とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
桃源郷
桃源郷は花が盛りです。
近くにある「桃源郷」の名の由来は、陶淵明(365~427)の
「帰去来の辞」に由来するものです。師匠である東堂和尚の
好む詩です。
あまり行き過ぎる前に、故郷を荒らす前に、
大切な道を歩む必要があります。
そんなことをこの詩は、現代に呼びかけているような気がします。
近くにある「桃源郷」の名の由来は、陶淵明(365~427)の
「帰去来の辞」に由来するものです。師匠である東堂和尚の
好む詩です。
帰去来兮 帰去来(かえり)なん いざ
田園将蕪胡不帰
田園 将(まさ)に蕪(あ)れんとす胡(な)んぞ 帰らざる
既自以心為形役
既に自ら心を以て 形(かたち)の役(えき)と為す
奚惆悵而独悲
奚(なん)ぞ惆悵(チュウチョウ)として 独り悲しまん
悟已往之不諌
已往(いおう)の 諌(いさ)められざるを悟り
知来者之可追
来者の 追うべきを知る
実迷塗其未遠
実に 塗(みち)に迷うこと 其れいまだ遠からず
覚今是而昨非
今は是(ぜ)にして 昨(さく)の非なるを覚る
舟揺揺以軽揚
舟は 揺揺として 以て軽く揚がり
風飄飄而吹衣
風は 飄飄(ひょうひょう)として 衣を吹く
問征夫以前路
征夫(せいふ)に問うに 前路を以てし
恨晨光之熹微
晨光(しんこう)の熹微(かび)なるを恨む
意味は次のようなことです。
田園 将(まさ)に蕪(あ)れんとす胡(な)んぞ 帰らざる
既自以心為形役
既に自ら心を以て 形(かたち)の役(えき)と為す
奚惆悵而独悲
奚(なん)ぞ惆悵(チュウチョウ)として 独り悲しまん
悟已往之不諌
已往(いおう)の 諌(いさ)められざるを悟り
知来者之可追
来者の 追うべきを知る
実迷塗其未遠
実に 塗(みち)に迷うこと 其れいまだ遠からず
覚今是而昨非
今は是(ぜ)にして 昨(さく)の非なるを覚る
舟揺揺以軽揚
舟は 揺揺として 以て軽く揚がり
風飄飄而吹衣
風は 飄飄(ひょうひょう)として 衣を吹く
問征夫以前路
征夫(せいふ)に問うに 前路を以てし
恨晨光之熹微
晨光(しんこう)の熹微(かび)なるを恨む
意味は次のようなことです。
さあ、故郷へ帰ろう。わが田園は荒れ果てようとしている。 これまで、生活のために役人の道につき、自らの心を犠牲にしてきたことを、恨みがましく悲しむまい。 過ぎ去った人生を後悔してもしかたがないと悟り、 これからの在り方を考えよう。 道に迷ったことも、それほど長くはなかった。 役人をやめて家に戻ると決心したことは間違ってはいない。 故郷に向かう舟は軽やかで、風は衣服をひらひらと翻す。 何と快いではないか。 気が急いて、旅人に道のりを聞いてみたりするが、 明けきらぬ薄明かりがなんとももどかしい。進化、発展が著しく、政治・経済・世情・自然など・・・、すべてに変革の嵐です。
あまり行き過ぎる前に、故郷を荒らす前に、
大切な道を歩む必要があります。
そんなことをこの詩は、現代に呼びかけているような気がします。
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