とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
滋賀県紀行③~近江八幡~
湖南地区から北上し、再び琵琶湖湖岸に出ると草津市という街並みに続き、近江八幡があります。この辺りからがいわゆる湖東です。写真は八幡堀と呼ばれる堀です。
近江八幡は、この堀の内側にある八幡山に秀吉の甥の秀次が築いた八幡城を中心にして発達した城下町です。碁盤の目のように整備され、安土城の町を移転したとも言われ、どこか西洋風な気風を感じさせる街並です。
冒頭の八幡堀は、城を守る堀の役割と、街の流通、交通路としての水路の役割もしていたそうで琵琶湖につながっている運河とも言えます。
堀には現在、遊歩道が整備されていて、船の散歩もできます。途中に木船を固定させた橋もかかっていて対岸に渡ることもできます。
この地は「近江瓦」の産地としても有名で、資料館も堀沿いにありました。
八幡山の下には碁盤の目の街並みが広がり、白壁と木造建築の美しいたたずまいが現在も残っています。
この街は、かつて近江商人と呼ばれた豪商を排出した地でもあります。中でも繊維業の大手発祥の地とも言われています。この街並みの中に布団の老舗「西川家」もありました。ワコール、京セラなども滋賀県に端を発しているとか。建物も何処か洋風のものも多く、和と調和しています。
歩いていると著名な会社の本社ビルも多く、流石に商人の街を再認識します。
和菓子の老舗「たねや」。バームクーヘンで有名なクラブハリエもこの店が発祥なのだそうです。
メンタムもこの地が発祥だそうで、本社ビル前は、創業者の銅像が建つ公園となっています。
何となく個性的な街、近江八幡ですが、八幡城の歴史は短く、1585年に秀次が築城したあと、楽市楽座なとで街は急激に発達したにもかかわらず、秀吉と茶々の間に秀頼が生まれ、(政略によって?)秀次が自害に追い込まれるという悲劇となりました。10年足らずです。
城はその後復興されませんでしたが、街は脈々と残ったのです。
その近江商人が代々受け継いでいる家訓というのをある老師様からお伺いしました。
①人に喜んでもらえる仕事をする
②ご先祖様とお寺を大事にする
のだそうです。そうして守られてきた寺院の数々。有り難いものです。昨今の目先利益優先の商業を行う人は、見習うべき伝統文化の地です。
洋風な建物と調和する街並み
八幡城のあった八幡山
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いつもいい旅をされていますね。それぞれの場所へは理由があって必然的?にいらっしゃっているとは思いますが、単なる旅ではなかなか行けないところだったりして、うらやましく思いながらも楽しく読ませていただいています。
ところで!
森田選手が伊達選手を破ったそうですよ!
http://news.tennis365.net/news/today/200810/9729.html
東京国際有明女子オープンの2回戦で逆転勝ち!
いまの実力なら当然かもしれませんが、大金星です。この調子で決勝戦まで行ってほしいですね。
さて、森田選手の情報有り難うございます。伊達選手も復活して手強い大ベテラン選手だけに、自信になるのではないでしょうか。
それにしても、伊達選手は、若手のふがいなさへの刺激に・・・、といってカムバックした経緯もあるようですから、若手のホープNO.1の森田選手は勝っておいて良かったですね。負けたら何となく寂しいですよね。
上位進出、期待します。