とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
応量器(おうりょうき)④
またまた続きものです。もともと禅堂の食事は坐っていますので、サポートしてくれる人が付き、何人かで全体のサービスをするのです。この係を「浄人(じょうにん)」と呼びます。
写真は、器を洗うためのお湯を注いでいるところ。浄人を務めていただいているのはMさんです。もらう人は、右手に持ったもので、少し上にあげて合図して、自分の欲しい量でストップをかけます。合図がないとあふれてしまいます。「応量」というのは、一事が万事すべてこういう意味で、いらないものはもらわない、もらったものは責任を持って無駄にしない、そういう意味があるようです。
このお湯を使って順次、器に移し変えて綺麗にしていきます。飲んでもいいのですが、せっすい桶というのに一部を返して、他の植物にかけてあげたりします。ご飯の一部も残しておいて、小鳥などにあげたりすることもしています。これを「生飯(さば)」と呼んでいます。
これらのことは、私達も普通の寺ではなかなかできませんが、貴重な食文化だと思います。
写真は、器を洗うためのお湯を注いでいるところ。浄人を務めていただいているのはMさんです。もらう人は、右手に持ったもので、少し上にあげて合図して、自分の欲しい量でストップをかけます。合図がないとあふれてしまいます。「応量」というのは、一事が万事すべてこういう意味で、いらないものはもらわない、もらったものは責任を持って無駄にしない、そういう意味があるようです。
このお湯を使って順次、器に移し変えて綺麗にしていきます。飲んでもいいのですが、せっすい桶というのに一部を返して、他の植物にかけてあげたりします。ご飯の一部も残しておいて、小鳥などにあげたりすることもしています。これを「生飯(さば)」と呼んでいます。
これらのことは、私達も普通の寺ではなかなかできませんが、貴重な食文化だと思います。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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「応量」にはそんな意味があったのですね。
考えたこともなかったです。
また勉強させていただきました。
禅の作法は、一つひとつが合理的といいますが、理に適っていて、省エネといいましょうか、行動や言葉も無駄なしに洗練されてきた文化のような気がします。
・・・書いていても冷や汗が出そうです。
それにしても、転んでもタダ起きしない真骨頂。檀務二件付きですか。恐れ入ります。
今年は、地理的に集まり易く、多くなりそうですね。