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応量器(おうりょうき)④

またまた続きものです。もともと禅堂の食事は坐っていますので、サポートしてくれる人が付き、何人かで全体のサービスをするのです。この係を「浄人(じょうにん)」と呼びます。

写真は、器を洗うためのお湯を注いでいるところ。浄人を務めていただいているのはMさんです。もらう人は、右手に持ったもので、少し上にあげて合図して、自分の欲しい量でストップをかけます。合図がないとあふれてしまいます。「応量」というのは、一事が万事すべてこういう意味で、いらないものはもらわない、もらったものは責任を持って無駄にしない、そういう意味があるようです。

このお湯を使って順次、器に移し変えて綺麗にしていきます。飲んでもいいのですが、せっすい桶というのに一部を返して、他の植物にかけてあげたりします。ご飯の一部も残しておいて、小鳥などにあげたりすることもしています。これを「生飯(さば)」と呼んでいます。

これらのことは、私達も普通の寺ではなかなかできませんが、貴重な食文化だと思います。
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コメント
 
 
 
Unknown (kenryu)
2005-07-03 06:24:52
明日の京都は朝から電車で出かけます。一休寺の近くと、JR京都駅近くで檀務をこなして会場入りする予定です。青森のT師はE寺で子息に面会してから、京都に向かうと連絡が。山形のT師も参加すると連絡がありました。お盆の間隙をぬっての集合、お互い道中は気を付けてまいりましょう。ところで、午後7時開始って、少々遅いような気もしますが・・・ 賢
 
 
 
日々是勉強です (某子)
2005-07-03 10:07:39
>「応量」というのは、一事が万事すべてこういう意味で、いらないものはもらわない、もらったものは責任を持って無駄にしない、そういう意味があるようです。



「応量」にはそんな意味があったのですね。

考えたこともなかったです。

また勉強させていただきました。

 
 
 
無駄使い (tera)
2005-07-04 07:02:45
実際には私も無駄使いばかりで、日常のいろいろの意味を振り返る度に反省させられます。



禅の作法は、一つひとつが合理的といいますが、理に適っていて、省エネといいましょうか、行動や言葉も無駄なしに洗練されてきた文化のような気がします。



・・・書いていても冷や汗が出そうです。
 
 
 
→京都で (tera)
2005-07-04 07:09:28
賢隆兄、それでは京都で。。

それにしても、転んでもタダ起きしない真骨頂。檀務二件付きですか。恐れ入ります。



今年は、地理的に集まり易く、多くなりそうですね。
 
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