とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
アンテナを張る
「気付いた時が目覚めの時
~目覚まし時計のベルを鳴らそう~」
--いつも何かを感じとるために、敏感でありたいものだ--
この句は、近隣の寺院の玄関に掲げられていたものです。昨日、この寺で葬儀があり、お手伝いをしてきました。この寺の93歳のおばあちゃんが亡くなられたのです。先代の住職が亡くなられた後、現住職とともに寺を支えて約30年ということです。
この寺の現住職は、私より少し先輩で宗派も違うのですが、仏教会の仕事を共に担当し日頃お世話になっています。この方は、北陸の在家の出身で、縁によって16歳の時にこの寺に養子として迎えられ、義理の親子の関係として学業に励む傍ら寺の修行をして今日に至っています。知らない地に若くして一人でやってきての寺の生活は、さぞつらいものであったと想います。この義理のお母様がどれほど、気遣いされたかも想像できます。
日頃、このおばあちゃんを大切にされていたのが印象的です。おばあちゃんは編み物が得意で、働き者だったそうです。「できることをできるうちに」の精神で探究心も旺盛で、80歳を過ぎても地域の歴史の会に所属し、古文書を読む会の活動もされていたようです。
義理の子の住職も、その奥様も、二人の女のお孫さんも、血こそつながっていなくても絆は強い。普段は自分のことには構わなくていいからというおばあちゃんだったそうですが、病状が悪化して入院してからは、毎日、家族の誰でもいいから来てねー、と甘えていたそうです。
この度、葬儀は質素に身内だけでという遺志があったようですが、檀家総代さん方の意向により、住職と同じ働きをしていただいたので是非、檀信徒葬としたいとの希望により盛大に行われました。
出棺の挨拶で住職は、「地域の方々に慕われ、皆様の手によって見送っていただけたことを嬉しく思います」と述べられました。
このご住職、日常の生活の中で、常に気配りをされ、そして研究心旺盛です。歩く仏教辞典とも仲間から称されるように博識で、常に感じた事、知り得たことをメモすることに余念がありません。
冒頭の句は、そんな住職の気配りから、玄関に張り出されたことばの中の一つですが、正にここの住職の日常底そのものです。
--いつも何かを感じとるために、敏感でありたいものだ--
このご住職のように、常に敏感に感じ取る感性のアンテナを張っていたいものだと思いました。
出棺に際して、車に乗るまでいろいろな方に丁寧に挨拶をされて、霊柩車の助手席に乗った住職に、挨拶をしようとして窓に向かったところで、思わず足を止めた。それまで涙も見せず気丈に式の進行を気遣っていた住職が、顔を伏せて肩を震わせていた。つらい別れなのだということを改めて感じました。
~目覚まし時計のベルを鳴らそう~」
--いつも何かを感じとるために、敏感でありたいものだ--
この句は、近隣の寺院の玄関に掲げられていたものです。昨日、この寺で葬儀があり、お手伝いをしてきました。この寺の93歳のおばあちゃんが亡くなられたのです。先代の住職が亡くなられた後、現住職とともに寺を支えて約30年ということです。
この寺の現住職は、私より少し先輩で宗派も違うのですが、仏教会の仕事を共に担当し日頃お世話になっています。この方は、北陸の在家の出身で、縁によって16歳の時にこの寺に養子として迎えられ、義理の親子の関係として学業に励む傍ら寺の修行をして今日に至っています。知らない地に若くして一人でやってきての寺の生活は、さぞつらいものであったと想います。この義理のお母様がどれほど、気遣いされたかも想像できます。
日頃、このおばあちゃんを大切にされていたのが印象的です。おばあちゃんは編み物が得意で、働き者だったそうです。「できることをできるうちに」の精神で探究心も旺盛で、80歳を過ぎても地域の歴史の会に所属し、古文書を読む会の活動もされていたようです。
義理の子の住職も、その奥様も、二人の女のお孫さんも、血こそつながっていなくても絆は強い。普段は自分のことには構わなくていいからというおばあちゃんだったそうですが、病状が悪化して入院してからは、毎日、家族の誰でもいいから来てねー、と甘えていたそうです。
この度、葬儀は質素に身内だけでという遺志があったようですが、檀家総代さん方の意向により、住職と同じ働きをしていただいたので是非、檀信徒葬としたいとの希望により盛大に行われました。
出棺の挨拶で住職は、「地域の方々に慕われ、皆様の手によって見送っていただけたことを嬉しく思います」と述べられました。
このご住職、日常の生活の中で、常に気配りをされ、そして研究心旺盛です。歩く仏教辞典とも仲間から称されるように博識で、常に感じた事、知り得たことをメモすることに余念がありません。
冒頭の句は、そんな住職の気配りから、玄関に張り出されたことばの中の一つですが、正にここの住職の日常底そのものです。
--いつも何かを感じとるために、敏感でありたいものだ--
このご住職のように、常に敏感に感じ取る感性のアンテナを張っていたいものだと思いました。
出棺に際して、車に乗るまでいろいろな方に丁寧に挨拶をされて、霊柩車の助手席に乗った住職に、挨拶をしようとして窓に向かったところで、思わず足を止めた。それまで涙も見せず気丈に式の進行を気遣っていた住職が、顔を伏せて肩を震わせていた。つらい別れなのだということを改めて感じました。
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我々も、油断していますとすぐに、様々な情報に対して、独り決めして分かった気になってしまいます。そこにどれほどに新しいことが含まれているかも検証せずに。そして、感性を鈍らせてしまいます。
その意味では、ご紹介いただいたこの住職さんという方、とても好奇心・向学心がお強い方なのでしょう。
拙僧つらつら鑑みるに、たまに「若い人は良い」などと歎息交じりでいう方がおります。それこそ、一般の方に限らず、お坊さんでも同様であります。
もちろん、年を重ねるにしたがって、徐々に身体の調子が悪くなって、好きなことが出来なくなったという意味での歎息もあるでしょうけれども、一方で世界が常に同じようにしか見えない退屈さが起こさせる歎息もあるような気もします。
前者は仕方ないところがありますが、後者は、常日頃感性豊かにしておけば、まずありえないことであり、かつて養老孟司氏は世界がつまらないのは、世界が悪いんじゃなくてつまらないと感じている者が悪いと述べていたことがあります。まさに、その通りであり、今回ご紹介いただいた住職さんという方、どこまでも楽しい人生になるのではないかと拝察いたします。
情報はあふれ、簡単に得る事ができますが、世論や価値基準はいっぺんとうで、よく出るコメンテーターの意見に流されたり、いわゆる養老孟司氏のおっしゃるつまらない感じ方しかできない人が多いのだと思います。
紹介させていただいたご住職は密教系の修行生活(永平寺でいうと「閣行」)を3年もされ、管長様の信頼も厚かったようです。ご想像のように、常に温厚で記憶力がよく、聞き上手で考え方が前向きです。勉強になります。