とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
新しい墓地
近くにOPENした、Y市営の墓地です。
ここは、大きな遊園地のあった跡地です。一部は、大学のキャンパスになり、もう一つが野球場と公園、そして、最も広い敷地は市営墓地となりました。周りはマンションの住宅街のため、住民の賛同が得られ易い静かな環境の土地利用となったのでしょう。
そして、お墓もほとんどが芝生墓地で限りなく自然重視の制約が盛り込まれています。
形式は、一般個別型芝生墓地(7,500区画)と、樹木葬(3,000体)と地下合同型納骨墓(12,000体)の三種類。一般個別型芝生墓地は、永年型と30年契約型に分かれています。
A~Fが芝生墓地。中央が合祀墓。
C・Dエリアの中に樹木葬スペースがある。
芝生墓地といっても、墓石の建立は出来ず、小さなプレートのみ。お線香など火気厳禁、お花は小さな数本の花のみOK。卒塔婆も立てられません。野位牌、供養物はその場で持ち帰りですが、このあたりは多くの霊園がそうなっていますね。
墓石とプレートの見本。右下の穴が花入れスペースです。花入れには、ステンレス製の器がついていますが、盗まれるので各自で保管するのだそうです。飾ってすぐはずすというのも何だか?・・・。プレートは金属、石など各種、文字も各種選べます。プレート代は5~6万。戒名・命日などの記入は6体まで。
納骨が開始されて一週間ほどになりましたが、担当の管理会社さんの係りの人に聞きましたら、中にはお線香がだめならせめてお焼香をと・・・・、香炉を持ち込むお坊さんもいられるようで、その辺は黙認しているとのことでした。供養用の花も、休憩所でアレンジメントのような小プランターの盛花を売っていて、後で業者さんが片付けてくれるとか。
この下が合祀の地下納骨施設。円形の板の上を水が流れています。前に献花場所が設けられています。
中央の木は、樹木葬のシンボルとなる葬木です。この土の中に納骨するのだそうです。
墓の隣(左奥)の野球場は工事中です。かなり本格的です。右後方には、かつての遊園地のシンボルでもあった22階の塔が改装され、大学の図書館・研究室として始動しています。
新しい墓地の形が、また新たに始まりました。コンパクトでリーズナブルで、シンプル。経済的負担も少ない。建物は、簡単な休憩室と事務処理の空間があるのみで、宗教的儀礼を行う施設は無い。省こうと思えば限りなく宗教儀礼は皆無になるのであろうか。
休憩所&事務所
何千とも言われる区画に希望が殺到し、契約の権利を得るのには、高倍率の抽選が待っているそうです。確かに綺麗で落ち着いた空間ではある。
反面、抽選に当たった人の中にも、小さすぎて、何も建てられないことなどで、決断しかねて、当寺などに相談されるケースも多くあります。特に年配の方は、踏み切れない人が多くいられるのも事実です。
さて、お墓事情、どうなっていくのでしょう。新しい形態が、各地で始まりつつあることは確かです。。。そして、お墓を、宗教を、宗教的儀礼を、どのように考え、どのような形式が望ましいのか、寺にとっても大きな課題ですね。
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そうですか、あのY・Rが公園・墓地等でよみがえりましたか。写真で拝見する限りでは、立派なものに見えますが、個々の敷地や墓標が小さいという面もあるのですねぇ。都会に近い場所でリーズナブルというと、そのようにならざるを得ないのでしょうね。拙寺の新墓地は全面に墓石が建つのは来世紀になるのでは、と、いった様相です。
宗教儀礼、布教師会で指針でも作成されないものでしょうか?宗務当局任せにしていても、他方でかなりお急がしそうですし・・・。ここは一番、総研の出番・・・・ですかねぇ?!
明日は上京致しますが、とんぼ返りです。トホホ
こちらでは、小面積墓が必須になってきました。拙寺のオカカロート区画も増設することになりました。
ハードは進むれど、ソフト面の教化方針が重要ですね。貴事業部での活動、期待しております。
重ねてのこちらへのお出まし、ご苦労様です。ご自愛のほどを。。。至らぬ当方の徒弟の指導もヨロシク。。。
墓石に水をかけ、花とお水と線香を供えてご先祖様に手を合わせる。
日本の良き風習が消えてしまうようで寂しく思います。
質問ですが、亡き人の遺骨を土に帰すのはいつ頃が適切なのでしょうか?
叔母は息子の遺骨を33回忌に土に帰しました。
従姉妹は伯父の遺骨を納骨と同時に49日を待たずに、35日で土に帰しました。
もうひとつ、昨年私たちも田舎に墓を作ったのですが、納骨場所がコンクリートになっておりました。父が10年前に建てた墓もそうです。
妹の嫁ぎ先が石材店ですので、土のままにして下さいとも言えず、任せきりにしてしまいました。
誰にでも必ず訪れる事、気になったので教えて下さい。
いつも質問ばかりですみません。
ほんとうに新型墓地にはいろいろ考えさせられます。
もともと、日本古来の墓石は、インド・中国と伝わった仏舎利塔、五輪塔、卒塔婆などに由来しています。ですので、西洋型のメモリアルとしての墓標とは違ったものですが、景観、コスト、面積・・・などを考慮して、安易に移行してしまっているように思います。
さて、埋骨のご質問ですが、「土に帰す」というのは、骨壷からご遺骨のみを直接土に埋骨するという意味でしょうか。
もともと、土に還すという意味は、土葬の場合は、葬儀の日が埋葬日ですし、そのまま土に帰っていきますが、49日くらいに骨になったと考えてきた訳です。
火葬の場合には、すでに骨となる訳ですから、この時点でかなり「かえした」という性格を帯びているわけです。お釈迦様の仏舎利も土に直接埋骨するという考えは無かったように思います。
しかし、土葬との関連から、火葬している現在では49日くらいを目安に納骨をするのが一般的です。それは、中陰を経て仏に旅立つ日と考えられてきたからでもあります。
地域によっては、土葬の時の風習を踏襲して葬儀の日に納骨することもあります。
あとは、骨壷で納骨したままにしないで、直接、土に埋骨すべきなのか、そうだとするといつ頃が適当なのか?ということかと思うのですが・・・。
これは決まりはないと思われます。土葬の流れからすると、「早く土に還してあげる」という思いは生じますが、荼毘して、墓に納骨した時点で「土にかえした」と考えることもできる訳です。実際に土のない墓、納骨堂などでは無理ですし、骨壷のままの納骨でも良いわけです。
しかし、先ほどの土葬の慣習(日本では、古来より自然に還る習性が強かった)から、なるべく直に土に埋骨する願いというのはあるわけです。実際に地方によっては、骨壷を使わないで直接埋骨する慣習のところもあります。一旦、壺で納骨しても、33回忌を目途に埋骨し直すこともあります。それは、33回忌で完全に仏になったと考えて、以降の供養を先祖代々としてまとめて考えたことに因るようです。また、カロートの中に沢山の骨壷が入らないので、蒔かざるを得ないという理由もあります。沢山になった時点で、順に蒔いていくという考えが通例です。
いずれにしても決まりはありませんので、供養するご遺族の心情で納得できるようにされると良いと思います。
また、納骨する墓がコンクリートということですが、確かに形状は様々な墓があると思われます。水が入り易いところでは、そのようにコンクリートにすることも多いようです。けれども、普通は、先ほどの「土に還す信仰」というのも根強いので、どこかに土とつながっている水抜きという穴があいているはずです。そして、その上に小石等が敷いてあり、一見、土が無いように見えるものです。
気になるようでしたら、直接聞いてみられたらどうでしょう。可能でしたら、そのような穴を開けていただくだけでも「土にかえる」という精神は反映できるかも知れません。大切なことは、ご親族の皆様の心が一つになって、温かな気持ちでお参りいただけることかと思います。
とりとめない回答で申し訳ありません。
元々土葬であったので、骨壷から出して土に帰すのは決まりがないという事ですよね!
土葬という歴史を忘れていました。
ありがとうございました。m(__)m