とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
縦割り遠足
たまに乗った電車で出会った光景。小学校の全校遠足の一団でした。
最寄り駅で乗ったときは、車両に数人しかいない電車でしたが、隣の駅に着くとなにやら騒がしい。近所のI小学校の全校遠足らしい。4駅先で降りて大池公園という公園まで行くらしい。
電車に乗るや、バタバタと駆け出して席を確保しようとする子がいた。すると、
「ダメダメ、電車の中をかけちゃぁ」
と注意する声。先生かな?と思って見ると、大きなお姉さん、6年生らしい。乗ってからもみんなの面倒を見て、小さい子たちをみんな座らせて自分は立って、何やらファイルを見てグループの子達のチェックをしているようだ。私の隣には男の子の集団が陣取り、賑やかに騒いでいる。中には窓の方を向いて座りだす子もいる。見かねたようにグループ担当と思われる先生が注意をする。
「周りをごらんなさい、他のお客さんの迷惑がかからないように静かにしなさい」
との声で、みんなきちんと座りなおし、静かになった。
しばらく様子をながめていると、もう一人、6年生らしき日焼けした男の子が、グループの面倒を見ている。そして、時折、先ほどの女の子と話を交わしている。どうやらどちらかがリーダーでどちらかがサブリーダーなのだろう。
降りる駅が近づくと、男の子のリーダーは、楽しそうにはしゃいでいる低学年の子達の頭に手をふれて、
「次、降りるよ」
とふれて回っていた。どうやら一つのグループは15人ほど、1年生から6年生までの縦割り集団のようである。
10分くらいの間であったが、久しぶりに遠足の風景を見た。十数年前までは、正にこのような場面で引率する立場にあったので、なつかしさいっぱい。当時から、他学年交流としてのこのような縦割りの活動が教育現場で取り入れられていた。優しさ、責任感、自主性・自立心、感謝の気持ち、いたわりの心、公共心・・・などなど、沢山の利点があるが、見守る指導側も大変。
駅に着いてホームに降りた姿を、私は電車の中から見ていた。あの二人の大きな子たちが、ホームに並ばせて人数確認をしていた。
ああいう子たちがいると、先生は助かるなぁ・・・。
あの子達は、家庭でも、近所でも、活躍しているのだろうなぁ・・・。
そして、小さい子たちもやがてああいう高学年にと成長するのだろう・・・。
と、考えながら、最近多発する子供の悲しい事件に心を痛めていた。ああいう子たちをもし失ったら、家族はもとより社会にとっての大きな損失でもある。わが子を親が大切に育てることはもとより、社会の財産として他人の子も、みんなで大切に育てたいものだと思った。
最寄り駅で乗ったときは、車両に数人しかいない電車でしたが、隣の駅に着くとなにやら騒がしい。近所のI小学校の全校遠足らしい。4駅先で降りて大池公園という公園まで行くらしい。
電車に乗るや、バタバタと駆け出して席を確保しようとする子がいた。すると、
「ダメダメ、電車の中をかけちゃぁ」
と注意する声。先生かな?と思って見ると、大きなお姉さん、6年生らしい。乗ってからもみんなの面倒を見て、小さい子たちをみんな座らせて自分は立って、何やらファイルを見てグループの子達のチェックをしているようだ。私の隣には男の子の集団が陣取り、賑やかに騒いでいる。中には窓の方を向いて座りだす子もいる。見かねたようにグループ担当と思われる先生が注意をする。
「周りをごらんなさい、他のお客さんの迷惑がかからないように静かにしなさい」
との声で、みんなきちんと座りなおし、静かになった。
しばらく様子をながめていると、もう一人、6年生らしき日焼けした男の子が、グループの面倒を見ている。そして、時折、先ほどの女の子と話を交わしている。どうやらどちらかがリーダーでどちらかがサブリーダーなのだろう。
降りる駅が近づくと、男の子のリーダーは、楽しそうにはしゃいでいる低学年の子達の頭に手をふれて、
「次、降りるよ」
とふれて回っていた。どうやら一つのグループは15人ほど、1年生から6年生までの縦割り集団のようである。
10分くらいの間であったが、久しぶりに遠足の風景を見た。十数年前までは、正にこのような場面で引率する立場にあったので、なつかしさいっぱい。当時から、他学年交流としてのこのような縦割りの活動が教育現場で取り入れられていた。優しさ、責任感、自主性・自立心、感謝の気持ち、いたわりの心、公共心・・・などなど、沢山の利点があるが、見守る指導側も大変。
駅に着いてホームに降りた姿を、私は電車の中から見ていた。あの二人の大きな子たちが、ホームに並ばせて人数確認をしていた。
ああいう子たちがいると、先生は助かるなぁ・・・。
あの子達は、家庭でも、近所でも、活躍しているのだろうなぁ・・・。
そして、小さい子たちもやがてああいう高学年にと成長するのだろう・・・。
と、考えながら、最近多発する子供の悲しい事件に心を痛めていた。ああいう子たちをもし失ったら、家族はもとより社会にとっての大きな損失でもある。わが子を親が大切に育てることはもとより、社会の財産として他人の子も、みんなで大切に育てたいものだと思った。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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遠くから見ていてもわかりました。
わたしたちのところでも、低学年は廊下で立ち止まって先輩達に挨拶するという風習が残っており、入学当初はドキドキして夢にまでみたものです。
しかし先生達はもっと怖かったなぁ。
あの時期のことって、離れて数十年経つのにカラーで思い出します。
子供の頃の思い出は、特別な色合いがあるのだと思います。久しぶりに、遠足風景、懐かしかったです。時には、中高生からは生意気に思われる高学年ですが、子供らしさが同居して、独特の成長過程にあるデリケートな時期でもありますね。
私も教員当時を振り返ると、反省しきりです。
→中央林間→湘南台(東口)です。