
2月14日 浜松授業研究の会
ウナギのなぞを追って 内山先生の実践
1 新出漢字を調べる
2 題名を調べた
ウナギ/の/なぞ/を/追って
ウナギって何だろう=川や湖に住んで、体が細く、表面がぬるぬるしている魚。
蒲焼きなどにして食べる。
各地で養殖されている。
なぞ= 相手になんとなく分かるように遠回しに言うこと
◎不思議なこと
なぞなぞ
追う= 前の方にあるものを追いかける
◎目標とするものを追い求める。
追い払う
順に従ってだんだんと進む
急がされる
題名を調べるだけで、日本の川や湖に住んでいるうなぎの、不思議なことを解き明かす目標を追い求めている話。と内容を推し量ることができた。
3 5W1Hを使った問題作りをした
・何がウナギのなぞか
・どこでウナギのなぞを追うのか
・いつウナギのなぞを追うのか
・どうやってウナギのなぞを追うのか
・いつウナギは生まれるのか
・どうやってウナギのなぞを追うのか ...等
4 それぞれの興味応じて課題を選びモザイク学習を行った
(1)一人学び
(2)同じ課題同士で
(3)少人数で
(4)学級で
5 教師の作った「さかのぼる」って何だろうという問題を考える
さかのぼるの意味が分からないので、単文作りを行った。
しかし、なかなかさかのぼるの意味がとらえられない。
そこで国語辞典で調べた。
さかのぼる=流れと反対の方向に進むことと理解した。
おおむね、このような授業の報告をしていただいた。
校内研修で「モザイク学習」に取り組んでいるのでこうした流れになったとのこと。
しかし、聞いていてわくわく感が感じられなかった。
「モザイク学習」という制約の中でも、追求する学習にならないか
という話し合いを行った。
浜松の会では、説明文の学び方はあまり話っていないので、学びが行き詰まってしまった。
ゆきの先生が、最後の段落が大事だと思う。
最後の段落は4文からできている。
その中で大事な文をみつけるためには、「逆接」の「しかし」に注目するといい........
普段から、逆接の言葉があったら、赤丸を付ける癖をつけるといい。
と助け船を出してくださった。
私はこのお話の「変だ」は、「今年もマリアナの海にやってきました。」という導入の文だと思う。
この文は終末にもまたでてくる。
始めてと終わりに同じ文が出てくる。
きっと何か大事なことがあるのではないか?
とだけ発言した。
ここで、時間切れになってしまった。
せっかく内山先生が実践をこの会にもってきたのに、よい研修にならなかったのが残念だった。
それで、改めてこの教材をしっかり読んでみることにした。
やはり、このお話の「変だ」は、
「今年もマリアナの海にやってきました。」という導入と終末に出てくる同じ文だと思う。
こんな、唐突な始まり方をするのはおかしいのだ。
それに最初と最後が同じなんておかしいのだ。
意図的にこの文を入れたんだ。
一番言いたいことが、この文に入っているに違いない。
切ってみる。
「今年/も/マリアナ/の/海/に/やって/きました。」
この中で、私が一番おかしく感じるのは「も」だ。
今年もということは
以前も 今年も そしてこれからもという含みを込めている。
も=類似した事柄を列挙したり同様の事柄がまだあることを言外に表わしたりする。
これがおかしいのである。
なぜおかしいのかというと、
すでに「うなぎはどこで産卵するか」という疑問は解決されているからだ。
解決されているのに、今年も来ることはおかしいと思う。
なぜだろう?
そう思って、よく読むと気になる文が見えてくる。
「どこでたまごを産むのかという問題については、これでほぼ明らかになったといっていいでしょう。」
である。
「これ」「ほぼ」という言葉が気になった。
この2つで、すばらしい勉強ができる。
「これ」という言葉を調べていくと、ウナギの産卵場所を求める70年の取り組みを調べることができる。
「これ」を調べていくと、今までの調査の内容が明らかになるのだ。
「ほぼ」を調べていくと、科学者の生き様を学ぶことができる。
卵を産む場所について完全には究明されていない。
まだ追調査を行う必要があることに気づく。
ほぼ=細部や端数を切り捨てた大部分において、そうであると認められることを表わす。
まだ、細部は分かっていないのだ。
この辺りらしい、ということが分かったに過ぎない。
科学者たちは、さらにピンポイントで、その場所を特定したいのだ。
さらに、ゆきの先生が指摘してくださった「しかし」を調べると、
産卵場所を例え特定したとしても
・なぜこんなに遠くまで卵を産みに来るのか。
・広い海の中で、どうやってここにまでたどり着くのか。
という未解決の問題が残っていることが分かる。
そして、それらを調べていく過程で
知りたいことはまだまだ増えるとある。
こうしたことを学べば、子どもたちは、科学者の真実を求める執念を感じることができると思う。
内山先生の行った学習で、
科学者たちが、次第にウナギの産卵場所を突き止めていった過程は分かる。
しかし、そこで終わってはいけない。
産卵場所を知ることがこの教材の目的ではない。。
科学者たちの思いを知ることが、この教材のおもしろさだと思うからだ。
説明文であっても「変だ」「おかしい」をもとに、問題を作って、追求することで楽しい学びができるのではないか。
ウナギがどこで産卵するかは、書いてあるから読めば分かるのだ。
51回 | 4月11日 | 土 | 9:00 | 15:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
52回 | 5月9日 | 土 | 9:00 | 12:00 | 天竜壬生ホール | 第1会議室 |
この単元の学習の目標は、説明文としての読み取りというより、この説明文を目的に応じて要約し、紹介文をつくることでは。
追求する学習というものは素晴らしいものだと感じています。加えて今日さけばれている「言語活動」をも取り込んだ研究を、自分も実践していきたいと考えております。
つたないブログを、読んでいただいた上に、感想まで寄せていただいて、とても嬉しく思います。
私の読み方が正しいのかどうかは、確たる自信があるわけではありません。でも....
考えることがあります。
説明文なら、
どの教師も、まず各段落の要約をさせます。次に、それらの段落のつながりを考えさせ、説明文の組み立てを理解させます。そして最後に、要旨について学習します。
これは、説明文を学ぶ上で大切なことです。
でも、下位の子供たちは、そんな授業をしても楽しくありません。
何のために、こんなよく分からない作用をするのだろうと考えながら取り組んでいます。
だって、書いてある内容は、何度か読めば分かるからです。
分かっているのに、分かったことを何度も繰り返して学ばされるのです。
説明文って、本来、筆者が何かすごい感動があって、それを伝えたいから書く文章です。
それならば、筆者が何に感動しているのかを見つけることが、本当は一番大事なことなのだと思います。
何かあるはずだって....
これは、何度か一人で読んだだけでは見えてきません。
クラス全員で、討議しながら読み進めていくと、はじめて書いてあるのに見えていなかったその感動が見えてきます。
分からないことを、分かるようにするから、楽しい授業になります。
文の構成は、こうした楽しい学びの後「どうして、こんな感動を伝えられたのか、文の組み立てに何か秘密がありそうだね。」と続けていくとよいと思います。
教師が、これを教えなければならないと入るより
子供たちが、なんだか楽しそうだなと思って、子供の意識の側から授業を組みたれられないものかと思っているのです
子どもの学習意欲、学習意義を高めたいとは、自分も常々考えています。その上で、先生のお考えを学ばせていただきました。まずは、最初に読む教材の本質に触れていく……ということでしょうか。
今後も先生の御活躍を応援させていただきます。