とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
おくりびと
映画『おくりびと』がアカデミー賞に輝きました。おめでとうございます。
この映画は、私が昨年訪れた酒田・庄内平野でロケが行われたそうで、冒頭にも、雪の出羽三山や鳥海山が背景として使われています。藤沢周平さんの作品をはじめ各種の映画がこの地で撮影され、日本有数のシネマ地になりました。今回の受賞で、また有名になることでしよう。とにかく画になりますね。
ところでこの送りびと、納棺師という職種ですが、葬儀業界の特殊技能保持者として位置づけられた人々を指すようです。以前は葬儀屋さんの仕事の範疇、もっと以前は、家族・親族・近所で行っていた「湯棺・納棺」のサポートとして、葬祭業の細分化の中で、独立してきたものです。
昨日、私はたまたまある専門学校で「葬儀と仏教」という講義を依頼されて、葬祭業の職に就きたい方々のスクールに行っていました。
そうしたら、急にこのオスカー受賞のニュースということで、都内で「送りびと」の勉強をしている当現場に、取材の申し込みが殺到したのだそうです。私の教室にもテレビカメラが入り、取材を受け、ドギマギしました。今朝、その局の番組をチェックしていましたら、別の教室の生徒さん方が納棺練習をしているところが放映されていました。年齢は20歳前半、男子も女子もいます。熱心ですし、真剣です。
私の担当内容は、
・お寺の実際・・・歴史、住職の仕事と生活、プロフィール
・曹洞宗の基礎知識・・・すでに学んでいることのミニテスト実施と解説
・仏壇本尊の祀り方・・・本堂と仏壇
・曹洞宗の教義・・・宗旨、経典、本山、歴史、威儀
・曹洞宗の葬儀・・・進行の流れと意味
・葬儀業者への意見提言
このようなことを各宗派、行っているのです。葬祭ディレクター認定試験に向けてのコースという性格もあるようですが、このように、しっかりと寺のこと仏教のことを身につけていただければ、葬儀社と寺院とのトラブルは解消するはず・・・と思いました。
ただし、実際に現場に出ると、会社の方針や経営の実際のことで、突き当たる壁は大きいのだと思いますが・・・。
昨日は、今年度最後の授業ということで、「頑張ってね!」と、エールを送りました。どの生徒さんも、ご遺族が心休まる葬儀となるような「おくりびと」を目指す輝いた若者の目をしていました。こんな学校があったのですよ。
この映画は、私が昨年訪れた酒田・庄内平野でロケが行われたそうで、冒頭にも、雪の出羽三山や鳥海山が背景として使われています。藤沢周平さんの作品をはじめ各種の映画がこの地で撮影され、日本有数のシネマ地になりました。今回の受賞で、また有名になることでしよう。とにかく画になりますね。
ところでこの送りびと、納棺師という職種ですが、葬儀業界の特殊技能保持者として位置づけられた人々を指すようです。以前は葬儀屋さんの仕事の範疇、もっと以前は、家族・親族・近所で行っていた「湯棺・納棺」のサポートとして、葬祭業の細分化の中で、独立してきたものです。
昨日、私はたまたまある専門学校で「葬儀と仏教」という講義を依頼されて、葬祭業の職に就きたい方々のスクールに行っていました。
そうしたら、急にこのオスカー受賞のニュースということで、都内で「送りびと」の勉強をしている当現場に、取材の申し込みが殺到したのだそうです。私の教室にもテレビカメラが入り、取材を受け、ドギマギしました。今朝、その局の番組をチェックしていましたら、別の教室の生徒さん方が納棺練習をしているところが放映されていました。年齢は20歳前半、男子も女子もいます。熱心ですし、真剣です。
私の担当内容は、
・お寺の実際・・・歴史、住職の仕事と生活、プロフィール
・曹洞宗の基礎知識・・・すでに学んでいることのミニテスト実施と解説
・仏壇本尊の祀り方・・・本堂と仏壇
・曹洞宗の教義・・・宗旨、経典、本山、歴史、威儀
・曹洞宗の葬儀・・・進行の流れと意味
・葬儀業者への意見提言
このようなことを各宗派、行っているのです。葬祭ディレクター認定試験に向けてのコースという性格もあるようですが、このように、しっかりと寺のこと仏教のことを身につけていただければ、葬儀社と寺院とのトラブルは解消するはず・・・と思いました。
ただし、実際に現場に出ると、会社の方針や経営の実際のことで、突き当たる壁は大きいのだと思いますが・・・。
昨日は、今年度最後の授業ということで、「頑張ってね!」と、エールを送りました。どの生徒さんも、ご遺族が心休まる葬儀となるような「おくりびと」を目指す輝いた若者の目をしていました。こんな学校があったのですよ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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新しい職業ですが、葬儀が益々お葬式産業化してくることには疑問はあります。しかし、時代の流れでもあるでしょうから、そのような流れに僧侶が流されないことも大事なことと思います。
そのうちに、僧侶は全く葬儀だけを行う職業だと間違える人もでてくるかもしれませんね。
死や先祖の供養に向き合う僧侶の存在は重要だと思いますし、同時に、現代生活の生きる活力としての仏教教理の敷衍もまた両輪として重要なことと思っています。そうでないと葬儀を行う職業基盤そのものが危うくなるように思えますね。