★ L (スペースエル) 体を通して人の全体と向き合うサロン 目の前は淡路島の海 女性専用ボディーセラピー

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わたしたちを巡り合わせてくれたすべてに感謝致します。

念力と体と気持ち 2

2009-06-30 16:07:24 | 意識とからだ
前回からの続きです。

「自分を狂わせているのは怒りだ、この怒りをなんとかしなきゃ」
わたしは、自力で怒りの決着をつけられるよう、
自分をコントロールすることに努め始めました。

なるべく相手のことは考えないように
仕事に集中し、スポーツクラブに通い、
旅行や読書、ボランティア活動にいそしみました。
また、少しでも興味の湧くものがあれば、
それを趣味と思い込んで、意識的に没頭しました。

パソコンで音楽制作や動画プログラミングを覚えると
わたしは、思考を占拠するこの作業に没頭し、
衣食住を忘れ、たくさんの仲間と作品を作りました。
が油断するとすぐに、相手への怒りがちらつき始め
むくむくと膨らむ入道雲のように、
頭いっぱいに広がっていくのでした。

わたしは少しでも時間を持て余すと落ち着かなくなり、
慌ててヘッドフォンをして大音量で音楽を聴いたり、
無計画にドライブして、計画的に道に迷ったり、
当時パソコン通信と称ばれていたもので気を紛らわし
膨大な時間と課金を費やすようになりました。

タバコは一日3箱吸い、寝潰れるまでお酒を飲み続け、
かと思えば、たまに気持ちを奮い起こし、
「人生をリフレッシュするの!」と誓っては、
家じゅうの模様替えや大掃除を繰り返す合間で、
急に無気力になり、すべての家事を放棄、
髪もとかず鏡も見ず、つけっぱなしのテレビに延々と付き合い、
物事が途中で放置されたままの散らかった家で、
朝日を見た後眠りにつき、夜中に起き出す始末で、
生活能力も体内時計も機能しなくなり、
体調不良はますます悪化していきました。

所詮、何をやっても、
怒りの暴走を抑えるための暴走にすぎなかったのです。
これ以上、自分ではどうにも出来ないと悟った時、
わたしに残っていたのは、死の予感と、
以前にも増して膨れ上がった、相手への執着でした。

が闇雲に怒り狂っていた以前とは違い、この頃のわたしには、
もうどうしようもない無力感が付きまとっていました。
たった一言、相手が「ごめんなさい」と言ってくれさえすれば、
わたしもこんな人生を歩まずに済んだだろうに、という思いが、
日を追うごとに裏返ってきて、
「何もかも相手のせいだ。相手が悪いんだから、仕方ない」
という諦めに変わっていきました。

わたしは、気持ち的にも体力的にも外出が困難になり、
自宅から歩いて15分程のところにある保育園へ
娘たちを送迎する時だけ家から出る、という生活を
送るようになりました。
今、高1と小6になる娘二人は、その幼児期のほとんどを
虚無感にのまれた母親の分まで、
旦那さんに愛情をたっぷり注がれて育ちました。

「生きても死んでも、思いがわたしを支配するのなら、
 こんな惨めで不本意な虚しい思いではなく、
 自分自身納得のいく、晴れやかな思いに支配されたい。
 心の底からそう願って頑張ってきたのに、
 なぜ、わたしにはそれが出来ないんだろう?
 そもそも、思いを生み出すのは自分自身なのに、
 なぜわたしは、望み通りの思いを生み出せないんだろう?」

怒ることさえ虚しく思えてしまう無気力のなかで、
唯一、胸をよぎったこの疑問にすがるようにして、
わたしは、思考だけで生きていました。


次回に長引きます;。

来場御礼2

2009-06-29 13:22:55 | 講座・受講生さんのサロン
先週土曜日、
第4回あすわフェスティバルにお越しいただいた皆様、
ご来場どうもありがとうございました。

開場してまもないうちに予約がぽぽぽんと埋まり、
そのため、かなり時間調節していただいた方もおりました。
状況にめげず、とっておきの巡り会いを叶えてくださって、
とても嬉しかったです。ありがとうございます。

また、(毎度のことですが)小6二女のブっ飛んだ発言や行動に
皆様とても寛容に対処してくださり、感謝しています。

皆様が子供とあたたかく触れ合ってくださるたびに思います。
親だけでは、成長を促しきれないものを子供は持っていて、
その部分を皆様に、わたしも子供も支えられているんだなぁって。
未熟なわたし達に対する愛を、本当にありがとうございました。

これからの暑さを味方につけて、
皆様が益々ご活躍されるよう、応援しています。

今回のイベントでは、母玉のブースにやってきて、
「ブログ見てまーす」と声をかけてくださった方が
意外に多くいらっしゃいました。
今そのことを思い出し、
「はぁい、見てるぅ~?」と画面越しに手を振りたい気持ち。

無駄に更新して、人様の貴重な時間を台無しにするよりは、と
コメント欄も閉じ (やり取りの不毛さを感じることが多いので)
よっぽど伝えたいことがない限りは、記事の更新を控えていましたが、
「見てるよ」の一言をもらって、気がつきました。
あの記事の続きがまだでしたね。
ひ、ひひ、引っ張るのはよくない、ないんだな...(山下清風)

来場御礼

2009-06-16 08:18:59 | 講座・受講生さんのサロン
先日の日曜日は、母玉の「青空サロン」デーでした。
お越しくださり、ありがとうございました。

ちょうど小6二女の日曜参観と重なっていたので、
まず朝、小学校でお母しゃんしてからのイベント出展でした。
旦那さんはわたしの送迎と参観であちこち大忙し。
おかげで荷物の持ち運びが助かりました。

会場は天上が高く、高低差のあるスペースに
ブースがゆったりと配置されていました。
時間ごとに程よいアテンダンスだったので
いろんな方とゆっくりお話を楽しむことができました。
とてもありがたい巡り合わせを感じています。
ありがとうございました。

イベント前夜は、旦那さんの誕生日でワイワイ賑わい、
イベント翌日(昨日)は、知人からチケットをいただいて
一青ヨウ(←漢字出な;)さんのライブに家族で行ってきました。

念力と体と気持ち 1

2009-06-09 08:19:22 | 意識とからだ
わたしは今のところ 「皿よ割れよ!」と念じるより、
皿を手に持って地面に叩きつけた方が、
いち早くその思いを実現できます。
また、「治癒力発動せよ!」と身体に命令するより、
暮らしのなかに笑顔と感動を増やして、食事や睡眠に気を配り、
そして時々マッサージしたほうがうんと早く治癒できます。
今のところ。
体があるおかげで、話が早いです。

ところが、気持ちのせいで、話が長引くことがあります。
ひょっとしたらこの記事も長引くかもしれません。

たとえば、すさまじい怒りに駆られている時。
たとえ相手に 「ごめん」 と言われても、
ビクともしない硬い固いかたくなな塊が、
腹の辺りに生まれてきます。
黒くて冷ややかで残酷で、自分をも深海に沈めていくオモリのような塊。

わたしのことをシェアさせてくださいね。
人生最大の怒りは十数年前のこと。
当時の気持ちで表現すると(今はまったく違います)
「息子を死に追いやったあの人を許せない!」
この思いに何年も翻弄されました。

あの人を呪えるのなら死んでもいいと人生投げやったり、
あんなヒドイ人間をそのままにしては死ねないと思い直したり
相手を殴る想像をしてはスカっとし、さらにカッカする。
そのくせ、相手にも親がいることを思い、
今頃その親御さんは、被告人となった我が子の苦境を思いやり
どれほど心傷めているだろうかと、わたしも胸を痛めました。

もう許してあげなきゃ、いや絶対許せない、
わたしはキリのない思考の渦にぐるぐる巻きにされ、
何のために泣いているのか分からない涙を流して
眠れない夜を過ごすばかりでした。

朝になる頃には、再び怒りの執念にとりつかれ、
息子やわたしをこんな目に遭わせた人を許せない、
謝罪しないなら仕返ししてやりたいという思いで
いっぱいになっていました。
でも、そんなわたしの傍らには、ずっと冷静な自分がいて、
その自分は常にこう言い続けていました。
「わたしはなんて酷い人間なんだ」

何年もこうした他責の念と自責の念にさいなまれた末、
わたしは睡眠障害、失語症、感情失禁と
数々の体調不良に陥りました。
禿げたので丸坊主にし、全カツラだった時もあります。

そうなってようやくわたしは、
誰かに憎しみや怒りの矛先を向けたままでは
自分自身が生きていけないことを感じ取りました。

だからといって、死んでも同じことで、
この感情を何とかしない限り、死の向こう側でさえ、
わたしは自分自身の第一歩を踏み出すことができない、
そう思いました。

あー、やっぱり長くなりそうですね。
続きは、次回にします。

半身不随の姉、こん睡状態からの回復

2009-06-07 13:36:55 | 意識とからだ
1年前に脳出血で左半身不随になった姉が
買い物中に倒れ救急搬送されたと連絡が入り、
急遽大阪を離れ、ずっと姉に付き添っていました。

今回も脳疾患の疑いがありましたが、そこに異常はなく、
また全身あらゆる検査をしても決定的要因は見当たらず
原因不明とのことでした。

救命救急センターの集中治療室で、
まるでベッドの上の置物のように力なく横たわる姉。
こん睡状態の姉には人工呼吸器が取り付けられていました。
その姉に三日三晩付き添いました。

姉はかなりの量を投薬されていたので、
わたしは全身をマッサージするようなことはせず、
足裏にある何箇所かの要所を定期的に刺激して
姉の様子を見守り続けました。




この時はもう、マッサージの効果がどうのこうのなんて
まったく関係ありませんでした。
たとえこのまま姉が死にゆくとしても、
わたしはそれを見送る立場として、
最後まで姉の体に触れていよう、その一心でした。

ボディケア職人として触りどころを心得ていることで、
少しは姉を気持ちよくさせてあげられる...
そのことにつくづく感謝しながらのマッサージでした。

病院に搬送されて 6日目。
姉は、一般病棟に移って様子観察する必要もないくらい回復し、
救命救急センターからスピード退院しました。




姉にしてみたら、半身麻痺がどんどん回復してきていたところで
今回こんな突発なことが起きてしまったので、
せっかくの回復が逆戻りしてしまったような気持ちになったようです。
意識を取り戻してしばらくは、「なんで?どうして?」 と
嘆くばかりでした。

が、「全身を検査して原因不明ということは、つまり、
どこにも悪いところはないということやんなぁ。
もしかして脳の神経が繋がり始めて引き起こされた症状やったんかも?」
そう受けとめて立ち直りつつある今です。



実際、姉自身、倒れる前の体に比べて随分いい変化があると
自覚できるところがあるようです。

たとえば、降圧剤をのまなくても血圧が正常になったこと。
筋弛緩剤を飲まなくても、筋緊張が軽いこと。
3,4歩、装具なしで歩けるようになったこと。
そしてもう一つ、左空間無視の症状があるなかで、
「左側にいつも誰かがおるんよ」 と
目に見えないなんらかの存在を感じるようになったこと。
その他細かい変化がたくさん実感できるようです。

退院したその日から、姉は早速リハビリに取り組みました。



姉が、前以上に明るい展望を抱けるようになったのも、
いい変化のうちの一つです。