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ネット坐禅会・26・・・曹洞宗の教義・布教教化

布教教化

「臨済将軍、曹洞土民」という言葉がありました。臨済の禅風は、武士の精神に合致し、鎌倉時代・室町時代には将軍家からも信仰を集め、貴族、上級武士、文化人らの支援により大きな広がりを見せ、五山文化、わび・さびの禅風を築きました。一方、道元禅師の精神を核に、瑩山禅師によって広まった曹洞宗は、地方武士、一般庶民にすそ野を広げ、仏教信仰が全国的に広まりました。将軍、土民という例えは、その分布対象の特徴を捉えて語り継がれた言葉と思われます。

その分布は、教義の布教教化にも影響していると思われます。臨済宗は、公案を追求し、禅語の伝える深い境涯が、武家・公家・文化人らに興味深く受け容れられたに違いありません。一方、曹洞宗は、根底に禅の教えを基にしながらも、一般生活に根差した人々の苦悩・不安、亡き先祖への供養などの祈念を伴う布教教化が望まれてきた背景があります。

室町期・戦国時代・江戸期と、戦乱が続く中、少しでも平安と高遠な心の救済を求め、人々の願いに応えるべく、布教教化が為されていったことが想像されます。禅の高い境地は、ある階層の人々には、そのままに受け容れられたり、参禅の実践が定着していたこともあろうかと思います。しかし、公案の参究や只管打坐で非思量を実践することが、一般の人々に広く根付いていったとは思えません。そんな現実との壁の中で、苦慮しながらも布教教化の道を模索しながら、禅の教えは受け継がれてきたのでありましょう。

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