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ネット坐禅会・37・・・『般若心経』の世界❷ 智慧の完成 

❷ 智慧の完成

観自在菩薩。行探般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

改めて真理に到達した経緯を振り返ってみましょう。私は、観自在菩薩という仏様として備わる最大限の智慧を発揮して、懸命に悟りの岸に到達するべき、過去の仏たちの行ってきた行いに努めました。すなわち、

①人々の幸せのために施すこと(布施)

②自分の欲望に流されない守るべき戒めを守ること(持戒)

③くじけず我慢して忍耐をすること(忍辱)

④絶えず向上心を持つ努力をすること(精進)

⑤心静かに自己と一体になる境地を保つこと(禅定)

⑥これらのすべての行いを通じて、見えてきた正しい生き方を貫くこと(般若=智慧)

※この六つを「六波羅蜜」と呼びます。

を実践して行っている時に、この世の現象の実態と、そこから派生していく自身の心の変化と行動構造の仕組み()が、すべて空虚なもので実体の無いものだという事がはっきりと見えてきました。そして、その事が分かるとともに一切の悩み苦しみから離れ、人々を救えることが判りました。

※五蘊とは、「色、受・想・行・識」の五つの【物質、精神現象】からなる構成要素のこと。

という、内容が『般若心経』の冒頭に記載されています。「パーラミター(波羅蜜多)」という言葉は悟りの岸に到達して、智慧が完成したという意味ですが、これは行いとともに智慧が湧き、智慧に押されて行いが継続されて行くもので、智慧と実践は、どちらが先ということなく、表裏一体のものと考えられます。実践とは、①~⑥までを実行することで、特に、最終的に到達(成道)した時は、坐禅の実践中でありました。

 つまり、悟り(証)と実践(修)は、一つであり、後に「修証一等(如)」という教えとして、知られるようになりました。その結果として実体が無いという真理は、当初は「無我」と呼んでいましたが、『般若心経』では「空」と名付けて、捉えどころの無い、空虚な意味合いを強めて私の教えを深く理解していただくことができました。この「空」の智慧は、自らの苦を脱するとともに、他の人々が共に救われるところに意味があり、この道理を優秀な弟子の一人であるシャリープトラ(舎利子)に説く形で、『般若心経』に記されていくのです。

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