした。
がそれも高野山に到着し、地下法場に参拝するまでのこと。
これも一つのしずめるべき波だったと分かりました。


奥の院 休憩所の壁の紙文字

高野山は今年開創 1200年の記念催事で賑わっており、
普段は公開されていない秘仏を特別開帳しています。
特別開帳は、前期・後期とあり、前期は 5月 21日までです。
私のしずめるべき波が高野山にあるかも、と感じる方は
ぜひこの期間にお勧めします。

特別開帳の白い薬師如来は金堂にて、弘法大師像は金剛峰寺にて
拝観できます。
奥の院の弘法大師御廟を参拝するなら、必ず地下法場へも参拝くださいね。
弘法大師は実際は、御廟の参拝場所から地下 3mのところに入定しています。
地下法場はそれと同じ高さで、
大師が入定している正面から 15m離れた所にある参拝場所です。
そこには言葉で言い表しようのない、かなりの波が。

参拝の長さは関係ありませんが、ご参拝時には先ほど書いたような、
そうと知って参拝するからには、その身に全責任をもって
ボディ・ハート・マインドをしっかり今にセットしご参拝くださいませ。
そうなって初めて、波が分かりますから。


金剛峰寺の境内で護摩木に記す 手は旦那さん作

5月分の予約と淡路花博2015花みどりフェア

2015-03-30 09:33:28 | 日記

全盲の母に、点滴の鍼の場所を教えている父

3月前半、実家の事情で急遽九州へ向かうことになり、
そのため一部のお客様や受講生さんには、
直前で予定の変更をお願いすることになってしまいました。
その節はたいへん申し訳ありませんでした。
また、たくさんの温情をかけていただきありがとうございました。


病室にいる間、ずっと父の体に触れていた母


明後日 4月 1日 (水) は、朝 7時からサロンの 5月分の予約が開始となります。
インターネット またはお電話にて承って参ります。
どうぞよろしくお願い致します。
満席となりました。いつも早々のご予約ありがとうございます。

先日、淡路島全島あげての祭典 「淡路花博2015花みどりフェア」 が開幕となりました。
5月31日まで島内各地で様々なイベントが開催されます。
現在、花と人で大盛況の淡路島。ぜひこちらの祭典もお楽しみいただけたらと思います。


龍に見えると評判だったサロン前の流木。先日、砂浜の一斉清掃で撤去されました。

ニュルフワ

2015-01-08 04:27:59 | 日記


年始 3日目に、伊弉諾神宮 、 おのころ島神社 、 諭鶴羽神社 の三社詣に行じ、
淡路島の最高峰、諭鶴羽山頂に登って参りました。

最後の諭鶴羽神社に詣でる道中で、
進めば身を滅ぼしかねない、けれど引き返すこともままならない状況に瀕し、
「今生はここで終わるかも」 と、静かに目を閉じる場面がありました。
わたしがそのような態度でいる間、
旦那さんは必死で、命のつなぎ目を見出そうとしていました。

具体的な話、車 1台がギリギリ通るほどの崖道で、
対向車と遭遇したという話です。
大げさ~。

道は極細しかも急カーブの連続で、バックしたとしても転落の危機は同レベル。
お互いのために自分の進路を見定め、前進するしかありませんでした。


この道の先に、この道が安全に思えるぐらい凄まじい崖道がありました

ここに至るまでにも 「これ獣道じゃないの?」 と慄く程の険しさで、
対向車と出遭ってしまった時には、運転していた旦那さんも、対向車の運転者も、
「なんでこんな道走ってきたの?」 と、相手の神経疑わんばかりの表情。
まるで、クレイジーは向こう側だけにあるかのような 「はあ?」 視線。

がすぐに、自覚と相互理解が生まれたようです。
「あ、お互い様ですね」 と。
なんなんでしょうね、あの、双方の顏に一瞬にして浮かんだ薄ら笑みは。
こんな道を選ぶような人にはきっと皆備わっているのでしょう、
はあ視線 = 称賛、そんな公式が。

そして旦那さんは、律儀にも左側通行という交通ルールを守り、
崖っぷち側へ進んだのでした。
なんて見晴らしのいい...視界を遮る木 1本すらありません。
助手席にいたわたしとしては、天空に突き出された生贄の気持ち。
そして生贄は、心静かに思ったのでした。
「今生は転落死か~」

が、クレイジーさん達による、緊迫の運転は見事なものでした。
相手のエンジン音に耳を傾け、アクセルを踏み込むタイミングを計り、
わずかに進んだタイヤの揺れから、道の形状を感じ取ってハンドルを切る。
お互い初対面でありながら、阿吽の呼吸どんだけ。

本気で命がけになった時、空気はピンと張り詰めるんですね。
張り詰めているからこそ、わずかな動きでも空気が揺れ、
微妙な変化を察知できる。
まるで水のなかにいるような流動感でした。

「この流動感、サロンで施術している時と同じだ」 
助手席で事の次第を見守りながら、ハタとそのことに気づいた時、
「今この空間は、命を運ぶ者のために流動している」
そんな確信が起きました。

命を運ぶ者とはつまり、今まさに命がけで運転している両者のこと?。
ならばわたしの息で空気を揺らしてはならないと、呼吸に意識を向けた時、
すでにだいぶ前から呼吸が止まっていることに気づきました。

話は飛びますが、わたしは時折、鏡に向かうと特に、
自分がどこにいるか分からなくなります。
正確にいうと、鏡に映っている中の、どれが自分なのか分からなくなります。
肉体はちゃんと鏡に映っていて、
「いつもはこの肉体から世界を眺めているんだけどなぁ」 という認識もあるんです。
あるにも関わらず、どうしても自分のポジションが定められません。

息をしているとか皮膚感覚とか、そういう肉体感覚も一切ありません。
そしてすべてが、紙に描かれた平面のように見えます。
なぜ平面に見えるんだろう? と、よーく観察したことがあるのですが、
そこには影というものがまったく存在していない、だからだと思います。
こういう状態になったとき自覚できるのは、
ただただ、ニュル~というか、フワ~というか、表現しがたい漂流感だけです。

助手席で、自分の呼吸が止まっていることに気づいた時、
瞬殺で、そのニュルフワ状態になっているのを自覚しました。
命がけで対向車がすれ違おうとしていることは認識できるけれど、
自分は漂流しているばかりで、それには直接関われない。

が、呼吸もしていないので、
「命を運ぶ者のために流動している今この空間」 を乱すこともない。
あらむしろ、漂流している自分も、流動の一部じゃないかしら、
などと、自己擁護的なことを思い巡らしていたのでした。
ニュルニュルしながら。


命を繋いだ後。諭鶴羽山頂に登り、お蔭様のご加護に感謝。

対向車が完全にすれ違うまでの、
たった 3m ほど先の時空間にこの身を繋ぐこと、
それがこんなに狭き門だったとは。
「そのために不要な諸々はここに置いて参ります」 と
素直に謙虚に、禊を受け入れることができました。
その時、見えない鳥居をくぐったような思いでした。
戴き直した真新しい命で。

いつか、置いていくものも無くなって
もうこれ以上は禊げませんよ、1mm 先の鳥居だってくぐれませんよ、
ってなった時に、ようやく、
わたしという漂流もどこかに漂着するのかもしれないな。

何はともあれ、これからも、
厳かに、神妙に、鳥居をくぐるように、1日 1日をお迎えして参ります。

長文お読みいただきありがとうございました。
p.s.
プロ養成講座、まだまだ受講生さんを募集しています。
ご検討されている方は、どうぞ直接ご相談くださると嬉しいです。


上から順番に、伊弉諾神宮、おのころ島神社、諭鶴羽神社

通りすがり日記

2014-09-17 11:11:05 | 日記


★ L の庭に設置したボードに、
旦那さんと日替わりで、
ちょっとしたメッセージを書いています。

始めた頃は、
お天気だとか曜日に関することだとか、
サラリとした内容でした。

この頃は日記めいてきています。







今日もここから、始めて参ります。




本日の朝陽

2014-08-20 05:51:49 | 日記

淡路島の東浦


真新しい一日の始まりです。











朝陽に包まれる神戸方面








姉 in 松帆神社

2014-08-15 19:52:45 | 日記


松帆神社の境内は広く、
脳出血の後遺症で半身麻痺の  には、
本殿までの道のりはかなりのものです。

しかも階段を登らねばなりません。




「またあそこへ行きてぇ。
 敷地内に立つだけでもいいけん」

そう言うので、
車から降りるだけかと思っていました。




杖と手摺りを使って、歩を進める姉。

姉がこの神社に初めて来たのは 3か月ほど前。




その時も、この長い参道に
無欲の一歩一歩を踏みしめて
参拝が叶いました。




娘に息子に、父と母、
わたしの家族や、そのほかみんなみんなみんなのこと。

思い浮かぶ一人一人の名前を呼びながら、
ありがとうございますとお礼を述べ続ける姉。



ふざけたことを反省するくらい、
手を合わせる姉からは光輝が放たれていました。



こんなにも美しい顏をしてたのね。





その様もまた美しい。



叫んで喚いて空白

2014-08-03 13:03:55 | 日記

淡路島の東浦から見た神戸メリケンパークの花火大会 2014.08.02.撮影

昨夜は、神戸の花火大会でした。
大阪在住の頃、花火大会といえば、小さい子供達を連れて
必ず打ち上げ会場付近まで出かけたものでした。

ドパーンと上がった大花火が、空とともに迫り落ちてくるあの凄さ。
「うぉおおお!」
「わぁああお!」

会場全体に湧き起こる歓声と拍手にノせつノセられつ、
誰もが大いに叫びまくっていました。しかも大阪ですからね。

腹の底から、歓声をあげて、声をあげて、あげ倒していると、
花火大会が終わる頃には、自分のなかに空白ができていました。
その頃のわたしの日常生活では、滅多に感じられない感覚でした。

その空白の静けさといったら、何も響かない、真空のようなもので、
帰り道、送り花火が 1発あがりドドーンと轟こうが、
もう、わたしのなかには響かない。
どんな轟音も、人でごった返す雑踏も、
その空白の静けさにはかないませんでした。

何も響かないといっても、無感覚とは違います。
感覚を超えたところにある、全肯定感というか、
全てを包括していて安らかで静寂な感じです。

すべてがそこに、ただ吸い込まれていく感じ。
「ブラックホールってこんな感じかも」 そんなことを思ったものです。





今日の淡路島は雨ですが、目の前の海では、
ブイに乗って水上バイクに引っ張られる女性の悲鳴が轟いています。

右から左へ、ぎゃぁぁあああああ!
左から右へ、きぃいいいやややあ!
朝からずーっと叫び続けています。

若い女性の黄色い声。
ご近所の殿方は、たまらんですよきっと。

もっと叫んでね。もっともっと叫んでね。

叫びたいだけ叫んだ後に、自分のなかに生まれる空白。
本当は、叫んだり喚いたりしなくても、そこに在る空白。
その空白こそ、★ L があなたに見出していただきたいスペースです。

思いっきり叫んだ後のような空白体験が、★ L で実現しますように。


ホリスティック&リラクゼーションサロン ラフラン

2014-07-29 11:29:14 | 日記


昨日パカっと時間が空いたので、ご近所のラフランさんに行き、
60分の施術を受けて参りました。

ラフランさんは、
「こころも、からだも、たまにはゆるめて Refresh」 という
ホリスティック&リラクゼーションサロンです。
(ホームページやブログなどのネットサイトはありません)。

出会いは今年の 5月、★ L が神戸みなと祭りに出店した際に
「わたしも淡路島なんです」 と爽やかにお声掛けくださった、
ラフラン・オーナーのあゆみさん。
たまたまお祭り会場の近くを通りかかり、人の賑わいに誘われ
何やってる? と立ち寄った公園で、★ L を見つけてくださいました。
賑わいってありがたい。好奇心って素晴らしい。

以来ずっとラフランさんに伺ってみたかったのですが、
昨日ようやく実現しました。

サロンは、淡路島の魅力あふれる素敵な空間で、
海のキラキラ、波の音、吹き抜ける風、
一歩入るなり、「すご~い!」 「気持ちいい」 の連発でした。
ティールームも施術ルームも、落ち着いた優雅なスペース。
観光地にしたいくらい。



神戸・須磨で活動していた頃の住居施設からの眺め


ここでふとした思いがよぎりました。
★ L が神戸から淡路島に移転すると決まったとき、
宇宙は、一体誰を淡路島に招きたくて ★ L を動かすんだろう、と、
ずっとその誰かにお会いするのが楽しみでなりませんでした。

そして活動を再開した今、お客様をお迎えするたび、
「この方が、宇宙に招かれた方なんだな~」 と惚れ惚れします。
まわりまわって、結果的には、今目の前にいるこのお客様が、
★ L をこの素敵な地に導いてくださったんだと、
毎日毎回しみじみ感謝せずにはいられません。

その思いが、ラフランさんではそっくりそのまま
わたし自身に還ってきていることに気づきました。
ラフランさんの、本日のお客様であるわたし。
つまりわたしは、宇宙に招かれて、ここにきたんだと。
結果的に、ラフランさんをここに導いたのはわたしなんだと。
そんなことを思う自分自身に、濁点の 「えー」 で恐縮しつつも
鼻高々。



ラフランさんのチラシの一部

あゆみさん曰く、
「リンパの流れを促し、老廃物・むくみを取り除き、
リンパのコンディションを整えていくことで
自然治癒力、免疫効果を高めます。
深いリラクゼーションを感じていただきながら、
美しさと健康を引き出すトリートメントです」 とのこと。

何より、女性にとって、オイルを使用した施術は最適です。
ラフランさんで特に印象に残ったのは、デコルテの施術。
左肩、右肩、と、左右交互の施術にだんだんリズムが出来てきて
まるで肩を揺らして軽く踊るような心地よさでした。
背中、デコルテ、足、脇と、丁寧に施術してくださいました。
ありがとうございました。

ラフランさんのメニューはいろいろありますが、
大まかなものをピックアップしておきますね。
*初めての方は、60分 3,500円で施術していただけます。

●全身コース
120分 10,000円
70分  6,500円

●リフトアップトリートメント
60分 5,500円

Laflan (ラフラン)
予約のお電話は、090-2387-2965
メールは、vivace-avila.0530@softbank.ne.jp
場所は、淡路市の淡路夢舞台近くで、駐車場あり。
バスでお越しの際は、お迎えに来てくれるとのことです。
詳細は直接お尋ねください。

8月の淡路島

2014-07-01 08:14:10 | 日記

晴れた日の明石海峡大橋





濃霧の明石海峡大橋





6月の淡路島

2014-06-30 10:43:17 | 日記

あわじ花さじき




★Lの目の前に広がる東浦の海

海辺の安らぎ

2014-06-26 09:10:39 | 日記

波打ち際にズラっと並ぶユリカモメ


★Lの目の前に広がる海辺には、
たくさんの鳥たちが羽根を安めにきます。




その鳥たちと、お客様の姿を重ねては、
★ L の活動に勤しむ毎日です。

それぞれの場にしっかりと立ち、




それぞれの方向を見つめ、




本日も、自在で在りますように。



7月の淡路島・東浦

2014-06-12 10:38:14 | 日記

★Lの目の前に広がる淡路島の海





6月の淡路島・東浦

2014-05-28 12:07:25 | 日記