とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
道元「禅」の言葉
昨日から、道元禅師の生涯を描いた映画「禅・ZEN」が公開されました。評判はどうなのでしょう。映画のみならず、書店には道元禅師に関する書が多数並んでいます。中でも昨年秋に発刊された三笠書房、知的生き方文庫の『道元「禅」の言葉』は、道元思想に学ぶ手ごろな書と言えます。
値段が571円とまさにお手ごろ、文庫本サイズで持ち運びに便利。道元禅師の言葉を一つにつき見開きで完結させるというコンパクトなもの。電車の中で読むのに最適。しかも、難しい語句の解説ではなく、現代的にどう活かせるかという視点で、判り易く説いている。私が日頃、こういう説き方が出来るといいなぁと思っていた画期的なもの。先を越されてしまった感がしました(笑)。
ただし、解釈が伝統的な宗門の捉え方とは少し違い、臨済禅といいましょうか、本覚思想・実存主義的傾向が強いといいましょうか、道元禅師の意図とは多少ニアンスが違うように思いますが、ご専門の諸師方はどのようにお考えでいられるのでしょうか。
さて、この本の著者、境野勝悟氏の組み立てに従って一部を紹介いたします。
道元禅師の言葉(著書の中のワンフレーズ)を100箇所取り出し、現代に大切だと思われる境野氏の立てた四分類に分けて解説しています。4分類と、取り上げられた語句の一部を紹介します。赤字は、分類し易いように私(tera)が付加したものです。
A.少し見方を変えるだけで、本当に大事なものに気づく(30語)「発心」
「仏道をならふというは自己をならふなり」正法眼蔵現成公案
「仏祖の鼻孔をかりて出気せしむ」正法眼蔵身心学道
「人物身心の無常なるこれ仏性なり」正法眼蔵仏性
B.捨てた分だけ楽になり、悩みから自由になる(30語)「只管」
「自己をならふというは自己を忘るるなり」正法眼蔵現成公案
「不思量にて学道す」正法眼蔵身心学道
「思量分別は心不可得なり」正法眼蔵心不可得
C.ゆっくり、じっくり、自分のペースを保つと、自分の中から自信が生まれる(20語)「妙修」
「自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり」正法眼蔵現成公案
「山水にかくれたる声色あり」正法眼蔵渓声山色
「生というは、人の船に乗れるときのごとし」正法眼蔵全機
D.生き方を考えると、迷いや悩みがすっと消える(20語)「脱落」
「万法に証せらるるといふは自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるものなり」」正法眼蔵現成公案
「光明というは人々なり」正法眼蔵光明
「自未得度先度他の心」正法眼蔵発菩提心
という内容です。出典は、正法眼蔵、髄聞記、普勧坐禅儀、示庫院文、典座教訓、赴粥飯法、宝慶記、傘松道詠で、なぜか学道用心集・永平広録からは取り上げられていません。8割は眼蔵からで、29の巻から取り上げられていて、多いのは、八大人覚(9)、現成公案(7)、発菩提心(7)、身心学道(4)、洗面(4)、渓声山色(4)、仏向上事(4)などです。
それでは、解説の内容を、上記分類の各項冒頭に取り上げられています「現成公案の巻」の有名な言葉の引用箇所から紹介します。
「①仏道をならふというは自己をならふなり、②自己をならふというは自己を忘るるなり、③自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり、④万法に証せらるるといふは自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるものなり」
と、つながっているここの部分を4つのフレーズに分けて、現代的意味を解説しています。
①は、上記の分類のAとして、本来のすばらしい自分、宇宙そのものの存在に気づくこと、道元禅師の言葉では「本証」に気づくことの大切さを取り上げているものと思われます。私はこのカテゴリーを「発心」と名づけたいと思います。
境野氏は、「仏教とは、自分の中の生命の中に喜びを発見すること」と、ここの箇所を解説しています。
②は、分類のB。余計な思慮分別を離れて楽になり、ただ何かに集中する、没頭することを説くことで、私はこのカテゴリーを「只管」と名づけたいと思います。
境野氏は、「時には考えをやめてみる、自分の我意識を忘れると、自分の中に生きている宇宙の生命が発見できる」と、ここの箇所を解説しています。
③は、分類のC。本来の自分自身を捉え、全体の視野に立ち、ひとりよがりではない堅実な行動を説くことで、私はこのカテゴリーを「妙修」と名づけたいと思います。
境野氏は、「自分の頭の妄想を捨て、全体を見る視野に立てば、本来の自分、宇宙の生命力で生きている自分の姿が、はっきりとつかめる」と、ここの箇所を解説しています。
④は、分類のD。全体が見えてくれば、迷いや悩みが入り込む間もなく、正しい生き方が見えることを説くところですが、私はこのカテゴリーを「脱落」と名づけたいと思います。
境野氏は、「宇宙の在り方を悟れば、自分中心の考えを離れ、自他の対立の構図から脱却(脱落)することができる」と、ここの箇所を解説しています。
・・・・と、概ねこのような論調で全体が構成されています。難解な特徴ある道元禅師の文体をこのように、現代的意義に分類して捉える手法は画期的で、新しい布教教化の方向であると言えます。参考になりました。
ただし、先に述べましたように、本来の仏様としての宇宙の命としての自分(本証)についてばかりが強調され、道元禅師が説くもう一方の行ずること(妙修)についての説明に「手ぬるさ」を感じてしまいます。
一生懸命に現代を生き、それでも社会のゆがみの中に疲れてしまっている人たちにとっては、癒されて勇気の出る書のように思いますが、自己の利欲を急ぎ、怠惰な選択をしつづけてきた現代風潮に対しては、道元禅師はもっと厳しい警告を発しているはずです。
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結局、あの知合いと道元禅師は全く関係ないですが、逆に私は日本の仏教に興味が出来ました。
縁ですね。
映画「禅・ZEN」はご覧になられましたか?中国と日本との禅を通してのつながりが良く描かれているように思いました。
映画は見られませんけど、それに付いての報道とかには注目しています。
ZENの映画は、間もなくDVD化するようですので、そちらでも見ることが出来るようになるかとも思います。特に寧派の天堂寺さんには見ていただきたいと思います。