前回からの続きです。
「自分を狂わせているのは怒りだ、この怒りをなんとかしなきゃ」
わたしは、自力で怒りの決着をつけられるよう、
自分をコントロールすることに努め始めました。
なるべく相手のことは考えないように
仕事に集中し、スポーツクラブに通い、
旅行や読書、ボランティア活動にいそしみました。
また、少しでも興味の湧くものがあれば、
それを趣味と思い込んで、意識的に没頭しました。
パソコンで音楽制作や動画プログラミングを覚えると
わたしは、思考を占拠するこの作業に没頭し、
衣食住を忘れ、たくさんの仲間と作品を作りました。
が油断するとすぐに、相手への怒りがちらつき始め
むくむくと膨らむ入道雲のように、
頭いっぱいに広がっていくのでした。
わたしは少しでも時間を持て余すと落ち着かなくなり、
慌ててヘッドフォンをして大音量で音楽を聴いたり、
無計画にドライブして、計画的に道に迷ったり、
当時パソコン通信と称ばれていたもので気を紛らわし
膨大な時間と課金を費やすようになりました。
タバコは一日3箱吸い、寝潰れるまでお酒を飲み続け、
かと思えば、たまに気持ちを奮い起こし、
「人生をリフレッシュするの!」と誓っては、
家じゅうの模様替えや大掃除を繰り返す合間で、
急に無気力になり、すべての家事を放棄、
髪もとかず鏡も見ず、つけっぱなしのテレビに延々と付き合い、
物事が途中で放置されたままの散らかった家で、
朝日を見た後眠りにつき、夜中に起き出す始末で、
生活能力も体内時計も機能しなくなり、
体調不良はますます悪化していきました。
所詮、何をやっても、
怒りの暴走を抑えるための暴走にすぎなかったのです。
これ以上、自分ではどうにも出来ないと悟った時、
わたしに残っていたのは、死の予感と、
以前にも増して膨れ上がった、相手への執着でした。
が闇雲に怒り狂っていた以前とは違い、この頃のわたしには、
もうどうしようもない無力感が付きまとっていました。
たった一言、相手が「ごめんなさい」と言ってくれさえすれば、
わたしもこんな人生を歩まずに済んだだろうに、という思いが、
日を追うごとに裏返ってきて、
「何もかも相手のせいだ。相手が悪いんだから、仕方ない」
という諦めに変わっていきました。
わたしは、気持ち的にも体力的にも外出が困難になり、
自宅から歩いて15分程のところにある保育園へ
娘たちを送迎する時だけ家から出る、という生活を
送るようになりました。
今、高1と小6になる娘二人は、その幼児期のほとんどを
虚無感にのまれた母親の分まで、
旦那さんに愛情をたっぷり注がれて育ちました。
「生きても死んでも、思いがわたしを支配するのなら、
こんな惨めで不本意な虚しい思いではなく、
自分自身納得のいく、晴れやかな思いに支配されたい。
心の底からそう願って頑張ってきたのに、
なぜ、わたしにはそれが出来ないんだろう?
そもそも、思いを生み出すのは自分自身なのに、
なぜわたしは、望み通りの思いを生み出せないんだろう?」
怒ることさえ虚しく思えてしまう無気力のなかで、
唯一、胸をよぎったこの疑問にすがるようにして、
わたしは、思考だけで生きていました。
次回に長引きます;。
「自分を狂わせているのは怒りだ、この怒りをなんとかしなきゃ」
わたしは、自力で怒りの決着をつけられるよう、
自分をコントロールすることに努め始めました。
なるべく相手のことは考えないように
仕事に集中し、スポーツクラブに通い、
旅行や読書、ボランティア活動にいそしみました。
また、少しでも興味の湧くものがあれば、
それを趣味と思い込んで、意識的に没頭しました。
パソコンで音楽制作や動画プログラミングを覚えると
わたしは、思考を占拠するこの作業に没頭し、
衣食住を忘れ、たくさんの仲間と作品を作りました。
が油断するとすぐに、相手への怒りがちらつき始め
むくむくと膨らむ入道雲のように、
頭いっぱいに広がっていくのでした。
わたしは少しでも時間を持て余すと落ち着かなくなり、
慌ててヘッドフォンをして大音量で音楽を聴いたり、
無計画にドライブして、計画的に道に迷ったり、
当時パソコン通信と称ばれていたもので気を紛らわし
膨大な時間と課金を費やすようになりました。
タバコは一日3箱吸い、寝潰れるまでお酒を飲み続け、
かと思えば、たまに気持ちを奮い起こし、
「人生をリフレッシュするの!」と誓っては、
家じゅうの模様替えや大掃除を繰り返す合間で、
急に無気力になり、すべての家事を放棄、
髪もとかず鏡も見ず、つけっぱなしのテレビに延々と付き合い、
物事が途中で放置されたままの散らかった家で、
朝日を見た後眠りにつき、夜中に起き出す始末で、
生活能力も体内時計も機能しなくなり、
体調不良はますます悪化していきました。
所詮、何をやっても、
怒りの暴走を抑えるための暴走にすぎなかったのです。
これ以上、自分ではどうにも出来ないと悟った時、
わたしに残っていたのは、死の予感と、
以前にも増して膨れ上がった、相手への執着でした。
が闇雲に怒り狂っていた以前とは違い、この頃のわたしには、
もうどうしようもない無力感が付きまとっていました。
たった一言、相手が「ごめんなさい」と言ってくれさえすれば、
わたしもこんな人生を歩まずに済んだだろうに、という思いが、
日を追うごとに裏返ってきて、
「何もかも相手のせいだ。相手が悪いんだから、仕方ない」
という諦めに変わっていきました。
わたしは、気持ち的にも体力的にも外出が困難になり、
自宅から歩いて15分程のところにある保育園へ
娘たちを送迎する時だけ家から出る、という生活を
送るようになりました。
今、高1と小6になる娘二人は、その幼児期のほとんどを
虚無感にのまれた母親の分まで、
旦那さんに愛情をたっぷり注がれて育ちました。
「生きても死んでも、思いがわたしを支配するのなら、
こんな惨めで不本意な虚しい思いではなく、
自分自身納得のいく、晴れやかな思いに支配されたい。
心の底からそう願って頑張ってきたのに、
なぜ、わたしにはそれが出来ないんだろう?
そもそも、思いを生み出すのは自分自身なのに、
なぜわたしは、望み通りの思いを生み出せないんだろう?」
怒ることさえ虚しく思えてしまう無気力のなかで、
唯一、胸をよぎったこの疑問にすがるようにして、
わたしは、思考だけで生きていました。
次回に長引きます;。