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「おせがき」考

今年の教区内寺院で行われています施食会(施餓鬼会)行事も、いよいよ終盤を向かえて参りました。今年は、比較的涼しい日が続いて身体への影響は少なかったように思います。とはいえ、50歳後半にさしかかるという御身、過酷な修行期間に違いはありません。

この行事の意味については、kameno師が懇切な解説()を施していただいています。保存版として、参考にされると良いと思います。

私も、再度、整理してみますと、

セガキ・・・・お釈迦様の弟子の阿難尊者が、あと3日で死に餓鬼道に到るというお告げを受け、これから逃れるためには、翌日までに多くの餓鬼やその救済に関わるすべてのものに、沢山の食べ物を供養しなさいと言われた。お釈迦様に相談したところ、沢山の供養物となる真言を伝授され、それを唱えたところ救われたという故事から生じた仏事。

ウラボン・・・・お釈迦様の弟子の目蓮尊者が、亡くなった母親の来世が餓鬼道で苦しんでいることに心を痛め、お釈迦様に相談したところ、安居(修行)の期間の終わる15日(7月)に、すべての修行僧に食べ物を供養することを勧められ、母親とすべての苦しむ諸霊が救われたという故事に由来する仏事。

この時期に行われている「おせがき」行事は、上記の二種類が合成されたウラボンセガキであります。
地方を巡回していますと、大阪では、彼岸会施餓鬼として、お彼岸に合わせて施餓鬼を行っています。その他、多くの地区で、先祖供養の一貫として、随時、施餓鬼法要を発願する習慣があり、寺院の本堂には、施餓鬼棚が常に設置されているケースが多いのです。

セガキは、7月15日という期日が限定されないということと、今すぐに救済するという即時性に特徴があります。
ウラボンは、7月(8月)という期日限定に特色があり、祖霊が帰ってくるという信仰へと結びつきました。また、仏道修行に生きる人たちに供養することで、間接的に先祖、万霊が救われるという特色も持っています。
両者の共通点は、生きることに欠かせない食べ物を、不特定多数に供養し、万霊が救われるという点です。

名称の「施餓鬼会」と「施食会」についてですが、
私はこう考えます。

  を  に供養(施)するのか?
 ↓   ↓ 
    起源は、餓鬼という飢えに苦しむ諸霊
     転じて、幅広くすべての万霊

何を強調して「施会」
誰を強調して「施餓鬼会」

ただし、この行事の趣旨は、苦しむものを救うという点にあるので、名称はどちらにせよ、施餓鬼の精神は大切なことであると思います。

餓鬼というインパクトの強い言葉ですが、最悪のケースを想定して救済する文化なのかも知れません。

kamenoさんのページでも紹介されていますが、この法要は二部構成になっていて、前半に施餓鬼の供養をして、その功徳で、亡きご先祖様も供養するという「付」施餓鬼(施食)という謙虚な構成にも妙味があります。

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