Tony's One Phrase

観察日記

アシ・アシを追え!(明日の「In The Cool Of The Day」を吹っ飛ばせ)

2023-04-23 23:20:22 | EACH TIME
Nat King Coleから1曲。
ラジオ番組『ゴー!ゴー!ナイアガラ』でかかったNat King Coleの曲は「A Those Lazy-Hazy-Crazy Days Of Summer」だけ(第112回 Summertime特集)。

大滝は「真夏の昼の夢」を作るとき、この曲のB面「In The Cool Of The Day」の木陰で休むイメージをモチーフとしたとコメントしています。
具体的なメロディやサウンドを使っているものではない(註1)とのことですが、A面「Those Lazy~」の邦題が「暑い"夏"をふっとばせ」ということもあって、自分はこれまでナット・キング・コールというと「真夏の昼の夢」と結びつけて曲を聞くことが多かったです。

そんな中、ボーっと「In The Cool Of The Day」を聞いていて、あれ?この曲!と思った曲がありました。

言葉遊びあふれるCM曲。「アシ・アシ」です。

Nat King Cole「In the Cool of the Day」

なんどか聞きながら歌っていると、
「But the cool of the night 
 Is right for two 
 No fool in the night 
 Can keep our dream 
 from coming true」
に続いて
「Doo-loo loo loo loo 
 loo la Doo-dah Ah ♪」と聞こえてくるような感覚に襲われます。

「他人の耳より わが耳を 
 ドゥルル ドゥルルルル
 ルラ ドゥダー アー♪」
by 鶏耳北風("信じられる耳を持つ努力をしよう会"入会検討中)

この曲のクレジットは
Rhythm. ごまのはえ(ユカリ、スミやん、ギンジ、Pooh)
Mandolin. 伊藤“ワタル”銀次
Accordion. Unknown
A・Gt. 金田一幸助
とのこと。

一方、ナット・キング・コールは次のメンツのようです。
Nat King Cole - Those Lazy-Hazy-Crazy Days Of Summer / In The Cool Of The Day (Capitol 4965)
Emil Briano, Arthur Brown, Harold Dicterow, Elliott Fisher, Lou Klass, Sarah Kreindler, William Kurasch, Alfred Lustgarten, Emanuel Moss, Alex Murray, Lou Raderman, Isadore Roman, Nat Ross, violin; Cecil Figelski, Al Harshman, Gary Nuttycombe, viola; Alex Borisoff, William Van Den Burg, Jesse Ehrlich, Hyman Gold, cello; Jimmy Rowles, piano; Laurindo Almeida, Bobby Gibbons, Al Hendrickson, guitar; Joe Comfort, bass; Frank Carlson, drums; Larry Bunker, percussion; Nat King Cole, vocal; unidentified vocal chorus, Ralph Carmichael, arranger, conductor.
Capitol Tower, Los Angeles, CA, April 11, 1963

銀次マンドリンが、ナット・キング・コールのギターに似ているようでナット感を醸し出しているのかもしれません。

「アシ・アシ」の「アシ」のイントネーションは、自分の耳を信じてリスニングすると、「足」ではなく、「葦」が近いように思います。

「足」の話はいったん置いて、「葦」に置き換えてみます。

「葦・葦」
 葦 葦 あー 葦
 ドゥルル ドゥルットゥ
 ドゥール ドゥー ダ
 
 他人の葦より 我が葦を 
 ドゥルル ドゥルルルル
 ルラ ドゥダー アー♪

パスカルの「"人"は考える"葦"だ」を想起させることから、「他人(ひと)」と「葦」という単語の親和性は高く、一連のメロディととらえて、連想できるのかもしれません。

でも、「他人の葦」って、各自葦を育てている文化なのか。
意味がとおらないです。

「葦」の話はいったん置いて、別の言葉を探してみます。
「葦」とイントネーションが同じ「おアシ」=「御銭」=「money」ではどうでしょう。

「銭・銭」
 銭 銭 あー 銭
 ドゥルル ドゥルットゥ
 ドゥール ドゥー ダ
 
 他人の銭より 我が銭を 
 ドゥルル ドゥルルルル
 ルラ ドゥダー アー♪

「人の銭より わが銭を~♪」とは、
The Beatles「Money(That's What I Want)」やElvis Presley 「Money Honey」、落語「しわい屋」の逆パターン、ずいぶん気前の良い歌になります

しかし、伊藤アキラの詞、ことわざ「蛇の足より人の足」から派生したと思われますが、すごい強引な歌詞の乗せ方ですね。

クレージーの「学生節」ならぬ
「あんたの知らないアシもある ホレ アシもある ホレ アシもある♪」

おあと大勢<m(__)m>。

註1)『大滝詠一Talks About Niagara』

Just One Look - Baby I'm Yours

2022-11-05 08:33:11 | EACH TIME
「幸せな結末」が出た時、正直なぜ「Baby I'm Yours」なんだろうとわかりませんでした。バーバラ・ルイスの曲は好きでも、その一節をもってくる理由がなんだかスッキリしない。好き・嫌いでいうと好き。それでよしなんですが。

その意味を1964に込めていましたが、ヴァン・マッコイ作曲と知り、なんとなくそっちかなと分かった気になっていました。

今回、Harry Nilsson「Just One Look - Baby I'm Yours」のカヴァーをモチーフにした、というストーリーなら、よりわかるかもと思いました。

・1976年当時に流行ったHarry Nilsson And Lynda Laurence「Just One Look / Baby I'm You 」の物語なのか
・Lynda LaurenceからSupremes の物語なのか
それはわかりませんが、ニルソンなら全てOKなのです。

自分の中で「大滝詠一=ニルソン」のつながりはそれだけ深い。五十歩百歩の感覚的なものですが、現時点では、ニルソン>バーバラ・ルイス。備忘録。

Just One Look/Baby I'm Yours - Harry Nilsson (1976)

ペンシルバニアよりナイアガラフォールズ行き列車

2022-03-01 01:17:07 | EACH TIME
337秒間世界一周を聞いてます。
で。
大滝詠一『デビュー・スペシャル』の汽車は、ペンシルバニア特急のようですね。

果たして、ナイアガラの滝まで行くのでしょうか。


「カナリア諸島にて」月夜の海解釈

2021-08-12 07:24:42 | EACH TIME

安藤まり子「花の素顔」を聴いていて、「カナリア諸島にて」のある解釈がぽっと浮かびました。

「恋するカレン」千早ぶる解釈
「雨のウェンズデイ」色恋忘れ解釈
に続く、ロンバケ異説シリーズ第3弾です。

まず、おさらいを兼ねて「カナリア諸島にて」の成立過程を簡単におってみます。


〇「カナリア諸島にて」の成立過程

松本隆のコメントは次の通り。
『BRUTUS』2016 7/1
”ロンバケ”は大滝さんとは事前に「AORにしよう、大人っぽいポップスでいこう」という話をしていたんだ。でも、舞台を都会にすると陰鬱な世界観になってしまう。大滝さんのボーカリストとしての魅力を引き出すには、もっと開放的な場所にしたい。そこで舞台を海にもっていきたいと僕は考えた。
(略)
結局、昔観た映画や小説から想像を膨らませて書くことが多くなるから、逸話もいろいろあって。有名なのは、「カナリア諸島に行ったことがないのに「カナリア諸島にて」を書いたことだよね(笑)。はっぴいえんどの頃に読んだ小川国夫の小説に一言だけ出てくるんだ、「カナリア諸島」って。ああ、そんな名前の島があるのかとずっと印象に残ってて。カナリア・アイランドっていう言葉の響きもいい。

小川国夫がキーワードです。
30年以上ロンバケにつきあってきましたが、ロンバケとは、とどのつまり、詞も曲も含めて、この「カナリア諸島にて」につきるのでは、と思っています。

一方、大滝詠一の方は次のようなコメントをしています。
『宝島』 1981年7月号
そのころ、ポッと『カナリア諸島にて』ができて、朝妻さんとこ行って喜んだんだけどね、"あ、そう"なんて、意外に本気にされなかったの、実は。レコーディング始めてからでも、まだ本気にされなかったみたいよ。それだけ、過去裏切った事実ってのが深く残ってたんじゃないかな、みんなに…。

A LONG VACTION VOX()2021 2011.2.9 大滝詠一4万字インタビュー
ソニーが出版部を持ちはじめて、絵本をやろうって話があったのです。(略)
(『ロンバケ』発売の)2年前です。
(略)
松本くんなんかは詞をつけるときに届いた「カナリア諸島にて」を聴いて、あの絵本を思い浮かべたっていうのだから、バンドルの話はあちこちに行っていたってことですよね。だって「こういう感じにしてくれ」ってのはお互い一度も話し合ったことはないのよ。我々は一度もそういう作り方をしたことはなく、まあ、毎回真剣勝負みたいなものでしょうから。
(略)
7月28日(の発売を)目指して順調に、6曲くらいかな、録ったのだけど、突然松本くんの妹さんが亡くなられてね。「ちょっとかけそうにない」っていうから「いいよ。休んだ方がいいよ」「いつ戻れるかわからないよ」「いいって。こっちは気にしないで」って。だから1回チャラにして、夏は遊び呆けてましたよ。それでも夏も終わろうかという頃、「そろそろかけるかも」って2つくらい来たのよ。でもね、なんか妹さん引きずった暗い感じの詞だったから「まだ本調子じゃないなあ」と思っていたら、「ようやくそろそろかけそう」ってなってきたときに今度はそれこそスペクターから何からいつもレコードを世話してくれた大阪のフォーエバーレコードの宮下(静雄)さんが突然亡くなられたのです。

このことから大滝詠一は歌詞に口出しせず、曲先で詞が後からつけられたという背景を窺い知ることが出来ます。


「カナリア諸島にて」製作にかかる系譜を次のとおりまとめてみました。

〇「カナリア諸島にて」製作系譜(VOX RECORDING DIARY等参照)
4月24日 <Rec>18~24 [Take1] [Take2 OK]
     “M-3”として録音(手書きトラックリストではKeep all your love
6月13日 松本隆の妹(由美子さん)亡くなる
7月9-12日 松本隆、大滝詠一軽井沢旅行・打合せ
7月31日 宮下静雄氏亡くなる
8月28日 <Dub>18~ 前田憲男:M-2 & M-3 & M-7 Strings
     <Dub>Chorus
9月2日 <カナリアン・アイランド詞あがる 良い出来!>
9月4日 <Vo>18~  ※
9月5日 <Vo>18~  ※
9月8日 <Dub>13~ @3st 松任谷正隆 M-3Piano
     <Re-mix>19:30~ M-3「カナリア諸島にて」
9月12日 <Dub>19:30~ Jake H.Conception:M-3 Flute
10月13日 <Vo>21:30~@3st  ※
10月15日 <Mix>18~ M-3 「カナリア諸島にて」[Take2] OK

※ボーカル音入れ。ボーカルには2チャンネルを使用。特定の日に「カナリア諸島」の記載はないが、詞が上がったあとの9月はじめ、あるいはミックス直前のどちらかと推察。

この系譜と次の松本隆インタビュー(地の文)をもとにすると、大滝詠一が「2つくらい来た」と語った2曲は「カナリア諸島にて」と「君は天然色」であったと考えられます。

『PEN』2021年4月1日号
当然、セールスの実績もない。「歌詞を待つ」という大滝の強い言葉に押されて、松本はペンを走らせた。最初に書いたのは「カナリア諸島にて」、次が「君は天然色」。この2曲でアルバムのゴールまで〝見えた〞という。

また、7月の軽井沢旅行は4人で行ったようです。
『ヒットこそすべて 〜 オール・アバウト・ミュージック・ビジネス』朝妻一郎 (2008)白夜書房
『A LONG VACATION』を作るに当たって、軽井沢のホテルで合宿した。メンバーは僕と大滝君、松本君、白川君の4人。一緒にご飯食べて、ワイワイ話をして。その中で、僕はひたすら "ともかく胸キュンの曲、悲しい曲を書いてよね" って言っていた。

大滝詠一の「妹さん引きずった暗い感じの詞」という発言と、松本隆の「ゴールまで見えた」という発言のどちらも正しいとすると、ゴールまで見えた詞が書きあがったのは9月2日。暗い感じの詞がきたあと、そろそろかけそうとなったのは7月31日前。

もしかすると、7月9-12日の軽井沢では、暗い感じだった詞の片鱗が、朝妻一郎、白川隆三、大滝詠一の3人に披露されたのかもしれません。このときはそこまで出なかったかなぁ。


〇3羽のカナリヤを追え

松本隆は、「君は天然色」の「想い出はモノクローム」は妹を亡くなった後に自分が見た渋谷の風景だと、雑誌やテレビのインタビューで語っています。

それでは、「君は天然色」だけに心象風景を書き込んでいたのでしょうか?

「外出できない病弱な妹を海外のリゾート地に連れて行けたら」というようなことでなく、「カナリア諸島にて」の曲自体にも妹や自分の思いを込めていないのでしょうか。

ということで、長くなりましたが、ロンバケ異説シリーズ第3弾です。

今回は、次のとおり少しとがった仮説(異論)を立ててみました。

「カナリア諸島にて」月夜の海解釈
仮説「カナリア諸島にて」の「カナリア」には、妹への思いが込められている!

それでは、カナリアを追いかけていきます。

〇3羽のカナリアを追え
世界にはどんな「カナリア」が分布しているのか、少し調べてみると、
1.「青いカナリヤ(Blue Canary)」雪村いづみ
2.「青い眼のジュディ」クロスビー、スティルス&ナッシュ
3.「かなりや」西條八十
が見つかりました。

この3羽に絞って追いかけていきます。
(ほかにも、ビートルズ「Bad Boy」やエヴァリーブラザーズ「I'm Not Angry」などでもあちこちにCanaryは飛んでいますが)

〇1羽目の「青いカナリヤ」


雪村いづみの「青いカナリヤ」は次のような歌詞です。

さみしいカナリヤ わたしのお友達 
夢見て歌えよ 青いカナリヤ 
やさしいあの人が いつも歌ってた 
愛の子守歌を 歌いましょうよ

かなしい言葉は 小川に捨てよう
つらい想い出なら 森に捨てよう

”Blue”とうたうところは、妹を亡くした松本隆の当時の心情と近いと思いますが、自分がさみしいのでなく、カナリヤがさみしいところ。”海”ではなく、”小川”や”森”に生息しているカナリヤということで、近縁ながら別物として、次のカナリヤに当たります。


〇2羽目「青い眼のジュディ」



クロスビー、スティルス&ナッシュ「青い眼のジュディ」には次のような歌詞が登場します。
Chestnut brown canary.
Ruby throated sparrow. 
Sing a song, don't be long. 
Thrill me to the marrow. 

Voices of the angels. 
Ring around the moonlight
Asking me said she so free. 
How can you catch the sparrow?

栗色がかった茶色のカナリヤに歌を歌えとする詞は、スティーブン・スティルスから別れたジュディ・コリンズに向けたメッセージだったようです。

CSNははっぴいえんどとの関係も強く、この詩的な部分にカナリアが登場することは、参照するしないに関わらず、知っていたことは間違いないと思います。
で、月光を受けて響く天使の声は、海の上なのか、小川や森なのかは判別できませんでした。ということで、すぐに次のカナリヤに当たってみます。


〇3羽目「かなりや」

大滝詠一は松本隆を称して、次のように発言されていました。

1999/1/17 新春放談 TOKYO FM
西條八十だと思うよ、彼は。
だから、西條八十は純粋詩から入って「ゲイシャ・ワルツ」まで書く人だから。その幅から言ってね、あれは戦後の西條八十だと思うなぁ。
というイントロ付きで、最後の1羽を追いかけます。



西條八十「かなりや」((もともと雑誌「赤い鳥」発表時は「かなりあ」だったそうです)の歌詞は次のとおりです。

『砂金』の関係頁を引用します。


ー唄を忘れた金絲雀は、
 象牙の船に銀の櫂、
 月夜の海に浮べれば、
 忘れた唄をおもひだす。

唄を思い出したら、また歌えるようになるということから、この最後の4行は非常に意味深です。

西條八十本人が「かなりや」についてコメントをしているという記述をネット上で見つけました。以下、関係部分を引用します。

「日本童謡全集」昭和12年 株式会社日本蓄音器商会
「かなりや」  西條八十
きれいな聲で、毎日歌つてゐた籠のかなりやが啼かなくなりました。
一週間待つてゐても啼かないのです。一月待つてゐても啼かないのです。
「お母さん、どうしませう。」
子供たちは、籠の前にすわつて相談をはじめました。
籠をのぞいてみると、可愛いい桃いろのくちばし、淡黄いろの羽根、かなりやは淋しさうにとまり木にとまつてゐます。
かはいさうなかなりやは、自分でも歌がうたいたいのです。忘れた、昔の歌をおもひだしたいのです。だがどうしてものどに出てこないらしいのです
「お母さん、こんな歌はない鳥、棄てちやいましようか。」
ひとりの子供がいひました。
(略)
けれど、だまつてヂッと、いぢらしさうに籠のかなりやを見つめてゐたお母さまは、静かにいひました。
人間でも、鳥でも、獣でも誰にでも仕事のできないときがあります。かういふとき、わたしたちはそれを大目に見てやらなければいけません。ほかの人たちには、なまけてゐるやうに見えてもその當人は、なにかほかの人にわからないことで苦しんでゐるのかも知れません。たとへば、このかなりやも、このあいだまで歌つてゐた歌よりも、もつといい歌を美しい聲でこれからうたいださうとして、いま苦しんでゐるのかも知れません。ね、だから、みんなで、いぢめずに氣を永くして待つてやりませう。
かういつて、或る月のいい夜、お母さんはそのかなりやを、やさしく、きれいな船にのせて海にうかべてやりました。
静かな世界に置かれて、すがすがしい氣分のなかで、かなりやははつきり昔の歌をおもひだしました。さうして、まへよりもずつと美しい聲でうたひだしました。
みなさん、ほんたうになやんでゐる者に同情してやりませう。


この詞を西條八十が書いたときには、父の急死などもあって、株や商売に精を出し、詞が書けなかったようで、鈴木三重吉の「赤い鳥」への寄稿依頼は、月夜の海に航海に出る助けとなったようです。

で、これを援用し、
歌を歌えなくなったかなりや=妹を亡くして詞を書けない詩人
と考えると、
「カナリア諸島にて」は、詞がかけなくなった詩人かなりやが、12編の詞(=「諸島」)制作に漕ぎ出そうとする決意の詞だ、と重ねることができないでしょうか。

そして!

西條八十には、”かなりや”にこだわった詞がもう1つあるのを見つけました。

「赤い鳥」の大正8年9月号に掲載されたときは「たそがれ」という題名だったようですが、『砂金』に収録されるときには名前が変わりました。

題して「海のかなりや」
その詞も引用します。



かはいさうにと
妹が
涙ぐみつつ 
解いてやる

と「妹」まで登場してしまったことから、もし直接引用していなくても、松本隆の深層心理には、どこかにこの西條八十の「かなりや」のイメージがあったのではないか?とニラんでいます。

・妹に心をほどいてもらい、詞を書きはじめる
・ペンだけ滑らせていた作詞家の周りの「風が動かない」というのは「想い出はモノクローム」状態
・「ぼくの岸辺で生きていく」というのは、あなたはあちらの岸辺で見守ってくださいというメッセージではないでしょうか!?

ということで、これまで語られてこなかった誕生秘話的な話になりましたが、月夜の海に漕ぎ出したカナリア詩人の歌の推論の巻、終了です。


追伸 原稿修正
VOXに掲載されている松本隆の生原稿をみると、1点修正が入っています。
具体的には、「夢中で踊る若い愚かさが懐かしい」の「愚かさ」に×印をつけて、「かがやき」となっています。

この書き直した字体は、松本隆のものではなく、大滝詠一のものに見えますが、修正提案はだれがしたのか、歌を聴いて松本隆が直したのか、直したとしたら、いつ直したのか、そんなエピソードを訊く機会があれば、ぜひ聞いてみたいものです。


追伸×2 ホニオリン
「恋するカレン」の「相撲~な曲」みたいな息子のホニオリン、
それほど秀逸なものはないように思いますが、いくつか並べておきます(^^)。

・夏の宴が砂浜の・・
・夏の禿が砂浜の・・
 #花火前の宴?禿に季節があるのか?

・あの混み出した夏によいしれ~
・あの声出した夏によいしれ~
 #ソーシャルディスタンス、熱闘甲子園?

・カナディアン・アイスランド
 #どっちもオーロラが見えるかもしれないが夏っぽくない。

・風はもう動かない
・風に羽毛はない
 #カナリアに羽毛はあっても、風にはないですね。

おあと大勢_(. . )_


シャックリ・ママさんの掃除風景を追え!

2021-06-06 13:50:26 | GO! GO! NIAGARA
先日、音楽仲間と大滝詠一の詞の意見交換をしました。

その方は「あつさのせい」の歌詞はスゴイ!と話されていました。これに対して、僕は「シャックリ・ママさん」が大好きなので、その魅力を力説しました。

・「洗剤値上がり 止めーーたいけれどぉ、ホッ♪」という、洗剤の値上がりが止まってない様子を歌で表現したところ、
・”洗剤”のような生活資材を歌にしたところ
が好きとの話をしました。

僕が「シャックリ・ママさん」で一番好きな箇所は「歌うーたうー」という節回し(U~トゥ・U~トゥ・U~)ですが、なにより「シャックリ・ママさん」という題材を歌にしようという発想自体が非常にユニークで、5本の指に入る大好きな曲です。

今回、「シャックリ・ママさん」の話が出たのを機に、改めて少し追いかけてみました。


〇「Peggy Sue Revisited in 1975」
公開されたレコーディングデータによると「シャックリ・ママさん」の録音日は次の通りです。

《Recording Data 1975》
Jan.26-31 Fussa Sessions I〜IV (林立夫 / 細野晴臣 / 鈴木茂 / 佐藤博)
 30 「シャックリ・ママさん」Take 1~4
Feb.2 <お先にどうぞ> at Toshiba Studio
Feb.4-7      Fussa Sessions VII〜X(上原ユカリ / 細野晴臣 / 伊藤銀次 / 佐藤博)
Feb.20-22      Fussa Dubs I〜III(鈴木茂 / 佐藤博)
 21 「シャックリ・ママさん」(E.Piano / Guitar  / Slide)

大滝詠一本人によると、この曲の原題は「Peggy Sue Revisited in 1975」とのこと。バディ・ホリーの命日である、2月3日前後に録音がされていて、スライドギターやエレキ・ピアノのダビングでより魅力的な曲に仕上がっています。

 大滝詠一は、イーチ大滝として、ラジオ番組「Go!Go!Niagara」の中で3回にわたってバディ・ホリーの特集したほか、レギュラー放送においても、「Words Of Love」「Maybe Baby」「Peggy Sue Got Married」「Crying, Waiting, Hoping」「Rave On」「Fool's Paradise」「Early In The Morning」「It's So Easy」・・と、彼の曲を何度も取り上げています。


 ライナーによると、「シャックリ・ママさん」の”シャックリ”は、バディ・ホリーの歌唱スタイル、"Hiccup"をもじった、シャックリ唱法からとったものだそうです。

 ここで指摘したいのは、この"シャックリ唱法"という言葉自体も、大滝詠一本人が生み出した言葉だと以前、ラジオで発言していたことです。音の特徴をつかみ、自分の言葉で言語化することで、その音楽がより親しみやすいものになります。
 
 奇しくも、ジョン・レノンは、同じころ、1974年10月25日に「Peggy Sue」を録音し、1975年にカヴァーアルバム『ロックン・ロール』をリリースしています。また、ポールも「Peggy Sue」を取り上げており、あっちでもこっちでも「Peggy Sue Revisited in 1975」という発想が同じ!!なのです。

John Lennon「Peggy Sue」
   

PAUL McCARTNEY「Peggy Sue」REHEARSAL 1975
 


『NIAGARA 45RPM VOX』ジャケット
福生45スタジオ併設の米軍ハウス内のポスターもバディ・ホリーだった


疑問1 「ママさん」の由来を追え。
まず、そもそも、大滝詠一が「シャックリ・ママさん」という題材をとりあげようとした、その由来を追ってみました。

 遥か沖を眺めていると、モロコシの方角からママさんがシャックリしながらやってきて、浜辺の松に座って水を飲んだ、などということが起きれば、これが「シャックリ・ママさん」の由来だと、なるかもしれませんが(ならない)、そうでなければ、やはり歌に元があって、然りです。

・「帰れソレント」よりもさらに壮大な、Connie Francis「Mama」(1960年ヒット。 Bixio CherubiniやCesare Andrea Bixioなどのクレジット)

・ゆったりとしたワルツのB. J. Thomas「Mama」(1966年ヒット。Mark Charron作)

世の中の曲には、いろいろなママさんが登場していますが、自分のつたないナイアガラ関連の知識では、「楽しい夜更かし」が、Ernie K-Doe「いじわるママさん」のモジリ曲だったはずです。

また、ネットで検索すると、 Little Richard「True Fine Mama」という曲について書いている人もいます。

どこかでこの曲にも言及していたはずだと記憶していたのですが、どこだか忘れてしまったので、今回、改めて調べてみました。すると、2005年のライナーに、吉田美奈子の”ケッツペキ・ニイサン”に触れて、次の記載がありました。

 このアルバム・リリース後、吉田美奈子が「シャックリ・ママさんの続編作ったヨ。”ケッツペキ・ニイサン”!ということがありました。もともと私が「ステキなママさん」と「いじわるママさん」からヒントを得て「シャックリ・ママさん」としたものですが、それが”ケッツペキ・ニイサン”と、発想の連鎖となったわけです。

ということで、遠方の唐土ではなく、さらに遥か、細哈連(ニューオリンズ)の地より、「ママさん」をインスピレーションしたということが、分かりました。

R&Bの楽曲としてカヴァーせず、バディ・ホリーのシャックリ唱法を掛け合わせて、3コードのロックンロールにした、というところに、この曲の独自性があると思います。

そして、この曲はシングルを切るべきだったと思いました。片面サイダーというので考えていて、会社との交渉がうまくいかず、シングルが出なかったのかもしれません。

自分が選ぶなら、私家版としては「ナイアガラムーンがまた輝けば」がB面でしょうか。通常販売版は、「ロックン・ロール・マーチ」か「ハンド・クラッピング・ルンバ」のどちらかになると思います。両A面というのもありかなとか、夢?が膨らんでしまいました(^^;)。

図「すてきなママさん」と「いじわるのママさん」と「いじわるママさん」


大滝詠一本人もサイトで取り上げていましたが、「いじわるママさん」の曲調の曲として、The Rivingtons「Love Pill」のようなニューオリンズ曲も楽しいですね。

さて、ここで終わらず、もう1歩踏み込んで、「ママさん」の由来を追いかけてみることにしました。


疑問2 ステキでいじわるな日本のママさんを追え
 大滝詠一の「シャックリ・ママさん」が「ステキなママさん」と「いじわるママさん」からヒントを得ているとして、そのいじわるママさんは何からヒントを得ていたのか、自分に身近な「父・母」を歌詞にとりあげる、一親等が歌詞に出てくる曲が出てきたのはいつ頃なのかという疑問にこたえるべく、「日本のママさん」系譜の追跡にも挑戦してみました。

まずは、「いじわるママさん」ですが、スリー・ファンキーズがカヴァーしているので、その歌詞を書いたのは誰なのか、しらべてみました。

ネットのオークションなどにレコードのスリーブが掲載されています。
 

見つけたLP『スリー・ファンキーズ ヒット・パレード』のスリーブを、拡大してみると「みナみかズみ作曲 トーセン作曲」との文字。作曲が2回あるので、最初が作詞の誤記と考えられます。

みナみかズみ作 (アラン・)ン作曲ということでしょう。

せっかくここまで追いましたが、ここで、題名はみナみかズみが手がけたとするのは少し短絡的かもしれません。東芝のディレクターが手がけた、宣伝の人が邦題をつけて作詞家みナみかズみに渡した、色々な可能性が考えられ、ここは当時の記録がないとわからない部分かと思います。

一度振り返って考えると、この「いじわるママさん」は1962年の作品ですが、アーニー・ケード(Ernie K-Doe)「いじわるのママさん」が1961年。“アーニー~”のいじわるのママさんの方が先です。

また、リトル・リチャード「すてきなママさん」(キングレコードLED-96、B面の邦題には触れずにスーっといきます)は、1958年発売。

ということで、リトル・リチャードの名前を付けたキングのディレクターがキーパーソンといえるのではないでしょうか。(名前までは追えませんでした)

話を日本における「ママさん」の歴史に戻し、少し広い範囲で探索を続けています。

みナみかズみ(のちの安井かずみ) の手掛けた詞には、例えば、ダニー飯田とパラダイス・キング「悲しきあしおと」があります。このダニー飯田とパラダイス・キングの代表曲「シェリー」、漣健児作詞です。

「シェリー」の歌詞は、次のようなものです。

「シェリー そおっとおいでよ さあ出ておいで パパもママも ぐっすりとお休みだけれど♪」

 

この漣健児が、歌詞でほかに"ママ"にふれた作品といえば「大人になりたい」 が挙げられます。

伊東ゆかり「大人になりたい」
「夜遅くに帰ると ママから お目玉 いつも 10時に寝るの それがきまりよ♪」

洋邦問わず、ママが登場すると、恋の手ほどきをしてくれたり、早寝早起きで夜遊びをたしなめてくれたり、人生の先輩としてのママが描かれることが多いようです。

・サム・クックのようなサウンドのThe Shirelles「Mama Said」(1961年、Luther Dixon)
・それを推し進めたようなサウンドの、カーティス・メイフィールド作Jan Bradley「Mama Didn't Lie」

・ダンスを教えてくれるママ:Eydie Gorme 「Mama, Teach Me to Dance」
Christine Quaite 「Tell Me Mama」 (1963)
・もういなくなってしまった想い出のママ:Patti Page「Mama from the Train」、Stan Kenton「Mama Sang a Song」

など、ママの登場のしかたも様々です。

そして漣健児に登場するママには、もう1つタイプがあります。

飯田久彦「ルイジアナ・ママ」
「あの娘は ルイジアナ・ママ やってきたのは ニューオーリンズ♪」

また、ニューオリンズが登場してきました(^^)。

「ルイジアナ・ママ」は、「フジヤマ・ママ」系のママです。

スラングなどを扱うUrban Dictionaryによるとmamaという単語は、”a very attractive woman”を指すそうです。

いずれにしろ、日本語のママもどちらかの系譜に属することになると思いますが、留意が必要なのは、いずれも「ママ」・「パパ」として登場していて、これらの曲は「ママさん」、「パパさん」としての登場ではないことです。


このため、ママさん、パパさんと、きちんと”さん付け”されている歌詞について、追ってみると、次の曲にいきあたりました。

雪村いづみ「夢のマンボ」作詞:井田誠一
「すぐにすてきなお方が来て お嬢さん踊りましょうよ 恋の花園へ行きましょう パパさんもママさんもみんな 誘いましょうよ マンボ踊りましょう」

マンボ時代は「パパはマンボがお好き」という曲があるように、パパや、ママが頻繁に登場します。

それでは、ママさん、パパさんの歴史はどこか?なんだかんだ調べてみると、国立国会図書館の歴史的音源配信で調べると、森岩雄作詞のバートン・クレーンさんにいきつきました。

図 バートンクレーン作品集と「のんきなママさん」
 

「のんきなパパさん」は「It's a Long Way to Tipperary」から、
「のんきなママさん」は「よさほい節」をカヴァーしているということで、バートンクレーン作品集に行きつきました。1933年7月発売とのこと。

石田一松「酋長の娘」では、「私のラバさん、酋長の娘♪」という歌詞があり、恋人はラバさん(Loverさん)と呼ばれていたそうですが、単に〇〇とつかうより、〇〇さんというほうが、対象に対して愛着がわきますね。

映画界でも“ママさん”を使われる動きがあり、春原監督の「おヤエのママさん女中」(1959)などもありますが、ノーマ・シアラー主演「陽気なママさん」(Let Us Be Gay)が1930年で、そのころからママさんという言い方があったようです。

「Let Us Be Gay」(1930) Robert Z. Leonard監督、Norma Shearer主演

ということで、「シャックリ・ママさん」のルーツは、意図するしないにかかわらず、「陽気なママさん」だろうというのが、今ところの結論です(^^)。


疑問3 歌詞はどこから?
もう1点の疑問は、この歌詞を書く時に、歌詞全般をどこから思いついたのか、アイディアの源泉は?どこにあったのか、です。

僕が好きなのは背中にラジオを背負いながら掃除しているシーンです。『ナイアガラムーン』のライナーに「うちのスーもよくシャックリをします。」と書いている通り、実体験に基づいているのでしょう。台所、水道、掃除などいかにも漫画的な歌詞です。


ということで、以下推測です。

「シャックリ」→シャックリ唱法をやってみるが基本のアイディア。



シャックリママさん台所
水を飲んでも びっくりしても
どうにもシャックリ止まらない

1番では、しゃっくりを止める方法は水を飲むことなので、ここをまず忠実に歌にしようという発想です。

シャックリママさんお洗濯
洗剤値上がり止めたいけれど
まずはこのシャックリ止めて

2番は社会の記録です。1973年、中東戦争でアラブ産油国が石油輸出を停止し、原油価格が高騰したことがよくわかります。はっぴいえんど「抱きしめたい」で「とても素速く飛ーび降りるので♪」の逆バージョン。


シャックリママさん庭掃除
帚かかえて歌唄う
背中で鳴ってるトランジスター・ラジオ

そして問題の3番。掃除のシーンです。
色々考えたけれど、よくわからない中、落語を聞いていたら全然違うところに
これかなと思うヒントがありました。
これ「山号寺号(さんごうじごう)」じゃないでしょうか?

お寺には、金龍山浅草寺というように山号寺号があるということで
「〇〇さん、〇〇じ」というのを幇間が挙げて小遣いを稼ぐいくという噺。

例えば談志の演目でも、途中で次のような場面が出てきます。
 「えーっと、向こうの方でおかみさんが働いています。
  おかみさん拭き掃っていうのはどうでしょう?」

「床屋さん、耳掃除」、「酒屋さん、味噌下地」、「蕎麦屋さん、卵とじ」
、「時計屋さん、今何時」、「肉屋さん、ソーセージ」・・・。これまで聞いたことがない噺でしたが、春風亭柳枝などもやっているようで、わりと有名なものでしょうか。
単なる語呂合わせかもしれませんが、「・・さん、・・じ」となったところに面白さがあると思います。


シャックリママさん編みもの 手を止すませて呟いた どうも浮世は儘ならぬ
シャックリママさん大欠伸 手で口押さえお茶にごし 肩がこったとひねる首

4番の
「大欠伸」(ただのあくびではない)、
「止すませる」(敢えて止めるという字を使う)、
「お茶にごし」
というのは、何からきているのか、これは今後の課題です(^^)v。

ということで、次々疑問点の探求が
さしかけになっているような気もしますが、「一旦退"散"、これ年中行"事"」!?

おあと大勢。


GWは心のピンボールを追え!

2021-04-18 11:28:37 | EACH TIME
「彼は熱狂的なデル・シャノンとフレディー・キャノンのファンでね。で、今度はその2人のサウンドをミックスした曲を彼のために作る約束をしたのが、最後の電話になってね。   (1987) 」

決めフレーズを盛り込んだというところ。しっかり、追ってみたい「わが心のピンボール」

まずは最初のイントロ!!。
ドラムが「ドンタンドンタン、ドンタンドタタタ」と入った後の
「タ・タ・タ・タ タ・タ・タ・タ、ティ、トレティ♪」(ドラムがズチャ!)(音階だとファファファファ ファファファファ ミドレミ~みたいな)ってところと、

「Urge 」のイントロ
「チャラララ~チャラララ イェイィ!イェイィ!チャラララ~チャラララ イェイィ!イェイィ!」と入った後の
「タららら タららら、ティトラリ~♪」



(以下GW更新できるか?)

Chelsea Is Back ~ Summer Breezeの謎を追え

2021-04-11 00:35:57 | GO! GO! NIAGARA
『Road to A LONG VACATION』に収録された「Summer Breeze (Demo Version)/大滝詠一」。

アン・ルイス向けに書かれた「Velvet Motel」の原曲。複雑なリズムになる前の曲が収録されていましたが、その素直な歌に耳を傾けています。

「Summer Breeze」の歌詞は次の通りです

窓辺より添えば そよぐ / よせる 波の音 耳元に はこぶ / Summer Breeze(SB) / 
まだ来ぬ月影に おもふ / 首かしげ すずしい /(SB)(SB)/ 
夜空の星 まばたき / はるかな眠り 誘う Endless Sleep / 
夜 とけだし 残る月 / (SB)  / 空 はなびら 舞い踊る / (SB)(SB)

「はなびら 舞い踊る」とか「Endless Sleep 」とか、心の中を通り抜けるキーワードが、チラリホラリと降りかかる春の午後、「Velvet Motel」と「Summer Breeze」の謎をいくつか追ってみました(^^)。

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その1)
「はなびら 舞い踊る」謎を追え!
まず「夏の風(Summer Breeze)が吹く中で空から花びらが舞い踊る」って、どんな光景なのか。歌詞を改めて通しで読んでみると、ふとそんな疑問がわきました。

それぞれの言葉はわかるけれど、夏の光景として、うまくイメージできないのです。夏の花の代表といえば向日葵ですが、向日葵の花びらが風で舞うことがあるだろうかとか。

昔、「うすむらさき色した深い眠り」ってどんな眠りなんだろう?と考えた時(うすむらさき色の謎を追え>)と同じような疑問です。

Summer Breezeの謎、まずは夏の花びらの謎を追ってみました。

“大滝詠一リリカル・ソング”(メロディックな曲をこう名付けた)には共通したイメージがあります。

「星、風、月影、窓、波の音」、そして「花」

作詞家大滝詠一の使う言葉には一貫性があり(使いまわしとも・・・)「Summer Breeze」は、星薫派作家大滝詠一の集大成とでもいうべき作品です(^_^)。(*註2)

その歌詞をみわたすと、「おもふ」という古めかしい言葉遣いも混じっていて、歌謡史、俳句、百人一首などのどこかに答えがあるのだろうと予測できますが、すぐに特定できる出展元は思い浮かびません。ヒント探しを兼ねて、まずは大滝詠一4万字インタビューにあたることとしました。

「Velvet Motel」については、男性の声で声を裏返している稀有な曲だということがインタビューでは強調されています。この話は2005年の内田対談でも出ている話(*註1)なのですが、芸能には表と裏があり、平野愛子「港が見える丘」やルー・クリスティ「Two Faces Have I」の裏声はそれを歌唱で体現しているという話です。

ラジオ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」で大滝詠一、いや、イーチ大滝 (DJ)が紹介している平野愛子の曲が2曲あります。

「港が見える丘」と「君待てども」という曲ですが、いずれも1976年3月29日の 放送(第42回)でかかったもので、かれこれ30年ほど前に自分もそのダビングを聞かせていただき、いっぺんで平野愛子ファンになりました。

「Summer Breeze」の歌詞を眺めながら、久しぶりに平野愛子の歌を聴いてみて、突然の発見に一瞬、心乱れました。

平野愛子「君待てども」
1.君待てども 君待てども / まだ来ぬ宵 わびしき宵 / 窓辺 一つの / 蒼白きバラ / いとしその面影 香り今は失せぬ / 諦めましょう 諦めましょう / わたしはひとり

2.君待てども 君待てども / まだ来ぬ宵 朧の宵 / そよふく風 冷き風 / そぞろ身に沁む / 待つ人の影なく 花片は舞い来る / 諦めましょう 諦めましょう / わたしはひとり
(3番省略)

つまり、「Summer Breeze」の「はなびら 舞い踊る」は「君待てども」の「花片(はなびら)舞い来る」から、「まだ来ぬ人」は「まだ来ぬ宵 わびしき宵 窓辺の 」からきているのではないかと思ったのです。

そういう観点で、よくよく眺めてみると、そもそも2番の「そよふく風 冷き風」=「Summer Breeze」ということなのではないでしょうか。

この曲は(いやこの詞は)、平野愛子の「君待てども」から、イメージを膨らませて、これまでの要素も入れて作った力作なのではないか?だから、平野愛子バリに声をひっくり返らせているのではないかというのが、自分の読みです。

世阿弥『風姿花伝』には「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」
とありますが、ひっそりと咲く夏の花。どないなもんでショ?(と、大滝さんなら締めたはず)

(2021/04/18追記)
この「君待てども」の世界に
アネット&アヴァロンの世界を追加したのかもしれません。
窓辺より添えば そよぐ / よせる 波の音 
Annette Funicello & Frankie Avalon 「Because You're You」

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その2)
「首かしげ」の謎を追え!

次は小ネタです。
2番の歌詞に「 首かしげ すずしい」とあります。なぜ首をかしげるのか、こちらが首をかしげたくなります。

この「首かしげ」の出典を追ってみました。

花が題名に出る曲としては、オールディーズ界では「花はどこに行った」「花のサンフランシスコ」とならんで街角男の異名も(日本では)名高いデル・シャノンの「Hats Off To Larry(花咲く街角)」が有名です。

日本では、東京でもアメリカでも長崎でも上海でも花を売る、花売り男(?)オカッパルです。

ということで、これは間違いなく岡晴夫「東京の花売り娘」の2番でしょう。

岡晴夫「東京の花売り娘」
「花を召しませ 召しませ花を / 小首かしげりゃ 広重描くも新たな 春の宵」

この曲自体は「趣味を召しませ 召しませ趣味を」として「趣味趣味音楽」で「ゴー!ゴー!ナイアガラ」ファンにはおなじみの曲です。3番の歌詞に「影を追うよな甘い風」と風という単語も登場する春の唄なのですが、夏に応用したのでしょう(^^)

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その3)
「Endless Sleep」の謎を追え!
その1、2は割と自信ありですが、その3以降はあまり自信ありません。よろしければお付き合いのほどを。

「Summer Breeze」の3番には「はるかな眠り 誘う Endless Sleep」とあります。たぶん、わが国ではそれほど使わない表現だと思います。

このパートでは、「Endless Sleep」という言葉を使ったきっかけはどういうことなのか追ってみました。

普通に考えると、「Endless Sleepに誘う」ためには
・白雪姫のよう睡眠導入剤のリンゴ?
・連れ寝?
など、睡眠導入装置の仕掛けが必要で、それについて訊きたくなります。そもそもどんな眠りなのか。

少し調べると、Jody Reynolds「Endless Sleep」という曲があります。

ジョディ・レイノルズが、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」にインスピレーションを得て作った曲で、元々の歌詞は、デス・ソング(彼女が亡くなる)だったのですが、レコード会社からの意見を取り入れて救ったことにした(「I saved my baby from an endless sleep」という歌詞に変えた)そうです。

この曲はTeddy Bearsとカップリングになっているレコードもあるようなので、大滝詠一がそれを聴いていた可能性もあるし、あるいはカントリー好きなのでHank Williams Jr の歌を聴いていた、あるいは同名異曲でニック・ロウが歌ったものを参考にしたのかもしれません。

つまり、この「Summer Breeze」という曲は、亡くなった(endless sleep)人に向けた曲ということを意識して作った曲なのかもしない、というのが今回の結論です。

「Summer Breeze」は、有明の月の下で、亡くなった最愛の恋人だったり、肉親だったりを思って歌う歌なのだと思うと、アコギ一本で大滝詠一が歌うこの曲に感じる風は、これまでより少しヒンヤリとしたものになるのではないでしょうか。




  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その4)
Green Light 仄かに光るアスファルト」の謎を追え!

雑誌『PEN』(2021年3月15日号)に、「Velvet Motel」についての松本隆のコメントがありました。

「(もととなった題材は)昔、ハリウッドのモーテルで、偶然、伊勢正三とプールサイドで詞のはなしをしてた。」

「Velvet Motel」は、『A LONG VACATION』の中でも作詞家松本隆のカラーが濃い歌詞だなと思うのですが、なぜこの曲(メロディ)にモーテルの詞がついたのか、深読みをしてみたいと思います。

いきなり推測から始まりますが、大滝詠一は、アルバム2曲目を高音で(裏返った声を入れながら)歌うクセがあった、言い換えると2曲目は高音で歌いたかった、のではないでしょうか。

これまでの大滝詠一のアルバムでは、A面2曲目に高音で歌う曲を入れることが多いように思います。

『ナイアガラ・カレンダー』の「Blue Valentine's Day」もそうですし、『大瀧詠一』の「それはぼくじゃないよ」もそうです。

忘れていましたが、『風待ろまん』の2曲目「空いろのくれよん」もそうです(Thanx!@metalside)

ここからはすべて妄想ですが、「Summer Breeze」という曲を作ったとき、大滝詠一は「それはぼくじゃないよ」のような曲を作りたくて、光、風、眠りの要素をいれて曲を作ったのではないでしょうか。

そして、久しぶりのアルバム『A LONG VACATION』を「ボーカルをメインとしたJ.D.サウザー『You're Only Lonely』のようなアルバムとする」というコンセプトを決めた時に、2曲目にはこの「Summer Breeze」を入れようと決めた。

新しいVOXでは、ロンバケの曲順が前後していく様子がうかがい知れますが、「Summer Breeze」はずっと変わらずにM2(2曲目)となっています。

それで、大滝側から、詞をつけるにあたっては、大滝=松本コンビ「それはぼくじゃないよ」の続編の詞を作ってほしいということを頼んだのではないでしょうか。

つまり、デモテープを渡し、この曲に松本らしい色をつけて欲しいという注文です。(色をつけてくれ~♪)

具体的には「まぶしい」の中で「眠っている」君を「ただの」がのぞきこんでいた、あの2人が今、どうしているかを書いてほしいということ。

松本隆が思いついたのは(あるいは「光、眠り、風」という3題話でお願いしたいと大滝から依頼があって入れ込んだのは)、
「仄かに雨に光る」アスファルトをみながら、今日は「ソファーで」る自分のいる「傾いてる景画ひとつ」だったのではないでしょうか。

さらにもう少し妄想をたくましくすると、「それはぼくじゃないよ」でクレジットしている、ちぇるしいに歌わせるとしたらどんな歌詞がよいか考えたのではないでしょうか。

ちぇるしいは、大滝詠一がジョニ・ミッチェルの「Chelsea Morning」を弾き語ったのを聴いていたラヴィン・スプーンフル・ファンクラブの女の子からつけられたあだ名です。(この大滝版「チェルシー・モーニング」聞いてみたかった!)

そのジョニ・ミッチェルは、たとえば「Carey」のように変幻自在に裏声を操っています。今回のアルバムで、大滝が「ちぇるしい」として、こうした歌の男性版を歌おうとしているということも話したのかもしれません。

ジョニ・ミッチェルの曲をみると、実に色に満ち溢れた歌詞となっています。

Big Yellow Taxi」でのピンクのホテルと駐車場(アスファルト)や「Blue Motel Room」の青い寝具なども頭にあったのかもしれません。ジョニ・ミッチェルとは全然関係なく、フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』 で印象的に使われる「グリーン・ライト」(青信号)などのシチュエーションが用いられたのかもしれませんが、「Velvet Motel」の歌詞は、「Summer Breeze」以上に、時々ひっくり返り(最後は本物の女性の声になる)ちぇるしいの歌声に色どりを与えているように思います。

  • 「Summer Breeze」の謎を追え(その5)
「ドラムパターン」の謎を追え!
「Velvet Motel」は、「Summer Breeze」(デモ)より複雑なリズムが続き、それが曲としての魅力となっています。アコギを重ねた「Summer Breeze」の完成版も聞きたかったですが、やはり「Velvet Motel」は完成度の高い曲だと思います。

昔から気にしていたリズムは、キャプテン&手ニールの「Love Will Keep Us Together」ですが、なぜこんなリズムをいれたのかについてを少し追ってみました。

最初、この文章を書こうと思ったときに考えていた結論(推測)は、『ロングバケーション』というアルバムは、これでダメなら引退をかけた、復活の狼煙をあげるアルバムなので、ニール・セダカ『Sedaka's Back』やエルヴィスの『Elvis Is Back』のように「Each's Back」の視点で、関係するものをすべて入れようとしたというものでした。

「Only the Lonely」を『Elvis Is Back』でエルヴィスが歌う可能性があったという記事をみたときに、その思いを強くしました。ロイ・オービソンもニール・セダカも不遇の時代をすごしてヒットを出したという過去と照らし合わせると、捲土重来、夢よ再びALVです。

でも、それだけが結論ではイマイチかなと思っていたところに、今回の4万字発言でなるほどと思ったのが、「ドラムパターンが74と同じです」の発言です。

「サイダー74」にかかるコメントを2つほど引用します。
1「大瀧ポップスの最初の完成品です。ここに<はっぴいえんど>も、2年後の『夢で逢えたら』も、6年後の『ロング・バケーション』も、全てが含まれていると思います。」

2「このころは複合リズムですよ。裏打ちのビート、それとパーカッションと間に打つ変形のリフ、それにオルガンなんかも入れて」

「サイダー74」はニューオリンズです。ニール・セダカ「Love Will Keep Us Together」を聞いたとき、ビーチボーイズの「Do It Again」を複雑にした曲だなと思いましたが、Eddie Bo、Willie Tee、Robert Parkerなどを聴くと、ニューオリンズのリズムは多彩だなと思います。

ニール・セダカ自身に、後年「ニューオリンズ」という曲もありますし、『ナイアガラ・ムーン』の解説でもありましたが、ニール・セダカ「Sweet Little You」で楽しい夜更かしをしています。この曲、裏声も多用していますので、ロンバケではリズムを極地まで試してみようと思ったのではないでしょうか。

まだまだ、ニューオリンズは追っていく必要があると思っています。

ということで、最後はなんだか尻切れトンボですが、最後は個人の興味で1人で追いかけていく必要があるということで、歌詞を一節づつ。

J.D. Souther「You're Only Lonely
「You're Only Lonely~♪」

平野愛子「君待てども
「諦めましょう 諦めましょう  わたしはひとり~♪」

大滝詠一「Velvet Motel」
「今夜はソファーで寝てあげるよ. Lonely night~♪」

おあと、おおぜいm(__)m。


<註1>
大滝=内田樹対談「文藝別冊 大瀧詠一」河出書房新社 
2005年8月16日 山の上ホテル内田樹対談での発言をいくつかピックアップします。

#『ヴェルヴェット・モーテル』なんてコミック・ソングかと思うぐらいにひっくり返しましたが、あんなにひっくり返しが多いのは、当時としてはマヒナスターズ以外では日本歌謡史上初でしょう。

#ハワイアンはみんなファルセットでやるから。マヒナスターズもパラダイス・キングもそう。ラテンのトリオ・ロス・パンチョスの『ラ・マラゲーニャ』でもひっくり返しが長いし、デル・シャノンも『悲しき街角』の時に感極まってひっくり返す。

#その前にルー・クリスティという歌手がいて、『トゥー・フェイセズ・ハブ・アイ(二つの顔を持つ男)』という歌があるんですが、最初は地声で歌うので『トゥー・フェイセズ・ハブ・アイ』。多重人格障害の初期のものなんだよね。

#大笑いなのは城卓也の『骨まで愛して』の第二弾のダブル・ジャケットで、片方は『骨まで愛して』調の『愛する人はただひとり』なんだけど、片方は『トンバでいこう』と言って、ヨーデルなんだよね。あの人はカントリー歌手なんだけど、カントリーにファルセットが入って、片方はムード歌謡で片方はヨーデル。『トゥー・フェイセズ・ハブ・アイ』。つまり城卓也は日本盤のルー・クリスティなんだよ。表と裏ーーハレとケでもいいし、正常と狂気でもいいけれどーーの落差というと、もちろんセクシャリティもあるけれども、ショック度もある。

#歌謡や芸能のなかには表と裏があって、それを歌唱法のなかにもとめたのが平野愛子にあるんじゃないかと考えたので『ヴェルヴェット・モーテル』で男性の声でひっくり返しをやったりしたんだけれども、意味もなくいちいちひっくり返すというのは珍しかった。

個人的な想い出ですが、当時、一番歌謡曲にハマっていました(ミス・コロムビア「ふんなのないわ」とか、灰田勝彦「森の小径」など)。ここでのカントリーへの言及がなんとなく体感できるようになってきたのは、最近です。

<註2>
大滝リリカルソングの変遷

これまでの大滝リリカルソングの歌詞を色付けして並べてみました。自分の作品で同じモチーフを繰り返し使う(換骨奪胎する?)ことが非常に多いですが、その変遷をみてみます。

「Summer Breeze」
窓辺より添えば そよぐ / よせる 波の音 耳元に はこぶ / Summer Breeze(SB) / 
まだ来ぬ月影に おもふ / 首かしげ すずしい /(SB)(SB)/ 
空の星 まばたき / はるかな眠り 誘う Endless Sleep / 
とけだし 残る月 / (SB)  / はなびら 舞い踊る / (SB)(SB)

「ナイアガラムーン」
霧に覆われた ナイアガラの / 佇む二人 漂うシルエット / 聞こえてくるよ 滝が奏でる / ロマンチックな調べ 子守唄 / ゆらりゆらゆら 月影揺れて / 今宵二人きり ここで ここで過ごそう/ 星が瞬く瑠璃色の / 寄り添う 二人 浮かぶシルエット / (略)

「夜明け前の浜辺」
あたりをおおう 波の音 / 砂の上に 横たわり/ 僕の声は からだで / 君は受けとめ 目をとじる / 丸いが名残り惜しげに / 海に浮かぶ / 明け前の浜辺で 二人を照らす うすあかり / (略) / 残るの遠い独言

「今宵こそ」
今宵こそ この胸の つのる想いを 君の耳もとで打ち明けん / 今宵こそ そよぐ風に 君の 髪が揺れて リボンをむすぶよ / 今宵 今宵こそ 君の 熱いその胸

「真夏の昼の夢」
夏の昼下り 揺れる / 日ざし 浴びて / ぼくは深い 眠りに / 誘われるまま ゆらり
夢に現れた 人魚とぼくは 泳ぎ出す(略)
夢の 波の音は いつか きいた 子守唄 / 終りのない すき透った調べ / 真夏の昼の夢

「DOO-WOP! TONIGHT」
Tonight 今宵こそ 影の 渚で/ And Tonight 汚れない この愛を打明けたい / Oh My (略) / Tonight 小(さざなみ)が 消してゆく/ 二人のイニシャル / Oh My (略)/ Tonight 離れない 岩影に寄りそう シルエット / Oh M(略)  IN THE NIGHT

「泳げカナヅチ君」
カメに別れを告げてはるかな 彼方へ Go! カナヅチ君 Go! 泳げ泳げ泳げカナヅチ君

(2021/4/25追記)
「今宵こそ」のリボンも「ボタンとリボン」でないし、と追いかけていたのですが、

「長崎のザボン売り」より
 髪に結んだ リボンも可愛い 可愛い娘 ああ 長崎のザボン売り 
 風がそよそよ 南の風が 港長崎 ザボン売り
ということで、“今宵”のリボンは、長崎からの風に吹かれているのでしょうね(^^)

さらにおっかけるのが、ナイアガラ・ファンの「宿命」!?
この「長崎のザボン売り」は、北原白秋の詩『思い出』の中の
『朱欒(ざぼん)のかげ』と『人形つくり』にヒントを得て“ザボン娘”を
イメージして作詞したとのこと。

思ひいづるそのかみのTYRANT. 狂ほしきその愉樂………… 今もまた匂高き外光の中 あかあかと二人して落すザボンよ。 その庭のそのゆめの、かなしみのゆかしければぞ、 弟よ、 かかる日は喧嘩(いさかひ)もしき。 『思ひ出』-朱欒のかげ

さらに少し検索すると、本居宣長も、亡き父母のことを思い、こんな歌を詠んだそうです。
「思ひ出る そのかみ垣に たむけして 麻よりしげく ちるなみだかな」
まさに連鎖が連鎖を呼ぶ、分母分子論です。





チキン・オブ・ザ・シー

2021-02-05 08:08:33 | 備忘録
前も書いたかも。

宮治さんの番組でかかって、宮治さんもこの曲、大滝さん好きだったのだろう発言。かかったのはゴーゴーズ。
改めて聞いて、「泳げカナヅチ君」は当然ながら、「趣味趣味音楽」では?と思いました。
「Every body calls me chicken of the sea
Read more 」
「わーたしゃ、富山の押し売り男♪」

ジャニーズの方かな。

ナイアガラ暮色を追え!

2020-03-22 14:11:49 | EACH TIME

 デビュー50周年記念盤として、3月21日に発売された大滝詠一『Happy Ending』。非常に楽しませてもらっています。


 ファンは図々しいので、願わくば、冊子としての別販売でよいので、判明した範囲でよいので、『Debut Again」と『Happy Ending』の録音データを補遺集として、出版してほしいと思います。「つけて欲しいんだから、書き付けぐらいは~♪」、なのです。


 そんな中、本日の大瀧詠一bot(@each_bot)のツイートが。

 これもちょっとだけ踏まえながら、1言づつコメントを(これが似ているとか書く意味がないといわれているにもかかわらず、少し書いたりしてみます(><))。


"Happy Ending" 大滝詠一
1.Niagara Dreaming
→巷でも話題になっているようですが、2011年に開催された、ロンバケ30周年記念パーティで流れた「恋するカレン」のサビ部分。ここで聞けるのが最後と思って、一音声たりとも漏らすべからずと思いながら、コーラスの大洪水に耳を埋めた曲。
 「カレン」を作っていた80年代初頭には、第一線から距離があったBB5も4Seasonsなど、ホワイト・ドゥーワップのオマージュをこれだけしっかりやっていたとのかと、感動に打ち震えながら聞いていました。
 頭の中で思っていた曲は、もちろん「Hushabye」に加え、「Ballad Of Ole' Betsy」、さらに『Brian Wilson』(1988)の 「One For The Boys」、「Let It Shine」 なども一緒に浮かび非常に幸せなひと時でした。
 あれから10年、もう3月・・・ 耳を澄ませば さようなら。


2.幸せな結末 (Album Ver.)
→『EACH TIME』を即日購入していない、若手(!)ナイアガラファンにとって、初めてのリアル・タイム曲。キムタクのラジオから流れたバージョンが”親”のため、個人的には、アルバムにもそちらを入れていただきたいという勝手な願いを持っております。
以前、エヴァリーに加え、ナンシーシナトラ「True Love」も、追ってみたこともありますが、ソニー・カーティスのクリケッツ然としたサウンドという評があったように、きちんとドラムがいて欲しいサウンドです。


3.ナイアガラ慕情
→最初のイントロ1分のみ、ドラマの中で聞いたことがあったのですが、もともと予想していたカヴァーではなく、大滝詠一のスキャットが出てきて、これは得をした!と感じた曲。今回のアルバムの中で一番気にいっている曲です。
ゆったりとした曲調で、大滝詠一がのびやかに歌う、この曲にこそ、「ゆらりろ」とつけて欲しかったぐらいです(^_^)

今回の「ナイアガラ慕情」に際してのツイートでは、metalsideさんの慧眼に、いたく感銘を受けました。

 

このマリンバのトレモロは、斎藤高順の音楽作品では、ところどころで見られるものです。

例えば、小津安二郎の『早春』(1956)

 リンクをつけている予告シーンでは、ちょうど2分以降の部分を聞いてもらうと、マリンバのトレモロがはじまります。一度、お聞きあれ。この弦楽器の奏でるメロディと、後ろでかかるトレモロを聴いていると、続けて聞いてみたくなります。小津安二郎作品では、「彼岸花」のメインタイトルが一番好きですが、今回のトレモロ体験は改めて、斎藤高順作品に向き合おうというよいきっかけになりました。

小津以外では、「あじさいの歌」(1960) 日活などにもトレモロはふんだんに使われています。


テロップが終わり、石原裕次郎が神社の長い階段を上るシーン、東野英治郎が足をくじいて、裕次郎が負ぶって家に連れていくシーン、いずれもマリンバのトレモロが全開です。

 似ているとか似ていないとかではなく、大滝詠一も劇伴音楽を作るなら、こういう曲がバックに流れていると良いなぁと思って作ったのではないかとは思うのですが。意図的に「早春」をモチーフに、「春立ちぬ」を作ったというような仮説などあれば面白いと思うのですが、それには、小津安二郎研究をやっていた時期とこの曲を作った時期がカブっているかといった検証なども面白いかもしれません。

 最初に書いた通り、特にデータがないので推測になりますが、前者は2010年頃(成瀬・小津研究)、後者は1998年頃(雨のマルセイユと同時期としたら)または、2003年(恋するふたりのころ)と、思われるので、直接の影響があるわけでもないと思ったほうがよいと思います。
 
(追記 2020.06)
Bobby Vintonの「There! I've Said It Again」
れんたろうさんがボビー・ヴィントンの「ブルー・ファイア」だと書いてました。

マリンバもそのまんまトレモロ。
コンダクターは、Stan Applebaum!
Neil Sedaka, Ben E. King, Sam Cooke, the Drifters, the Coasters, Connie Francis, Bobby Vinton, Brook Benton and many others.ということで、ここでも原点回帰のアレンジでした。

4.恋するふたり(Album Ver.)
→このバージョンは、ハンド・クラッピングとカスタネットの臨場感が強く、今までの中でも一番好きなバージョンとなりました。「春立ちぬ」という題名だったと聞いていたせいもあったのか、発売当初は、「風立ちぬ」の2番煎じといった印象が非常に強かったですが、サウンドの味付けは近いけれど、メロディが違うし、このアルバムの核になっているなと思います。
ただ、やはり最後の曲となったからか、余計に松本隆作品の「春立ちぬ」も聞いてみたかったです。

5.イスタンブール・マンボ

→「ウスクダラ」と「悲しき60才」をあわせたような音でしょうか。大滝作では異色ながら、中原理恵の「風が吹いたら恋儲け」で使ったリズムパターンを使っているなぁと思いました。
中原理恵の「東京ららばい」と、庄野真代の「飛んでイスタンブール」は筒美京平なので、混同することがあります(^^;

6.Happy Endで始めよう (バカラック Ver.)

→原点回帰のB面曲として、よろしいのではないかと。ハル・ブレインのような軽快なドラムの響く歌。
以前、この曲は「フラフープ・ソング」の影響があるのでは?と考えていました。
「街でも村でも~フラフープ♪」と「村でも」の歌い方が、「ハピーエン」に似ているのではと思ったのですが、チョット違いそうですね。伊東ゆかりと中島そのみのバージョンがありますが、伊東ゆかりを貼っておきます。
伊東ゆかり「フラフープ・ソング」(1958)
すぐに、「Let's Ondo Again」が始まりそう。

7.ガラスの入江

→アルバムであれば、「風立ちぬ」の流れでまとめて聞きたい曲です。

となると、このアルバムも再編成が必要です。
例えば、
A1    冬の妖精←「Happy Endで始めよう」で始める
A2  ガラスの入江←この曲。
A3  一千一秒物語←「ナイアガラ慕情」(恋するカレン・・カレン・カーペンターズ・・悲しき慕情の連想)
A4  いちご畑でつかまえて ←「恋するふたり」(特にダンドゥビのところ)
A5    風立ちぬ←「So Long」
という曲順になりますかね。

ニール・セダカ「Bad Girl」(悲しいあの娘)と言われていますが、自分の中では

Buffalo Springfield「Sad Memory」のようなバラード曲を作りたかったのではないかと思っています。


8.Dream Boy

→ロビン・ウォードと同名異曲となる。「夢で逢えたら」のカヴァーであるが、なぜ「Dream Girl」としなかったのか?が気になります。やはり、女性歌手用に歌ってあげた曲に日の目を浴びさせたということなのでしょうか。男性が歌うので「バチェラ・ガール」と「バチェラ・ボーイ」のどちらがよいかまで気を遣ったはずなので、もし公開を前提としていたら、「Dream Girl」としていたのではないかなと思うのです。

まぁ、「Dream Girl」とすると、Davy Jonesと山下達郎の「Dream Girl」が控えているので、しづらかったのかもしれませんね。

9.ダンスが終わる前に

→弦だけかぶせているようなので、歌と時期がずれているのかもしれません。

タカタッタ、あるいは、ドドドッドとドラムが入らないのが残念です。

10.So Long

予想が大きく外れました。1997年7~9月のリハビリセッションの前後でしょうか。「幸せな結末→恋するふたり」のミッシングリンクのような曲でした。もう1回、2回転調してもよさそう。

あとは、邦題を何かつけて欲しかったです。
自分がつけるとしたら、「ナイアガラ暮色」!でお願いします。
(←ナイアガラ慕情と非常に紛らわしいのですぐ却下される・・・)
ディック・ミネ「或る雨の午后」とか「二人の並木道」に触発されて、「或る雨の夜明け」とか「雨の並木道」(←同名異曲がある(><)。

1つ、ナイアガラとまったく関係ない個人的な体験ですが、「めぞん一刻」という漫画で主人公の男の子を好きな女の子が「LONG GOOD-BY!」に“SO”を足して、「SO LONG! GOOD-BY!」にしてしまうシーンがありました。今回の歌詞から考えて、シッカリお別れするようでもあり、そうなら、「そー」でよいのかな、やっぱり「そー」なのかなぁと思いました。


11.Happy Ending
→こちらもエルヴィスではなかったですね。
いずれにしろ、どう終わるかじゃない、どう始めるかだぜ。
お後大勢_(. .)_



So Long

2020-03-02 00:28:39 | GO! GO! NIAGARA
"Happy Ending" 大滝詠一の続きです。

やはりファッツ・ドミノなのでしょうが、
「Blue Moon」のようなこの曲を聴いて、このカヴァーでもよいなぁと思いました。

The Four Aces - So Long (1954)


制作側も「So Long」を最後にするか、
「Happy Ending」を最後にするか迷ったでしょうね。
思い切って、A面の最後を「So Long」にしてもよかったかも!?
まぁ、言うは易し行うは難し。出るだけ有難いことなのです。




新作「Happy Ending」

2019-12-22 22:48:55 | EACH TIME

ペットサウンズHPで新作が出ると知りました。楽しみ(^^)

ネットを検索すると、現時点では、次の曲目とのこと。

A1.Niagara Dreaming
A2.幸せな結末 (Album Ver.)
A3.ナイアガラ慕情
A4.恋するふたり (Album Ver.)
A5.イスタンブール・マンボ
A6.Happy Endで始めよう (バカラック Ver.)


B1. ガラスの入江
B2. Dream Boy
B3. ダンスが終わる前に
B4. So Long
B5. Happy Ending

1997年~99年頃の曲が多いものと思われます。注目は、知らない曲「ナイアガラ慕情」と「So Long」でしょう。どちらも新作なのか、カヴァーなのかが気になります。

「ナイアガラ慕情」がカヴァーだとしたら、「Love is a Many-Splendored Thing(映画『慕情』)」というよりも、「Breaking Up Is Hard To Do( 悲しき慕情)」のカヴァーなのか、 「京都慕情」のカヴァーなのか、というところでしょうか。

 

マット・モンローばりに歌うというのも、「ナイアガラ・ムーンがまた輝く時」のようですけれど。

 

「京都慕情」はヴェンチャーズ・インスト「REFLECTIONS IN A PALACE LAKE」のウォールオブサウンドアプローチの可能性もありますが、それでは、多羅尾伴内の新作になるので、違うでしょう。

「So Long」は、ファッツ・ドミノリック・ネルソンのカヴァーの可能性が強いです。うちにある「So Long」は、Ruth Brown「So Long」、Manfred Mann「So Long, Dad」などですが、もし「So Long」が一部入った曲のカヴァーだとしたら、ポコの曲のカヴァー「Consequently So Long」、または、ニルソンのバージョンに近い「So Long Dad」これが一番聞いてみたいと思います。

 

 

こちらもハーモニーがないとだめだけれど、それだと、大滝詠一の新作ではなく、ちぇるしい、多羅尾、我田、霧宿のJack Tonesとしての新作になってしまうかもしれません。

いずれにしろ、来年も楽しみです。

 


「雨のウェンズデイ」色恋忘れ解釈

2019-07-21 17:17:34 | EACH TIME

〇「雨のウェンズデイ」色恋忘れ解釈。
  あるいは、菫色の雨に濡れている”ワーゲン”の色を追え!(2019.07.28,31 Updated!)

 
〇菫色の雨に赤い車。

 先日、『新譜ジャーナル・ベストセレクション’70s』という書籍をパラパラと読んでいて、1973年の項で、次の記事が目に留まりました。

  

 この記事のとおりだとすると、細野晴臣は1973年当時、"真っ赤なフォルクス・ワーゲン"に乗っていたようです。細野氏が、20代後半の頃にボルボのアマゾンという中古車に乗っていた、と話をした記事をネットでみつけました(*1)が、小ぶりの車で、1973年当時に乗っていたフォルクス・ワーゲンの種類も、同じように小型の”ビートル”だったのではないかなと推測しています。

 

図ーVOLVO 132 AMAZONとVolkswagen Typ 1(Beetle)

 

 この”ワーゲン”という単語は、当然ながら、ナイアガラ・ファンを強く引きつけるパワー・ワード(*2)の1つです。

「雨のウェンズデイ」は、実に詩情あふれる歌です。週の中ごろに雨が降った時には、よくこの歌のことを思い出しますし、街に出歩き、ふとワーゲンをみかけた時や、TVのニュースでワーゲンの話題が出た時などについても、条件反射のように「壊れかけたワーゲン」の”ボンネット”を思い浮かべてしまいます。

 しかし、これまで「この車は何色をイメージして書かれているんだろう?」と、車の色を強く意識したことはありませんでした。自分の中のイメージでは「雨のウェンズデイ」に登場するワーゲンは、雨の日らしく、”水色”でした。海の近くで赤いワーゲンが雨にあたっているさまはこれとは対照的であり、これまで何度も歌を聞いて刷り込まれてきた風景とのギャップがあり、なかなかうまく思い描くことがしづらかったです。たぶん、雨は一切を洗い流すような装置となるのですが、赤に血のイメージがあり、コントラストが強すぎるのでしょう。

 ここで、自分は水色と思っていたワーゲン、皆はどんな色をイメージしているのだろう?そもそも作詞家松本隆氏ご本人の見立てと同じ色なんだろうか?という疑問がわいてきました。

 「雨のウェンズデイ」は、菫色の雨だけが1点集中のように着色されていて、登場人物や登場する物は、全て雨の中で浄化されてしまうのか、色遣いが瞭然としないのです。

 


〇さよならの風を集めて。

 『ロング・バケーション』はいくつものパターンで別れの歌を集めています。例えば「君は天然色」は、恋人について歌った歌ではなく、松本隆が病弱で亡くなった妹のことを書いた歌だったというエピソードはご本人があちこちで話していて有名です。そこで、『ロング・バケーション』というアルバムは、恋人同士ではない二人の別れの風景を歌った歌もいくつも交じっているのではないか?という仮説を立ててみました。

 別れにもいくつもの別れがあります。夫婦、自分、子供、恋人、友人(*3)

 この中で「雨のウェンズデイ」は、男性の”友人”との別れの歌だったのではないか?と空想してみました。記事からイメージを想起した「赤色のワーゲン」と「菫色の雨」との結びつきを強めるための空想です。いうならば、”さよならの風”が心に吹き荒れている「君」は、カーブのたびに悲鳴をあげた「助手席の君」と同じなのではないか?という考えです。

 今回の記事作成は、この友人との別れの線で、イロコイを忘れた、新たな解釈に挑んでみるチャンスだと思っています。「恋するカレン千早ぶる解釈」よりは、いくぶんまともでも、迷解釈には違いありませんが、一生懸命勉強して頑張ります。

 なんてったって、ワーゲンうちだよ色恋を 忘れて 勉強をセドリック」(by小林旭)ですから(^^)。

 

 
〇黄色いジャガー。

  松本隆は「雨のウェンズデイ」を「1969年のドラッグレース」の後日譚として(先に)書いたという線で、車は何色だったのか?という推理をもう少し続けます。
 
 今回はジャケットの色で車の色を「黄色」や「緑色」と判断するわけではありません。レコード会社の意向で同じ車がいかようにも何度も使い回しされながら変化しますから。あくまでも歌詞前後の文脈や他の文献などを大切にします。(そもそも、雨のウェンズデイのシングル盤のジャケットは2種類あるが、どちらも車は描かれてないため、車の推理としては参照不可)
 
  ”車”の出て来る大滝詠一の曲をもう1曲はさみ、ホットロッド3部作として、登場人物の変遷を追ってみることにしました。別れまでの流れを整理するとこんな感じになるでしょうか。

 Ⅰ 何処か遠くにドライヴするたび、仲間で「バックシートにギター積んで」、バンド結成!

 ↓

 Ⅱ 雨が降る前に(一雨来るね 黒雲スピードをあげて)バンドメンバーとさよならすることを決めた。具体的には、作詞・作曲の共同作業をやめて、お互いの道を歩こうと宣言した(気まずいサヨナラを決めた)。ところが、"車が故障"して、送るに送れない状態になってしまった(送ってくはずだった)。

 ↓

 Ⅲ 傷つけあう言葉が波より多い関係になって、雨も降ってきてしまった。

Ⅰ「1969年のドラッグレース」⇒Ⅱ「ガラス壜の中の船」⇒Ⅲ「雨のウェンズデイ」という流れになります。
 『イーチ・タイム』から『ロンバケ』へ遡ることになり、まさに未来は過去になる、です(^_^)。
 

この三つのストーリーの間、登場人物はずっと同じ車に乗っているという可能性にそって、推理を進めます。  

Ⅰ「1969年のドラッグレース」で思いつく車の色は、やはり黄色(クリーム色)です。
 
 「ドラッグレース」に強い影響を与えている曲が、力強いボ・ディドリー・リズムと軽快なピアノのデイヴ・クラーク5の「Try Too Hard」だからです。
このジャケットに載せられたロボコンとカネゴンの間のような車。
 
The Dave Clark Five 「Try Too Hard」
 
 
 
 
車に詳しくないので少し時間かかりましたが、なんていう車かいろいろと探してみると、この車はジャガー(E-Type)だという記事にたどり着きました。 
 
 
  
The Dave Clark Five - Jaguar E-Type(*4)
 
 
 
 細野晴臣によるとバンドメンバーは3人から始まったそうです。
 
「ある日、大瀧から電話がかかってきた。いっしょにやりたいっていうんだ。それで、3人で集まって、これはできるっと思った。で、3人で車で十和田湖まで旅したんだ。そのたびの中で、大瀧はいろんな曲を作り出して、松本は、とにかく日本語でやろう、というアイデアを出してきた。つまり、これまでは、ロックは踊るための音楽だったわけ。そうじゃなくて、むこうのフォーク・ロックバンドというのは、みんな、すわって聴くっていう。そういうのをやろうってこと。」
 
 十和田湖まで3人で行った旅行に使った車の車色にこだわった文章は見たことがありません。1969年当時から細野晴臣が赤いワーゲンに乗っていたとしたら、その「赤いワーゲン」の可能性はあります。でも、松本隆の頭の中に黄色いジャガーがあった可能性は低いものと思われます。この「Try Too Hard」という曲は、「ドラッグレース」とはサウンド的に共通点があり、ジャケットを気にするとしたら、どちらかというと大瀧サイドかなと思っています。
 
  
CBSソニー出版「レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす」細野晴臣より
 
 
  Ⅱ「ガラス壜の中の船」の詞からは、思いつく色がありません(TT)。
 どんよりした色かなぁとは思いますが、これといった決め手に欠けます。もし、これが「銀色のジェット」だったら、青白い空を破って飛ぶ機体に、これは銀色だ!と、すぐに頭に色のイメージが思い浮かんだのですが(当たり前)、「ガラス壜の中の船」を聞いているときには、これまで車の色を考えたことがありませんでした。
 詞の中にも手がかりになりそうなものが、特にないことから、ギブアップして、次へと進みます。
 
 
 Ⅲ「雨のウェンズデイ」の詞から、手がかりになりそうなものは・・・ありません。
 
 けれども、有名四人組グループの「解散」ということに絞ってみると、ある色が浮かび上がりました!
 左のワーゲンに注目です。そう、白です。ワーゲンは解散のメタファーなのか?
 
 
 
 
 これ以上探すと、どうしても白ではなく、「色恋」をさけては通れなくなりました。
 
 
 
〇黄色の360

 1999年12月に発売された『風街図鑑』の中で松本隆は「雨のウェンズデイ」について、次のようなコメントをしています。

「「雨のウェンズデイ」はプライヴェート・ソング(笑)。高校時代、ロシア系のクォーターの女の子がいて、彼女をモデルにして書いた。本当はワーゲンじゃなくてスバル360だった。その後、脚色して小説の『微熱少年』にも書いた」

 

 つまり、作曲を手掛ける友人でなく、私的な体験にもとづく女の子との別れの歌だということが、ハッキリ明言されてます。

 

ここで、松本隆が自分でも少し脚色したと言及している『微熱少年』は、映画化もされていますが、本の中ではたとえば、こんなことが書かれています。

「菫色の雨が降っていた。

 霧のように細かい雨粒が、空中を漂いながら肩に舞い降りてきた。雲の切れ間から六月の太陽が顔を出すと、雨粒は水晶の粉をまぶしたようにキラキラと風に踊った。

 浅井にせがんで借りた、スバル360のまるいカーブのついたボンネットは、鏡のように流れる雲を映してた。ドアによりかかって、ぼくは海を見ていた。」

 

『微熱少年』松本隆(新潮社)

 

 このスバル360はどんな色か、ほかのページでも本には記載がされていませんが、映画の中の車も、本のタイトルや帯も黄色が基調になっています。

   

また、ワーゲンについても次のような文章も見つけることが出来ます。

「反対側の歩道でタクシーを降りると、ぼくたちは赤信号で通りを渡った。クラクションを鳴らしながら黄色いフォルクス・ワーゲンが通り過ぎた。」

 

〇黄色 VS 青色。

 ご本人が監督をした作品で、黄色のすばる360を登場させているので、ワーゲンの色は黄色!という線が濃厚ですが、まだまだあらゆる可能性をさぐってみようと思います。赤色、黄色、ときたら、次に進む方向、検討すべき色は決まっています。そう、青。「雨のウェンズデイ」シングル盤のジャケットもその方向で「進め」と応援してくれています(^_-)。

  

*信号はどこへ向かうのか。雨のウェンズデイと恋するカレンのAB面を逆にして作られたカップリング。

 この他、一生懸命、作詞研究の研鑚を積んだところ、松田聖子『Candy』というアルバムに入っている松本隆が書いた「星空のドライブ」という曲を発見しました。この曲、"ワーゲン"が色つきです! 

「星空のドライブ」作詞:松本隆、作曲:財津和夫

「青いワーゲン ホロを外して

やけにビュンビュン 飛ばしてるのね

カッコいいのは わかるけどまだまだ 夏じゃない

風邪をひいたら あなたのせいよ

そんな 寒けりゃ そばにおいでよ

ハハーン あなたの計算も意外と単純ね

星の降る街を 飛んでいるみたい負けたわ 」

 

 

 松田聖子『Candy』(1982)
*黄色の籠の黒いバイシクル(車名不明)
 
  松本隆作詞で、ワーゲンの色まで指定した歌はこれしかないのではないかなと思います。この車には「幌」がついているとのこと。オープンカーになるのはドライブにはよいですが、
 
雨にあたるシチュエーションでは不安が残ります。天気雨と青いワーゲンより、黄色いワーゲンとの組み合わせのほうが、いくぶん明るい色調となり、ピアノの音色にもあっているとおもいます。

 

  

 JD・サウザー『You're Only Lonely』(1979)

 *ロンバケ作成のきっかけの1つとなったJDサウザーのLPジャケット。色使いも青と黄色が基調になっており、この2色は相性が良い。
 

〇全ては白になる。
 
 他の可能性がないか、さらに検討を進めます。「微熱少年」という本は、『60年代に高校時を過ごした少年たちの「微熱」の日々をリリカルなタッチで描く、都会の吟遊詩人・松本隆の処女長編』です。
 
 再度、「微熱少年」を読むと、こんな表現があることに気づきました。年上のバンドマンと演奏して、楽器を車に運ぼうとすると、ぼくが屋根にビールの空き缶をおいた車だった、というシーンです。
 
 「「あれだよ」
   葉の隙間に白いカルマン・ギアが透けて見えた。」
 
 
 
 
 ここで出て来るカルマン・ギアは、フォルクスワーゲンなのです。「雨のウェンズデイ」登場は白という可能性もまた再浮上です。
 
  
 karman gear(出典:bringatrailer)
 
 
 
 
もう1つ、違う車ですが「白」い車が登場します。
 
「表参道と246の交差点で右折しようとしていると、浅井が左肩をつついた。そしてサイド・ウィンドウを指した。人差し指の向こうに、幌をたたんだ白いオープン・カーが止まっていた。フェアレディだった。
「何だよ。フェアレディなんて珍しくないじゃないか」ぼくは言った。
「お前、どこに目をつけているんだよ、背中か。あれ、エリーじゃないのか?」
その瞬間、瞳が望遠レンズになった。
 
 なお、このシーンは映画では、白ではなく、赤い車で登場します。
 
 
 つまり、「黄色のすばる360」という現実はあるが、歌詞にするときは少し背伸びをして「白い車」(白いフォルクス・ワーゲン。ビートルかカルマン・ギア)を登場させたという可能性もあります。
 
これは、松本隆の願望も詞に入れこんで、詩的世界を高める道具としてワーゲンが機能した、という解釈もなりたつかなと思います。

 

〇想い出は・・・。
 
 赤、黄、青、白と色々と検討をしてきました「雨のウェンズデイ」のワーゲンの色は何色なのか問題。
 
 自分なりの結論を言います。
 
 モノクローム。
 
 ということで、”後は各自で”。色をつけてくれ、です。お後、大勢さま_(._.)_。
 
 映画『微熱少年』(1987)パンフレットより
 

 

 
(*1) LET'S TALK ABOUT MUSIC & VOLVO SPECIAL TALK ピーター・バラカン×細野晴臣 , June 14, 2018より

(*2) 『ロング・バケーション』には、聞くものの想像を掻き立てる効果的なパワー・ワードがいくつも並んでいます。「ディンギー」、「カナリア諸島」、「カレン」、「シベリア鉄道」・・・。

 私事ながら、自分も「カレン」に憧れ、一時期トヨタのカレンの中古車を購入しようかと検討した時期がありました。カレンのスペルが"CURREN"と"KAREN"でなかったことから、最後に思いとどまりましたが、危ないところでした。

 

 脱線ついでに、「カレン」ネタをもう1つ。うちの子どもは車の中でロンバケを聞いている(聞かされている)ことが多いのですが、歌詞を教えておらず、耳だけの英才教育のため、この曲の「Oh! KAREN~♪」というところを「おつかれ~♪」と歌っています。千早ぶる解釈をするのもむべなるかな、です(^^; 

(*3)たとえば、こんな迷解釈が成り立つかもしれません。

・「Velvet Motel」は、別居間近の"夫婦"の別れ(一度は愛し合えた~♪)。

・「カナリア諸島にて」は、”自分”との別れ(自分が誰かも忘れてしまうよ~♪)。

・「スピーチ・バルーン」は、東京に就職した"子供"との別れ(投げたテープ絡まり~♪)

・「さらばシベリア鉄道」は、女性から"男性"への別れ(一人で決めたわ~"彼"を♪)

「スピーチ・バルーン」のモチーフとした光景で、松本隆が語った、別れた彼女が船でさっそくナンパされていたといったエピソードなどは無視します。

(*4)ちなみにLP盤『Cath Us If You Can』ではお得意そうに同じ車に寝そべっていますが、よくみると、ちょっとづつ撮影アングルが異なるのも一興です。
 

東独大使館を追え!

2019-04-20 04:30:07 | GO! GO! NIAGARA

〇伊藤アキラさんの推理

 伊藤アキラさんが『週刊てりとりぃ』に”「名月赤坂マンション」は今”と題して、2回にわたり『Niagara Calender'78』の「名月赤坂マンション」についての考察を書かれています。

 内容もさることながら、そのユーモアあふれるあたたかい語り口に、読んでいてジンときます。これからも自伝準備が続くのが楽しみです(^^)。

記事はこちら↓

〇1回目 自伝準備稿 第3回 「名月赤坂マンション」は今

 ・「名月赤坂マンション」の歌の下敷きになっているのが、国定忠治「名月赤城山」であることが述べられています。

〇2回目 自伝準備稿 第4回 続・「名月赤坂マンション」は今

 ・「名月赤坂マンション」の歌詞の出自として、三橋美智也「お花ちゃん」、三波春夫「東京五輪音頭」、松尾和子&和田弘とマヒナスターズ「お座敷小唄」など具体例があげられ、実際にどこに赤坂マンションがあったのか、赤坂マンションの場所についての推理が展開されています。

 「お座敷小唄」は、「ゴー・ゴー・ナイアガラ」でもかかった昔から好きな歌です。以前、この歌について、追いかけたこともありました。

 「名月赤坂マンション」という曲は、自分も『ナイアガラ・カレンダー'78』の中で大好きな曲で、「歌の下敷き曲」も「東独大使館の位置」も、調べたことがあり、非常に興味深く拝見しました。

・・・ということで、この機会に、自分なりの推理を再度まとめてみました。

 

〇東独大使館を追え!

東独大使館を手掛かりにするという伊藤アキラさんのアプローチは、まったく同じ方法を自分も試したことがあるので、そうそう!と大きくうなづきました。

「向かいにゃ、東独大使館~♪」。ということで、ネットを使い、手がかりとなる東独大使館を探すと、

「東ドイツ大使館」が現在の「ドイツ文化会館」になった

という情報に遭遇します。ドイツ文化会館の住所は「港区赤坂7丁目 5-56」。

伊藤アキラさんは、ネットで大使館について調べた人の情報なども探りながら、

1.ドイツ文化会館の竣工は、1979年(東ドイツ大使館が存在していたころ、時期的に建つわけがない)

2.「ヨーロッパ・ドライブの旅」(伊木俊二著)に「ドイツ民主共和国大使館 東京都港区赤坂 7-5-16 赤坂マンション」と書かれていると調べた人がいる。

3.「向いにゃ東独大使館」という歌詞から、大瀧会社と大使館は同一建物でないハズ。大使館と領事部が分かれており、大瀧会社と領事部のある「名月赤坂マンション」は「赤坂7-5-17(16?)」にあった。この敷地は四方が道路で囲まれていて、大使館はどちらかとされていました。書き方も面白いです(^^)

 

自分の推理。

1.歌詞の最後が「稲荷坂」となっています。この歌詞は"実録"なので、ナイアガラのオフィスをたたむときに、月を見ながら稲荷坂を通ったことがあるということで、赤坂マンションは稲荷坂に面しているのではないか?

→赤坂の近隣に「稲荷坂」を発見!

 

2.地図を見ると、「ドイツ文化会館(現:東京ドイツ文化センター)」と「稲荷坂」は面していないことがわかります(オレンジが稲荷坂)。

→文化会館の建設時期は気にとめていませんでしたが、まず、2つの可能性を考えてみました。

(案1)大使館は文化会館辺りにあり、直接坂には面していない。赤坂マンションだけが、稲荷坂に面していて、マンションから大使館が見えた。

(案2)文化会館とは異なるところに大使館もあった。

(案1)を検討するために稲荷坂から面した建物から会館が見えるのだろうか?考えてみました。上り坂のため、高い建物が建築されていたら見える可能性もあります。ただし、入り組んでいて、古い地図もみましたが、向いとして見えそうなポイントが見当たらない。→やはり文化会館ではなく、別の建物(案2)ではないかと考えました。

 

 3.同時並行で、当時の「東独大使館」の位置についての文献を検索しました。

→大使館が赤坂マンションにあったという、文献を発見することができました!

「ドイツ民主共和国大使館」赤坂7-5-16 赤坂マンション
*出典「区内における外国公館」外務省大臣官房儀典官室発行(昭和53年5月1日現在)港区/デジタル版 港区のあゆみより

東ドイツが「ドイツ民主共和国」って、当時小学校で習っていたっけなぁ、でした。

 

4.赤坂マンションが「赤坂7-5-16」にあったというキーワードを目にして、ふと、あることに思いつきました。

そもそも、この赤坂マンションは、何のために設置されたのか?

それは、仕事のために都内に用意されたオフィスということだと気づきました。わざわざ福生までくるのが大変な人のためのオフィスで、当初は常勤の人がいて、「Go!Go!Niagara」のコピー・サービスもやっていた場所。住所も、ファンに分かるように、ラジオでしゃべったり、広告を出したりしていなかったっけ?ライナーにも載っていたハズだ!

→ナイアガラCMスペシャルのライナーから、ナイアガラ・オフィスの位置を発見!

無事に赤坂7-5-16の202号室だと特定しました(^^)v

(正確には、エンタープライズ内にある"信じられる耳を持つ努力をしよう会"ファンクラブの住所を発見しました)

 

5.住所が「7-5-16」で、東独大使館とピッタリ一致!伊藤アキラさんがたどり着いたのと同じ結果になりましたが、同じ疑問が残ります。大使館と会社が同一住所でいいのか?という疑問です。

 ここからはさらなる推測になります、先の外務省の資料には、大使館の住所が色々と掲載されています。

例えば、イエメン民主人民共和国大使館は「赤坂9-5-26 赤坂ハイツ」、ウルグァイ東方共和国大使館も「赤坂9-5-26 赤坂ハイツ403号室」。つまり、あまり大きな大使館でなければ、マンションの一室が充てられていたと考えられます。

わが国との関係は,73年の国交樹立以来,文化交流が盛んに行われ,75年の貿易額は総額で7,776万ドルであつた。
出典:「昭和51年版わが外交の近況」外務省

 同じ青書によると、西欧との貿易は「日本通関統計で輸出81億3,089万ドル(FOB),輸入43億9,541万ドル(CIF)」とのこと。日本と交流はあるものの、規模的にそれほど大きなものではなかった可能性があり、こうした大使館では、大使をはじめ数人が勤務していて、届いてきた手紙を本国に送付するくらいの事務処理が出来れば、あまり不都合がないものと思われます。ナイアガラの事務所も、そこで「音作り」をするわけではなかったので、202号室で、ファンがダベる場所があったり、電話がおいてあったりする、そういった規模感だったはずです。

ということで、自分の推理は、大滝会社事務所と同一住所だと見えない、”向かいにゃ”の向かいもマンションの1フロアー。つまり、マンションの廊下を挟んだお向かいさん、ということではないか?というものです。

1階に何部屋の貸しスペースがあったのか定かではないですが、例えば4部屋あったとして、

結論! 

東独大使館は「赤坂7-5-16 赤坂マンション 2階、ナイアガラ事務所向かい201号室!」にあった。

 
 一応図解しましたが、月が見えるため、南向きで窓もあると推測しました。坂はクダリなので、隣に高層マンションが建っていない限り月は見えそうです。9月の満月ですと午後6時に月の出、午前5時が月の入りですので、深夜会社の縮小を感じながら、シミジミと月を見るとしたら、午後10時頃でしょうか。「右に見える」なので、他人の家は南西に位置することになります。

(修正)現地にいくと、リキアパートが非常に高い建物でしたので、南に月がでているのを見ることは出来ないようです。月の位置と時間をを訂正します。
月齢カレンダーによると1977年の満月は9月27日。
月の位置計算ソフトを使うと、西南西に月がみえるとしたら、午前三時(宵の頃!)というところだと推定します。




 (修正終了)

 ただし、ここで1つ、気になる点が出てきてしまいました。「右に見える」と言った後、「向かいにゃ」とするには、"振り返らないといけない"のです。そうしないと「後ろにゃ」となってしまうのです。
 
 トルストイは、その作品内で延々と細かい描写を列挙する作風でした。例を挙げると、「"一方の壁"には地図が掛かっていた」と書くと「"別の壁"には下に通じる戸口があって、"一方に"定規が2本かけてあった」と書いて補足を行い、さらに「定規の1つは私たちのもので、もう1つは家庭教師イヴァノーイッチのものだ」など2本の定規の説明までしてしまいます。これにより、あえて感情を書かなくても登場人物の心情を描写しています。
 
 大瀧詠一も、「対」にコダワリます。「右」と書くと必ず「左」が登場するので、「右と左をよく見て渡ろう横断歩道」ですし、「イカした」ことには「タコウエ」がついてまわります。けれども、描写を詳しくすることで、感情を表現したというより言葉遊びの要素が強いのだと思います。また、音で受け手のイマジネーションを強く出る効果があったのだと思います。本人が「東独」が「届く」につながることを意識したと書かれていたので、あとはリスナーに耳で訴えかけるためのごろ合わせなのかなと思っています。つまり、「後ろに届く」は、イマジネーションしづらいので、「向いにゃ~」と歌ったということで、どうでしょうか?
 
 この件は、ゴーゴーナイアガラのリスナーで、実際のナイアガラオフィスを訪ねたことがある人が多くいると思いますので、真実はすぐにでもあきらかになるのではないでしょうか。ぜひ、情報求む!です。
 部屋が北東でも203号室でも、オラ知らねぇ~です(^^)

 

〇たそがれ忠治を追え!

続いては、伊藤アキラさんの指摘( )に加え、2番の自分の推理を< >で書きました

今宵可霧か この室も
可愛いい 社員と 別れの門出 (→国定忠治)
名残り惜しいは お互いさ  (→お花ちゃん)
あの日 ローマで ながめた月も(→東京五輪音頭)
今月今夜の この月も    (→金色夜叉)
あー 
月に変りは ないものを   (→お座敷小唄)

右に見えるは 他人の家
向いにゃ 東独大使館 <→園歌?>
見慣れた 景色とも
おさらば アバヨ <→おさらば東京&縁があったらまた逢おう>
ニッコリ笑って無い袖振れば <→たそがれ忠治>
千切れテープが風に舞う  <→憧れのハワイ航路>
あー  <→港町十三番地>
月も泣いてる 稲荷坂 <→月の法善寺横丁><→あゝ田原坂>

 

 いちおう、それぞれの歌詞の出自の推察などを書いておきます。

右に見えるは 他人の家
向いにゃ 東独大使館

 自分はこの曲では、この2行が一番気に入っています。「他人(ひと)の家」って当たり前ですが、大使館との対比が印象的です。先にも書きましたが、本人は「東独」を歌うときに「届く」と捉えられるかもしれないと意識して歌っていたということ。月に思いが「届く」ということを連想することが出来るようにしていたのかもしれません。

 「大使館の横」と言えば、圓歌。

 珍説となりますが、落語家は900人といる中で、自宅の隣が大使館なのは圓歌だけだと歌之介がネタにしていました(*)。多分、圓歌本人も昔から話していたでしょうし、演芸好きの大滝さんの頭の中にも、大使館が隣にある(=金持ち)ことをネタにしようという考えがあったのかもしれません(珍説どまり)

 *正確に言うと、三遊亭歌之介改め四代目三遊亭圓歌が三代目三遊亭圓歌のことを話していた

 「右に見えるは」調査中デス。

 

見慣れた 景色とも
おさらば アバヨ<おさらば東京>

 自分には、歌詞カードをみるクセが無いので、「おさらばぁ~ヨォ~!」と歌っているとばかり思いこんでいた箇所なのですが、さらっと「ばよ」と追加して言っていますね。

 これは、もちろん三橋美智也「おさらば東京」の「思い出消えるところまで あばよ 東京 おさらばだ」の「あばよ」から来ていて、「あばよ」と「おさらば」をひっくり返した形になっています。

 もしかしたら、1番の歌詞に「お花ちゃん」を使ったので、2番に「おさらば東京」を、とAB面のカップリングを狙ったかもしれません。三橋美智也は「あばよ」という曲も歌っていますが、これらのもとになるのは、三橋美智也「縁があったらまた逢おう」の「あばよさよなら 港の鴎♪」でしょう。橋幸夫「潮来笠」まで続く、マドロスものの流れの曲で、三橋美智也でも初期にヒットした大好きな曲です。

  

 

 また、「名月赤坂マンション」は、イントロがクレイジー・キャッツの「たそがれ忠治」からの頂きで、アレンジがJohnny Nash 「I Can See Clearly Now」だと、大滝詠一本人がこれまでのインタビューで述べています。

たそがれ忠次


 「たそがれ忠治」は、「面倒みたヨ」の恩着せがましい感がチョッと残っていますので、単に「国定忠治も落ち目だねぇ」という、自虐の意味合いが強く出てしまい、ナイアガラの終焉が重くなってしまいます。

Johnny Nash - I Can See Clearly Now

 そこに「I Can See Clearly Now」のアレンジを重ねることで、「雨があがって好転へ向かう」という”思い”を込めているのかもしれません。多額の借金を背負っても、音にはその侘しさを一切出さない強さを感じます。

 このやるせない悲しみをジメッとしたものにしない世界感は、クレージー以上に、先に歌詞であげた「縁があったらまた逢おう」(作詞:矢野亮、作曲:船村徹)や、「おさらば東京」(作詞:横井弘、作曲:中野忠晴)に近いのではないかなと思います。それは曲調もさることながら、三橋美智也のサッパリとした歌声に起因するところも多いと思います。

 ナイアガラカレンダーでは、「月」をテーマにしたモチーフでしたが、「太陽」だったら「赤い夕陽の故郷」のような、もっと中野忠晴色が濃いスケールが大きい作品にしあがったのかもしれません。

 脱線しますが、借金と歌と言えば、「熱き心に」が小林旭の借金を返すのに役立ったということも思い起こしてしまいます。大滝詠一「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」は、三橋美智也の「おさげと花と地蔵さんと」の「あれから三年 もう三月」、村田英雄「王将」の「あの手この手の 思案を胸に」、村田英雄(徳山璉かも)「侍ニッポン」の「きのう勤皇 あしたは佐幕」など、歌謡曲の歌詞がてんこ盛りで、アーティスト名は大滝詠一と「昔の名前で出て」きて、「赤坂」の仇を「信濃町」で返しています。

 

ニッコリ笑って無い袖振れば<→たそがれ忠治>
千切れテープが風に舞う <→憧れのハワイ航路>
あー<→港町十三番地> 

 美空ひばり「港町十三番地」の「涙こらえて 乾杯すれば 窓で泣いてる 三日月様よ」や、

岡晴夫の「憧れのハワイ航路」の「別れテープを 笑顔で切れば」の要素があると思います。

 全般的には、先にあげたクレイジーキャッツ「たそがれ忠治」の「風のまにまに流れる雲を 見れば身にしむ胸にしむ」と同じ型なのかなと思います。

 ここでウマいのは、連絡船の出港で使われる「紙テープ」と「録音テープ」を掛詞としたことでしょう。実際に録音用のテープがおいてあるのはFUSSA45スタジオなので、赤坂マンションにはテープはなかったのでしょうけれども、武士は食わねど高楊枝の精神ながらも、テープが風に舞っていく様子を印象的に描き、捲土重来を期していることもヒシヒシと伝わってきます。何度も登場する三橋美智也「縁があったらまた逢おう」の3番の歌詞は「どうせつなげぬ ちぎれたテープ 未練残さず 波間に棄てて 別れ汽笛を 思い切りよく 鳴らしておくれ」です。

 また脱線しますが、「スピーチ・バルーン」は元々、「別れのコラージュ」という題名にするかもしれなかったと聞いています。この曲は「暗い海へのパッシング」が印象的ですが、「投げたテープが絡まる」別れと「千切れたテープが舞う」別れ、いずれも切ないもので、ロンバケ作成の時に松本隆に「別れの紙テープ」をモチーフに書いてくれと頼んでいたとしたら、面白いなぁと妄想しました。

 

あー<→港町十三番地>

 「あ」から始まる曲の流れは、伊藤アキラさん作詞の「サイダー」(通称:あなジン)や、大滝詠一「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」の「アツアツふたりは恋人さ」などありますが、歌謡曲の王道は途中に「あー」が出て来る“あゝ歌謡曲”(←今名付けた)の系譜があげられることでしょう。

  例えば、新川二朗「東京の灯よいつまでも」には「ああ 東京の灯よいつまでも」と使われていますし、三橋美智也「あゝ田原坂」でも 「あゝ散るが花かよ 田原(たばる)坂」と使われています。特に、美空ひばりの「港町十三番地」の「あぁ」は、「涙こらえて 乾杯すれば 窓で泣いてる 三日月様よ」のあとに「ああ 港町 十三番地」となっていることから形式としては一番近いように思います。こうした“あゝ歌謡曲”は岡晴夫の「ああ 憧れのハワイ航路」から、連綿と続いていると感じます。曲によって、影響の強弱があっても、「あー」を入れた曲作りをしたことで、重層的にいくつもの“あゝ歌謡曲”を思い浮かべることができるようになったのだと思います。

 

月も泣いてる<→月の法善寺横丁>
稲荷坂<→あゝ田原坂>

 藤島桓夫「月の法善寺横丁」にある「月も未練な十三夜」から「月も」がきているのではないかなと思います。「月の法善寺横丁」も「ああ 若い二人の 想い出にじむ 法善寺 月も未練な 十三夜」と、“あゝ歌謡曲”です。

 「名月赤坂マンション」には、元々セリフを入れることも検討したけれど、布谷さんの「アミーゴ~!」を入れることで作品がよくなった、ということを大滝さんはコメントでいっていたハズですが、まさにそのとおり。セリフが入る有名曲「月の法善寺横丁」の1フレーズ(月も)をいれて来たるべきアミーゴを予告した上で、布谷文夫の「アミーゴ~!」が爆発する、“あみ~ご歌謡曲”です。

 坂のほうは、「九段の母」二葉百合子でも最後に「九段坂」が登場しますが、どちらかというと、これまた“あゝ歌謡曲”構造から、三橋美智也「あゝ田原坂」がモチーフかなと思っています。作詞:高橋掬太郎、作曲:山口俊郎の雰囲気ある作品です。山口俊郎は、「福生よいとこ」の作者でもあります。

 

 歌謡曲には、東京を出てきて、なかなかうまくいかず、故郷を思う思いなどを「月」を題材としてとりあげる作品が色々とあります。

 例えば、山中ひろし「夢ば見ていた東京さ来たが」(♪話す相手もお月様~)、三波春夫「チャンチキおけさ」(♪月がわびしい路地裏の~)、藤島桓夫「お月さん今晩は」(♪リンゴ畑の お月さん今晩は)、高田浩吉「名月佐太郎笠」(♪月も今夜はひとり旅))

 こうした「月」の物語だけに縛られることなく、あれこれアイディアを思いめぐらせる(伊藤アキラさんは「大瀧さんの脳内に沈殿していた日本の芸能遺産を縦横無尽に使い倒し」たとした)作風は、布谷文夫の「深南部牛追唄」から「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」まで変わっておらず、「名月赤坂マンション」は、いかにも大滝さんらしい作品だったんだなぁと再度、思いかえすよいきっかけとなりました。

 ナイアガラの作品は、星菫派ではなく、「霧に覆われた」ぐらいがちょうどよく、ピカピカの満月はあまり似合わないように思いますが、「夜来香」ではないですが、今年の中秋の名月には「つきぬ思い出」を胸にしながら、都の空を照らす月に思いを馳せてみるのも悪くないかなと思っています。

 

 


俺とletのスペシャルな関係

2019-03-30 23:45:13 | GO! GO! NIAGARA
ジョニー・リヴァース「Midnight Special」
Let the Midnight Special, shine its a ever-lovin' light on me.
 
「NIAGARA CM SPECIAL Theme」は10秒でも印象的な曲。歌詞が同じということは分かっていたが、久し振りに聞いて、ジョニー・リヴァースがやりたかったんだなと改めて気づいた。
 
1つめの気づき
ジョニーのアルバム『Here We à Go Go Again!』は、「Go! Go! Niagara」と語呂としても関連が強いなぁ!

2つめの気づき
「NIAGARA CM SPECIAL Theme」
この20年間「オレとNiagara CM Special! shine its a ever lovin' light on me.」
だとばっかり、思っていたが、もしかして、俺とでなくLetと発言していた!?
 

「 Let The Good Times Roll」
だったり、LETものを重点的に当たらなければならないかも。
Let it Beではないことはわかるけど、色々ありそうで
”天竺”は通そう。
 
Fats Domino - Let the Four Winds Blow
 
一番気になっているのは、最初のピアノの低音から高音縦走。あれはだれ?
 
 

まことの恋

2018-12-19 04:55:17 | EACH TIME
「幸せな結末」は発売前にはじめてリアルタイムで聞いた本人歌唱曲。
これまでエヴァリーズの込められた思いについては推測してきた。

「True love never runs smooth」がドラマのモチーフということで、
可能性としてBuddy Holly"True Love Ways"も盛り込みは頭にあったが
弦アレンジに加え、ドラムが派手なところで、この曲も要素に
入っているかも、です。

全ての答え(The Answer To Everything)は音の中。

Nancy Sinatra ‎「True Love」