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葬儀をとりまく現状

 昨日、私が所属する宗派を超えた僧侶で構成する仏事テレホン相談員の研修がありました。タイトルが、昨日のテーマです。びっくりするほど、社会は変わりつつあるのですね。

 現在、一年間に亡くなる人はおよそ108万人。30年後の2038年には、現在の1.7倍の170万人にもなるのだそうです。
 ところが、新規参入の大手業者は多いものの、逆に従来の個人経営の葬儀業者は、倒産が相次いでいるのだそうです。その理由は、葬儀の実態の変化によるもののようです。

最近の葬儀実態を表す新語とキーワードがいくつかあります。

①直葬(ちょくそう)・・・葬儀を行わないで直接火葬場に行くこと。
   この場合、完全に僧侶を呼ばないケースと、読経付の時は、
   火葬場であげてもらい、これを「炉前(ろまえ)参り」というのだそうな。

②医高葬低(いこうそうてい)・・・医療に金をかけて葬儀の出費を抑える。
   高齢療養化が進み、8割が病院で亡くなる現代は、
   せめて、生きているうちに金は有効利用しよう、削れるところは・・・。

③病院難民(びょういんなんみん)・・・3ヶ月で病院を追われ、行き場を失う。
   手術、投薬でいくら?の病院が、長期延命治療だけではもたない。
   かといって、即自宅介護に移行という訳には行かず、
   劣悪な儲け主義中心の「難民受入れ業」病院が流行り出した。

④ホット葬・・・悲しさよりもとりあえずホット感が強い葬儀化。
   延命医学の進歩から、介護、病院通いで身心が疲れ、出費がかかる。
   親族もねぎらいの言葉をかけるが、数ヵ月後の悲嘆が大きい。
   49日を過ぎたあたりからの「49日欝症候群」が多いそうです。
   火葬場での調査では、炉前で泣く親族が激減しているそうな。

⑤三人称の死・・・親族であっても普段の絆が弱く、死が三人称化している。
   家族とは二人称の関係と言われるが、普段触れたこともないので、
   湯棺・納棺など、怖くてお任せできると有り難いと思う傾向にある。

⑥負の遺産を残さない・・・他人に迷惑をかけたくない。葬儀も墓も寺も・・・。
   子供も三人称で迷惑をかけたくない筆頭。菩提寺を持たないことも、
   負の排除となる。散骨もその思想。密葬でという故人の遺志ばやり。

⑦葬儀の告別式化・・・信仰心が薄いため、告別に重点が置かれやすい。
   直葬の前は、無宗教告別式が流行ったが、儀式としてしらけやすく、
   敬遠される傾向にある。葬儀社の売りは告別セレモニーにあるのだそうな。

⑧あの世離婚・・・死んでまでも一緒は嫌だ、実家の墓に戻りたい。
   この考えがあると、ご主人が先に亡くなった場合、
   お墓の問題が複雑化する。実際にテレホン相談で相談を受けた。

⑨手元供養・・・お墓にこだわらず、アクセサリーなどで手元に置く供養。
   一部を手元にあとは散骨、という散骨思想と対になりやすい。

⑩密葬という名のプライペート葬・・・別名家族葬。
   葬儀はもともと故人の魂の救済と、生前の故人に対する恩義の感謝祭。
   死という一大事は、同悲同苦の分かち合いというパブリックなもので
   あったはず。生前の社会生活は、公に展開しているにもかかわらず、
   亡くなるととたんに私に徹してしまうって、どこか変ではありませんか?
   
⑪先祖観の変化・・・生存をともにした人を先祖と考える時代に。。。
   家族ですら三人称なら、遠い先祖は他人様。供養や信仰が個人化して
   いると考えると、菩提寺という檀家制度存続のの危機は迫っています。

                 (資料提供:第一生命経済研究所)
                 (コメント、寸評は管理人)

・・・と、まだまだある現代葬儀事情。といっても、あくまでも東京を中心とする特徴を紹介したものと思われるが、寺を守る僧侶にとっては寒々しい分析結果であります。直葬率は都内ですと3割という数字が新聞でも発表されました。多い葬儀社では4割ということです。因みにうちの近くで聞きましたら1割くらいかなと言っていました。
 ただ、講師の先生も言われていましたが、どうしても取り除くことの出来ない死への不安、死と向き合う家族にとっての悲嘆を救うのに、葬式仏教は消え去ることのない機能があると思っています。
この場合の葬式仏教とは、儀式としての葬儀ではなく、心の救済としての葬儀です。直葬化、無宗教化という現状も、本来の心の救済としての葬儀が評価されれば助長されないと思うのですが、信仰心のない単なる儀式として葬儀が捉えられてしまうと、とても価値を感じない高額な布施を求められたとしたら、負への遺産として考えてしまうのは必然かも知れません。この関係のメカニズムに僧侶は敏感に感じるべきです。
昨日の講師さんのデータによれば、ここ2年間で、葬儀業者への苦情は激減しているそうで、企業努力が認められる分、僧侶への苦情が目立ってしまうとも・・・。

檀家は嫌だけど、寺や仏教の恩恵は受けたいでは、伝統を背負った寺を守る住職としては、世相分析のように簡単には対応が難しいですし、寺という伝統ある伽藍と心安らぐ境内墓地環境や、長い期間をかけて資質を養ってきた僧侶という人材の、「いいとこ取り」だけを求める風潮には、なかなか折り合えないところはあります。
昨日の講師の先生もこの辺の機微はわかっていない様子でしたね。
この辺の事情を理解いただけるように、努力していきたいと思います。

少しセンテンスの長い、難しい書込みですみません。
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
田舎とて (kenryu)
2006-05-31 10:06:55
こんにちわ、ご無沙汰していますが、結構忙しそうですね、残~念!

葬儀、確かに大きな転換期なのか、規制仏教教団の存続の危機なのか・・・。田舎とて同様に簡素化の一途をたどるばかりのような気もしてなりません。没後作僧、授戒得度・・・教化力量不足なのでしょうねぇ。ある宗門の方は「檀家の立場に立った安心を図る工夫」を力説されていましたが、「それって、当然なこと!」と思ってしまう拙僧って「変」なのでしょうか。毅然とした僧侶でありたいものですが・・・
 
 
 
→kenryu兄 (tera)
2006-05-31 13:48:02
やっと今日はいい天気になり、蒸し暑いくらいです。4日から広島なので、準備やらでバタバタやっています。

確かに葬儀の簡素化は、全国的に大差がないような現状になるのかも知れません。

檀徒の安心については、当然なことが当然にできていないので、真顔の発言となるのでしょうね。今まで意識すらなかったとしたら、何をかいわんやという感じですね。

「毅然」とするところに宗教性があると思い、大切なところだと思います。いつも貴兄を見習っております。。。
 
 
 
なるほど (某子)
2006-05-31 15:42:00
大変興味深く読ませていただきました。

ここ数年大きな変化があった業界ですよね。

全く違う業種からの新規参入が相次いだり、料金体系がやたら分かりやすくなったり、などなど。

葬儀業者に対する見方が厳しくなっているのも事実でしょう。墓に対する意識も変わってきていますね。



かといって、ごく一般的な日本人は相変わらず宗教心などなくて、お寺との付き合いもなく、付き合い方も分からない、そんな現状もあります。



本当のところ、死というものが見えなくなっている日本。ひとりひとりの存在が貴重なものとして、命の尊さをきちんと伝えていく、それが大切だと思います。



あああ~、まとまりがない上に、視点がずれてきてしまってすみません……。 
 
 
 
新語とキーワード (ぜん)
2006-05-31 18:02:10
読んでいて、なるほどと思ってしまいます。

ここで、感心をしてはいけないのでしょうが、葬儀を取り巻く環境はどんどん変わってきていますね。

僧侶が時代に取り残されるのか、そうはならじと後を追いかけるのか、それとも檀信徒を昔に引き戻すのか、いずれにしても難しいですね。

両師がおっしゃるとおり、まずは「毅然」とした葬儀ができれば良いなと思います。そこから宗教性が芽生えれば理想的です。

 
 
 
→某子さん (tera)
2006-05-31 19:55:41
ほんとに、びっくりした現状でした。



>ごく一般的な日本人は相変わらず宗教心などなくて、お寺との付き合いもなく、付き合い方も分からない、そんな現状もあります。



そうなのですよね。それで、このようなブログで親しんでもらえたらということがきっかけでした。そろそろ1年です。



ほんとうは、葬儀は命の大切さに気付く最も重要な機会だと思うのです。それが、損得の問題でないがしろになることは残念なことです。私達僧侶も襟を正して取り組まなければならないと思います。
 
 
 
→ぜんさん (tera)
2006-05-31 20:15:32
私も今回はかなり目からウロコという感じでした。確かに感心している場合ではないかも知れませんが、変に納得してしまうところもあったりで苦笑してしまいました。



毅然とした信念が私達に必要なことは、確かだと思います。その信念が一般の人の心を捉えていなければならないのでしょうね。
 
 
 
こんばんは。 (hitomi)
2006-06-01 00:26:32
私個人としては納得する部分もあります。

一人息子に負担をかけたくないと常々思っています。

しかし、主人がと思うと出来るだけの事はしたい。と考えてしまいます。

依然にもteraさんと話した事があったと思いますが、teraさんのblogに出会う迄、私の田舎のお寺の住職を基準に判断していたと深く反省しております。

teraさん始めこちらへコメントされる僧侶の皆様は、常に勉強、修行されていて、このような僧侶の方たちがまだいた事に驚いたほどです。規準が間違っていた事恥ずかしい限りです。

先祖にたいしては、核家族は関係あるかも知れませんが、自分が今ここに存在している意味を親がご先祖様を大切にする事を家庭で教えていく事と思います。

私の実家もteraさんのお寺さんと同じ、曹洞宗ですが田舎は過疎化が進み老人の比率が、かなり高い為か勉強会も壇家の集まりも滅多になく、葬儀での説法もありきたりです。

このようなな事が長年続くと、当然住職様に対する尊敬は薄れるばかり、専門的な事はわかりませんが本山が末寺をもう少し指導して頂ければと感じました。

昔は集落でいざこざがあるとお寺さんか庄屋さんに相談するといったそうですが、実家の住職様は法要でお経をあげに来てくださっても、お経が終わるとすぐに帰られコミュニケーションを取ろうとしません。

私はずっとそんなものだと思っていましたが、皆様のコメントを読ませて頂き家のお寺さんが住職と言うだけで、宗教者としての貢献をしていなかったのだと改めて感じました。

気分を害されたら申\し訳ありません。

私はteraさん始めこちらへコメントされる僧侶の方々は尊敬出来る宗教者と思っていますので、こんな愚痴並びにお願いめ出てしまいました。



〉旦那さんと違う墓・・

なんて寂しい人生でしょう。それほど迄考えている方だったら、私ならすぐに離婚を薦めます。

人生のパートナーと考えておられる旦那さんがあまりに殺伐とした生活を送っておられる様で気の毒になります。

私共も息子の負担にならない為に近々墓石が完成予\定です。

縁起でもないと叱られるかも知れませんが、もし主人が今逝ったとしても、私は再婚は絶対に考えないと思います。

ひとりぼっちになる主人がかわいそう過ぎて、私は同じお墓に眠る事を望むからです。

葬儀で大変なのは親族です。ゆっくりお別れも出来ず時間が過ぎるのは望みません。

静かに家族で感謝を込めて送ってあげたいと思います。

 
 
 
↑のコメント。 (hitomi)
2006-06-01 00:33:31
長々すみませんでした。

お気を悪いされましたら、お許しください。無知な奴と笑って下さい。



私事ですが暫くblogを閉鎖しました。

記事は投稿するつもりです。

もう暫くしたら公開しますのでお寄り下さい。

又ご指摘のほど宜しくお願い致します。
 
 
 
→hitomiさん (tera)
2006-06-01 08:38:22
丁寧なコメント有難うございます。その後、いかがかと思っておりました。

葬儀の事情、寺・僧侶の存在の在り方、考えさせられることばかりです。hitomiさんのお考え、正におっしゃる通りでよく理解できます。

私は至りませんが、他のコメントをいただいている同胞の方々に、温かなお心をお寄せ頂き嬉しく思います。確かに頑張っていられる僧侶の方々沢山いらっしゃいます。どうか根気強く私どもをお見守りいただければ幸いです。自己改革がなければ、私達の業界?も、やがて淘汰されるであろうと、危機感を感じています。



宗門としましても、教化の実際については、各寺の住職の自覚に頼らざるを得ないのが実情です。唯一、地方巡回として、本山から代役の僧が寺を訪問して近隣檀家の方々に説法する機会があります。そんな折にでも、水戸黄門様のように住職さんにアドバイスできたり、気付いてもらったりできるといいのですが・・・。

(実は今回この代役僧に当たってしまったのです。)



さて、あの世離婚についてですが、ほんとにびっくりすることですね。この問題点は、家制度、檀家制度とも関連しているようですが、根底は、夫婦の絆の弱さにあると言えます。



ブログ、リニューアルなさるご様子。楽しみです。

よろしくお願いします。
 
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