とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
ネット坐禅会・36・・・『般若心経』の世界➊ ブッダから菩薩へ
緊急事態宣言が再び発令されましたので、当山参禅会もしばらく休止し、ネット坐禅会とします。
今年の講話は、アンケートでも多くの希望がありました『般若心経』の解説を、再び行います。
今回は、お釈迦様の意に沿うように、お釈迦様が語るかのように構成してみました。お断りしておきますが、ここでの発信は、単なる私一個人、一布教師としての見解です。伝えられている史実、曹洞宗で語り継がれてきた伝統的な解釈をもとに創作したものですので、転載、参考になさる時は十分に注意してお読みください。
『般若心経』の世界➊ ブッダから菩薩へ
私の名はシッダールタといいます。およそ2,500年前のインドに接するネパールに生まれました。シャカという一族の王家に生まれました。思うところがあり、出家し、人生で大切なことを追求し、「これだ!」という真理に出会いました。そこで世に発信したところ、「これはすばらしい悟りの教えだ」という評価を得て、シャカ家の素晴らしい(ムニ)、悟りを得た人(ブッダ)という呼び名、シャカ・ムニ・ブッダという名称で呼ばれてきました。中国では「釈迦牟尼仏」と漢訳され、日本では「おしゃか様」や「釋尊」という名で親しまれてきているようです。
そもそも、到達した真理と言う教えは、すでに七代にもわたって語り継がれたもので、私がはじめて唱えていることではないのです。特にここで述べようとする、『般若心経』という「空」の考え方は、私の弟子のアーナンダ(阿難)が、聞き留めた私の言葉をもとに、その真意を「観自在菩薩」という架空の人物像が語る言葉として、2,000年ほど前にまとめられた書で、このように世界中の人に読まれ、親しまれていることは大変うれしいことです。
菩薩という架空の名の由来ですが、私は真理を会得しましたが、私の願いはブッダという尊い悟りを得た存在に留まることなく、この世の中の道理を一般の人々と苦悩をともにして、同じ目線で人々の願いを受け止め救済することにあり、この考え方をもとにして付けていただいた呼び名がボディーサットバ(菩提薩埵=菩薩・一般の人の中にいる仏、悟っている一般の人)です。『般若心経』で語り掛ける菩薩は、人々の声を「思いのままに観る」ということから、「観自在菩薩」と玄奘(げんじょう)という中国の僧が訳しました。同じ言葉を、玄奘よりも200年ほど前の鳩摩羅什(くまらじゅう)という僧は「観世音菩薩」と訳していました。この違いは、「観世音(観音)」は、人々の願いに寄り添う「慈悲」の精神を強調している一方、「観自在」は、臨機応変に要望に順応する「智慧」の重要性を反映した名称と言え、どちらも菩薩の精神を表しています。
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