とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
熊野仏蹟参拝②補陀洛山寺
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
那智勝浦の海岸前にある補陀洛山寺が世界遺産に登録されました。おそらく世界一小規模な遺産登録かも知れません。境内は狭く、近年に再建されたお堂も大きくありません。仏像は、準国宝級と言われる国の重要文化財の本尊千手十一面観音像が一つ。なぜ、登録されたのか?
それは、無形の文化財ともいえる、渡海船にあったのです。「補陀洛(ふだらく)」とは、浄土を意味する言葉だそうで、この寺の住職は平安時代からの風習で、海のかなたにあると思われていた浄土に舟で旅立ったのです。これを「補陀洛渡海(ふだらくとかい)」と言い、この時に使う舟を「渡海船」と呼んで、境内に復元の原寸大の模型が置かれてありました。平安時代から江戸時代まで、合計25回の渡海が行われたそうです。そのうち、20回目までは生きたまま舟で旅立ったそうで、後の5回は、死後に舟で送ったそうです。20回目の「金光坊」という方は、一度旅立ったところ海流の関係で浜に戻され寺に戻ろうと思ったところ、村人に懇願され再び舟に乗せられ、浄土の海に旅立ったとされています。生きながらに村人の往生安楽を背負って旅立った歴代のご上人方による補陀洛渡海信仰が、世界遺産登録の理由にあげられたのです。
上が渡海船の復元、右の写真は、舟の後ろを拡大して撮影したもの。人がやっと入れる口があって、入った後は、外から閉じられるそうなのです。前後左右に鳥居が付いているところに、熊野信仰の地らしさが見受けられます。舟には下のような「南無阿弥陀仏」と書いた幡の帆をつけたのだそうです。
境内には、渡海した歴代の住職の石碑が刻まれています。金光坊という名も刻まれていました。
この渡海船の意味はよくわかっていない部分もあるということですが、究極の捨身行とも言われていますが、私なりには当時の境涯を極めた僧が選んだ尊厳死であったのではないのかな、と思っています。すごいことですね。
今回の旅で、最も衝撃的で、印象の深かったことでした。
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ふだらくや きしうつなみは みくまのの♪
よく詠っておりますがいったことがありません。
先般、日本の補陀落山に先んじて、中国の普陀山に行ってきましたので、
いつかは日本の第一番観音霊場にも行ってみたいと思っています。
中国の普陀山にいかれたのですか。普陀洛信仰って盛んだったようですね。