とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
スポーツ選手のコメント
宮里藍選手が快進撃を続けています。そしていつも思うのですが、コメントが的を得ているのです。アメリカでのトーナメント予選会で1位通過した時の来年の目標を聞かれて「先ずはシード権確保」と言い、今年の春の南アフリカでの対抗戦で優勝した時は「アメリカツアー参戦」と言っていたのが現実になったのとダブって聞こえました。自分の力を過不足なく正確に把握し、適切な目標を立て、成し遂げること。簡単そうで並み大抵ではないことです。
私はスポーツ選手のコメントに大変興味があります。それは、極限を戦ったからこそわかる極限の体験の真実にも聞こえるからでもあります。そして、かなり仏教の説くところと共通するのです。
遠くは有森選手の 「自分を自分で褒めてあげたい」
これは、単に自己愛ということでなく、努力した自分はそれなりに尊敬すべき自分であるということで、個人的に独り占めすべきものではなく、自分すら独占できない尊厳を教えてくれる世界でもあります。お釈迦さまの「天上天下唯我独尊」が、同種の仏教の言葉と言えましょうし、道元禅師の「この一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり、この行持あらん身心自らも愛すべし、自らも敬ふべし」(修証義第5章)
こそ、このことを言っているのだと思います。つまり、やるべきことをやって頑張っている自分こそ、尊敬すべき自分で、そのことを一番良く知っている自分こそが褒めてあげなくて、誰が褒めてあげようか・・・、ということなのです。
リメハンメルの冬季オリンピックのスピードスケートでほとんどの金メダルを取ったコス選手という人がいました。その時のアナウンサーがプレッシャーはありませんでしたかという質問に、
「私は、スタートの位置の姿勢、第1カーブまでの歩数、その姿勢と角度、・・・レースのすべての時間がその再現に費やされたため、他のことを考える暇がありませんでした」
これは、禅語で有名で、瑩山禅師のことばにもある「平常心是道」に似ています。喫茶喫飯の一つひとつの日常こそすべてという考えに共通しています。スポーツ選手のコメントには、「自分の相撲」とか、「いつもの力が・・・」とか、「自然体で」とか「無心・無欲で」とかと、リラックスを目指した言葉がよく出されます。しかし、実際にはこの平常心こそがもっとも曲者で、難しいのでしょう。その克服する心得として、コス選手のコメントは大切なことを示唆してくれています。日常の一つひとつ、集中して一心に行ずれば、他の心の介在する隙間はないのです。
先日の東京国際で、高橋尚子選手が復活優勝を遂げました。その時のコメントです。
「一度は、やめようと思ったこともありましたが、ここに戻れて本当に良かったと思います。暗闇の中にいる人も、夢を抱き続けることによって、充実した時間を持つことで、やがて暗闇を抜け出すことも出来るということを、私がここで示すことによって、励ませたらと思って走りました・・・」
これは、仏教の教えの中にも多くの部分を見つけることができると思います。高橋選手はきっとゴールにたどりつく前に、苦しさの頂点の最中に、他の人への思いやる気持ちを持ち続けて、そのためにも走らないと・・・、と思ったに違いありません。先ほどの修証義には「苦にありといえども、楽にありといえども、自未得度先度他の心を起こすべし」とあります。つまり、自分が達成感を感じる前に、他の人々の気持ちを思いはかり、共に頑張る糧とする意味で、菩提心、菩薩心とも呼ぶ大切な仏教の利他の教えです。その他この言葉には、不撓不屈、為せば成る、無限の可能性(絶対という固定した実態はない)を秘めた「無我」・「空」の教えにも通じることだとも言えます。
他にも多数、これはと感じたものがありまして、結構スポーツコメントマニアです。。。
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